第376話 ナスカテスラは姪が可愛い 【★】
ひょっこりと現れた人物を見て真っ先に眉を顰めたのはセトラスだった。
セトラスとオルバートは大百足の血痕が残る道を辿っていたのだが、なぜかそこにシェミリザが現れたのである。
「あら、奇遇ね。……なんて、ちょっとオルバに用があったから来たのだけれど」
「用? 熊の魔獣に関することですか?」
「ええ。ただし吉報じゃないわ」
シェミリザはにっこりと笑った。
それだけで吉報でないことが察せてしまう。
「途中まで追っていたのだけれど、見失ってしまったの」
セトラスは無言で眉間を押さえる。
頭に触れると未だに頭痛がするので避けたかったが、それでも押さえずにはいられなかった。
「そういうわけでオルバのモニターを見せてもらいに来たのよ。持ってきてる?」
「残念だが修理が必要でね、カメラは生きているのに勿体ないことだけれど」
「あら、残念。調子が悪いのは知ってたけれどそこまで悪かったのね……」
シェミリザは様々な魔法を使える。しかし機械修理は専門外だ。
必要だと言われれば魔法の提供はできるが、魔法のみでは修理はできない。
オルバートは片手を上げて言う。
居場所の特定くらいなら協力者に言えば教えてくれると思うよ、と。
制約は多いがシェミリザの認識阻害の魔法が効いている状況下でもラビリンス内部のことは広く把握しているはずだ。
しかしシェミリザは眉をハの字にした。
「わたし、どうかしらあの人に警戒されてるみたいなのよね」
「それは僕に対してもだよ」
「それでもオルバはボスなんだから別格よ」
協力している組織のボスにそこまで悪い対応はしないわ、とシェミリザは笑う。
セトラスは何度かシェミリザが協力者と一対一で話しているのを見たことがあるが、協力者からの対応は確かに良くなかった。きっと過去になにかしたのだろう。
もしくはエルフノワールという種族自体に思うところがあるか。
ふむ、と軽く唸ったオルバートは「それなら」とシェミリザに問い掛ける。
「せっかく合流したんだ、熊は一旦置いておいて僕を手伝ってもらえないかい?」
「あぁ、オルバまで部屋から出てくるなんて不思議に思っていたのだけれど……なにをしてるの?」
シェミリザの問いにオルバートは再び大百足が脱走したこと、そして自分たちはその痕跡を追っている最中だということを伝えた。
シェミリザはセトラスに視線をやる。
暗い瞳から送られるそれはねっとりとした威圧感があったが、セトラスは動じることなく相手の言葉を待った。
「たしかに護衛としてはぼろぼろだし心配ね……わかったわ、一緒に行きましょう」
「ありがとう、宜しく頼むよ。それにまた少し体調が良くなくてね」
「あら……効くかわからないけれど後で薬を調合してあげる。……ふふ、セトラスはごめんなさいね。それは薬ではどうしようもないし、わたしは回復魔法はそんなに得意ではないから」
しばらくそのままでいろ、ということだ。
べつにあなたを頼りにはしてませんよ、とセトラスは口角を落としつつ返した。
***
大百足の脚は減り、特に左右で偏りが出たのが大きいのか思ったような動きができなくなっていた。
それでも苦しげな様子で泡を吹きながら襲い掛かるのをやめない。
本能やそれ以外のなにかに突き動かされているとすれば憐れだと思える姿だった。
だが同情することなくナスカテスラはバルドとステラリカを支援し続ける。
(押してはいるが決定打に欠けるな……ステラの体力もそろそろ危ういか、……?)
回復を続けながらナスカテスラは奇妙なことに気がついて眉を顰めた。
ステラリカは汗を流して肩で息をしている。疲労によるものだ。
バルドも呼吸の荒い様子を見せていたが――体力そのものは残っているようで、動きを見ても息が上がらないように配慮されていた。
そう、本来ならあそこまで呼吸は乱れていないはず。
(倉庫整理をしていた時も本調子ではないようだったけれど、体が悪いのか? しかし不老不死は病にかかるのだろうか……)
ナスカテスラは不老不死の人物に会ったことがない。
もしかしたら完全な健康体を保つ不老不死ではなく、病にはかかるが死にはしないという特性を持った不老不死であるという可能性はある。
しかし種類にもよるが、病ならナスカテスラの回復魔法である程度は軽減されるはず。普段は主に怪我に効果を発揮する魔法だが、多少の病にも効くだけの出力を出してある。
そんな疑問を抱きながらナスカテスラはバルドを見守った。
(……時間経過と共に悪化している。リスクがあるけれどここは一旦俺様と交代したほうが――、っ!)
大百足と目が合った。
ずっとまとわりついてくるバルドとステラリカを注視していたが、ここで初めて後方にいるナスカテスラの存在を認識したらしい。恐らくこれはたまたまのことだ。
魔獣は判断能力が落ちている様子だったが、体をぎちぎちとくねらせると胴をムチのようにしならせて地面を打った。
初めて見る動きだ、と思ったと同時にナスカテスラはのけぞる。
(毒針を飛ばしてきた……!?)
遠距離攻撃として用いている攻撃手段なのだろう。
今まで近距離のふたりを相手にしていたこと、通路で追いながらでは実行しづらいことから使っていなかったのだ。
予想外の飛び道具に驚きつつもナスカテスラはその場から走って移動する。
「ずうっとこっちを無視してるからおかしいと思っていたが、本当に視界に入ってなかっただけか!」
「ナスカおじさん!」
「大丈夫、俺様は後衛特化じゃないからね!」
ひょいひょいと毒針を避けつつナスカテスラは言う。
――毒針も有限であるため、途中から遠距離攻撃の手を緩めた大百足はあることに気がついた。
でたらめに胴を動かしているとステラリカの頬に爪がかすり、そしてついた傷が治らずにそのまま残ったのだ。
今まではつけた傷は即時に癒えていた。大百足はそれが煩わしかった。
ナスカテスラの回復魔法は移動しながらでも効果を発揮するが、移動しながら避けることに集中した結果、ほんの少し綻びが出たのだ。
それを大百足は見た。
そして熱に侵された頭で奇跡的に理解する。
忌々しい回復という事象は、あの男によるものだ。
大百足は残った脚を総動員してナスカテスラに迫る。
もはや前衛も後衛も関係ない。
鋭い顎で襲い掛かる大百足にナスカテスラは水の盾を挟むことで隙を作って転がりながら回避したが、がしゃがしゃと地面を掻く脚の群れが真横から迫って小さく呻いた。まるで頭とは別の生き物のような動きだ。
脚に巻き込まれればただでは済まない。
無理やり体を捻って後ろへと跳ぶも、代わりに数多の脚に蹴り飛ばされるような形になった。
それだけなら体の傷はすぐに癒せる。
しかし飛ばされた先にあったのは植物の壁である。
「――ッぁ、ぐ!」
植物にぶつかったとは思えない衝撃が背中と後頭部に伝わり、視界が揺れる。
揺れた後も視界がぼやけているのは吹き飛ばされた衝撃で眼鏡が外れたからだ、と気がついた時にはナスカテスラはあることを理解していた。
恐らく数秒と経たずに意識が飛ぶ。
治療師の短所、それは意識を失うと持続型の回復魔法を維持できなくなることだ。
これから訪れる気絶は脳への衝撃による脳内物質の過剰分泌が原因である。回復魔法をかけたところで、外傷は癒せるだろうが意識が飛ぶことは恐らく避けられない。
分泌抑制にまで効果を出そうと思うのならナスカテスラが得意とするピンポイント回復が必要だが――そもそもこの状態では集中できないため、まず通常の回復魔法ですら正常に発動させられるか怪しいところだった。
あのふたりの戦い方で回復役が抜けるのはまずい。
「……ステラ」
せめて自分が狙われている間に逃げてほしい。
そうナスカテスラはステラリカを見ようとする。
口煩い助手。
可愛い弟子。
そして大切な姪。家族だ。
今ここで失うくらいなら、自分を囮に逃げてほしかった。
しかしぼやけた視界ではどこにいるのかすらわからない。
――ただ、遠くから名前を呼んだのは姪の声だ。
それだけ理解し、ナスカテスラは成功するかもわからない回復魔法を声のする方向にかけると意識を手放した。
オルバート(絵:縁代まと)
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