第370話 行き止まりにて
バルド、ナスカテスラ、ステラリカの三人は行き止まりを前にして唸っていた。
これが初めてのことではない。
どうやら三人が現在歩いている場所は特に入り組んでいるらしく、すぐに行き止まりに阻まれてしまうのだ。初めに落とされた場合のほうがまだ素直な道をしていた。
念のため一度辿り着いた行き止まりには目印を置いておきたかったのだが、あいにくラビリンスの植物は千切ることができないので目印には使えない。
そして地面に文字を書くこともできなかった。
身に着けているものをそのまま、もしくは切って置くのはまだ時期尚早かと控えていたが、そろそろ考えてみるべきかもしれない――とナスカテスラが思っていると、バルドが腕組みをしながら言った。
「行き止まり、何ヶ所あるんだろうな。この行き止まりには初めて来たけど、これまでも何度か同じ場所に当たってるぞ」
「目印もなしにわかるのか?」
「え? あぁ、いや、ここの植物って傷つけられないし動かないだろ。つまり特徴が不動なんだよ」
ちょっと特徴のある葉っぱや枝分かれの角度で覚えてる、とバルドが答えるとナスカテスラは感心した声を漏らした。
「典型的な頭を使わない戦闘タイプだと思ってた! ごめんよ!」
「謝るなら言わずに心の中にしまっといてくれないか!?」
まあ褒められてるっぽいからいいけど、とまんざらでもない様子で呟きながらバルドは来た道を引き返す。
「とりあえず立ち止まってても時間の無駄だ、別のところに行こう。……そういやこの迷宮って迷路の必勝法は使えるのかな」
「必勝法? そんなものがあるんですか?」
「そうそう。左手法ってやつだ。こっちにはないのかな? 常に左手を壁について進んでけばいつかはゴールに辿り着くってやつ。まあここから出たところで他のみんなと合流できなきゃ意味ないんだが……あとこの方法には弱点もあるし」
「けどみんなも出口を探してる可能性があるんで、まずはそこを目指すのもアリだと思いますよ」
ステラリカはそう言いつつ左手を壁代わりの植物に翳す。
かなり時間のかかる方法だが確実性はある。ただし。
「……あ、弱点がわかったぞ! ギミックのある立体迷路だったり、道ごと弄るような可変式だと使えないのか!」
ナスカテスラが手を叩いて言った。
そう、ここは迷宮を模した仮想世界の可能性が高い。
ナスカテスラもそういった類の魔法は使えないが知識としては持っている。
そして実際に体験したことはないが、ヨルシャミの夢路魔法も実体を伴わない仮想世界だ。そこではかなり自由に世界を作り変えられると伊織も言っていた。
ヨルシャミほどの実力者ではないようだが、この世界の主はヨルシャミと同じことはできないと断じるには早いのだ。
「そうなんだよ、通ったところに後から道ができてたらいつまで経っても辿り着かないんだよな。あとここがどれくらい広いかもわからないしさ」
だからひとまずはこの入り組んだ地区から抜け出すことを目標にしよう、とバルドは言いながらなんとなく植物に触れた。
「ん?」
触れた手の平から振動が伝わってくる。
足音、というにはやけに振動数が多く、そして時折とても強い衝撃が混ざっているようだった。
それが徐々に大きくなっていることに気がついてバルドはさっと顔を青くする。
「なんかこっち来るぞ! ここ行き止まりだろ、早くあっちの丁字路まで下がれ!」
「なにかって一体なにが――っわ!」
事態を飲み込めていない様子のステラリカを小脇に抱え、ナスカテスラはバルドと共に走り始めた。
「ナっ……ナスカ叔父さん! ひとりで走れるから!」
「足の長さが違うからね! ちなみに自慢じゃないぞ!」
その僅差で最悪の事態になるかもしれないということだ。
恐らく『なにか』はバルドたちが下がろうとしている丁字路の片側から進んで来ている。つまりこちらから近づくことになるが、このまま行き止まりにいて見つかりでもすれば万事休すだ。
障害物がなにもないせいで隠れることすらできない。
なら丁字路に差し掛かる前に抜けてしまおうという判断だが――それもぎりぎりかもしれない。
振動はもはや手をつかずとも地面からそのまま伝わってくるようになっており、その強さ、速さ共に目を瞠るものだった。
バルドたちから見て道は左右に分かれている。
どうやらその左手側から接近しているらしい。
ナスカテスラはマントをはためかせて一足先に丁字路に突入すると、右へ跳ぶように曲がりながら音の主を確認した。
「なんだあれ! 毛の生えた百足だ!」
「百足!? ……ってことは目撃証言にあった魔獣、ッか、うおっ!」
ナスカテスラに続いて丁字路に入ったバルドは間近まで迫っていた音の主――獣のような体毛を有した大百足を見て声を漏らす。想像よりも大きい。
百本どころではない脚によりまるで地震のような振動が引き起こされていた。
一応『足音』ではあったということだ。
目の作りは百足というより人間や哺乳類に近く、それは他の魔獣にも見られる特徴だったが、今は一目でわかるほど瞳孔が開いている。
動きも出鱈目で、バルドたちを認識はしたものの思ったように動けていないようだった。
(でもそのせいで動きの予想がちっともできないな……!)
予備動作すらなく奇抜な動きを繰り返しているのだ。
それは大百足にも負担があるのかミシミシと軋むような音が響いている。
バルドは幼い頃に飼っていたカブトムシから聞こえた音を思い出し――あ、これ新しく思い出した記憶だ、と目を瞬かせた。
その僅かな動揺は小さな小さな隙を生み、ナスカテスラと同じように丁字路を曲がった先を走り始めるのにほんの一瞬の遅れをもたらす。
大百足が頭を振り上げたと同時に長い触角が鞭のようにしなり、空気を切る音と共にバルドの背中を下から上へと打った。
鮮血が飛び散り、打たれた勢いでナスカテスラよりやや前に押し出されたバルドは着地の一瞬のみ両足に力を込め、そのままなりふり構わず走るのを続ける。
「大丈夫ですか!?」
「なん、の……これしき! とりあえずまた別の行き止まりに出くわす前に距離を稼ぐぞ!」
歯を食いしばりながら足を動かすバルドの背中は真っ赤に染まっていたが、すでに傷は塞がっていた。
叔父に抱えられたステラリカは冷や汗を流しつつも今度は怯えずに言う。
「じ、時間を稼げるか試します! 叔父さん、私を肩に乗せて後ろを向かせて!」
「お安い御用だが勢い余って落ちるんじゃないよ!」
ナスカテスラの片腕に両足を通す形で抱えられたステラリカは叔父の肩越しに魔法を使うと土の壁を作り出した。
地面の土は変形させられないので一から作り出した形になる。
土壁の向こうから衝突音がし、しかし大百足はそこで足を止める気はないのか瞬く間にびしびしと亀裂が広がっていくのが見えた。
それでも距離を稼ぐことはできそうだ。
「ステラリカは土属性だったのか!」
「そう! フォレストエルフに多い属性だね! 我々ベルクエルフは水属性特化に思われがちだが、ただ多い傾向ってだけでそれのみじゃない!」
「おかげで回復魔法は叔父さんみたいに使えませんけど……ねっ!」
ステラリカは土の壁を破られた瞬間に新しい壁を作り出す。
しかしそれだけで息が上がっていた。
「それに、私、魔力を溜めておける器が小さいみたいで……でもあと四回はやれます!」
「むりするんじゃないぞ、ステラ」
姪の背をぽんぽんと撫でながらナスカテスラは走り続ける。
——向かう先には再び分かれ道が迫っていた。





