第367話 反撃の手は
静夏を背負ったランイヴァルは木の陰に隠れると呼吸を整える。
やはり体力と筋力も当時のもの、つまり子供の頃に戻っているらしい。
疲弊するのが驚くほど早かった。
だが他の騎士団員ほどではなく、老人姿の団員も然ることながら、赤ん坊になったベラを抱いているミカテラなど汗だくになっている。
「い、妹、体力、なかったんで……こ、この距離でも、つら……」
「敵の攻撃が一旦止んでいるようだ。ここで小休止に入る!」
ランイヴァルは周囲を警戒しながら静夏を地面に降ろした。
静夏はそのまま自力で立つことはなく、土に手をつく形で座り込む。
「大丈夫ですか、シズカ様。手荒な移動になってしまい申し訳ありません」
「いや、十分気を遣ってくれていたというのに……こちらこそすまない」
今の静夏はほんの僅かな衝撃で気分が悪くなってしまうようだ。
ランイヴァルは荷物から水筒を出そうとして、今はそれすら見えなくなっているのだと思い出して歯噛みする。
身につけたままであるはずのものが感じられない、というのは不思議な感覚だ。
魔法由来の現象だと思えば受け入れることはできるが、忌々しいことには変わらなかった。
静夏は静夏で思うように動けないことをもどかしく思っている。
転生したことでこんな思いからは解放されたと思っていたが、まさかこのような形で思い出すことになるとは、と。
浅い呼吸を繰り返し、その合間に言葉を捻じ込むようにして静夏は口を開いた。
「……敵に心当たりがある」
「心当たり、ですか?」
「もし本当にライフルに近しいものが使われているのだとすると――そのような技術を持ち、そして我々を狙う理由があるのはナレッジメカニクス……私たちと敵対している組織くらいのものだ」
ナレッジメカニクス、とランイヴァルは反芻した。
聖女マッシヴ様一行とたびたび衝突している組織の名前だ。静夏たちが指名手配のために情報を王都に渡したことから、騎士団長であるランイヴァルもある程度は知っている。
「まさかここまでのことが可能とは……」
「銃を使用する敵とはこれまで交戦したことはなかったが、彼らなら十分に可能だろう。これだけ遠くからでも狙えるとなると他のメンバーも心配だ。どうにかして反撃の手を――ッごほ!」
語尾が消えかかったと思った瞬間、そのまま咳き込んだ静夏の姿にランイヴァルは躊躇いながらも背中を撫でた。
雨から少しでも守ろうと体を盾にするも、子供の姿では面積が足らない。
幻覚とはいえ――このままでは静夏がもたないのではないか。
だが回復魔法も幻覚相手にどれほど通るのか。
元の肉体が健康だとすると回復対象とすら見なされない可能性が高い。
早く反撃の手を考えねば、とランイヴァルも気が急くのを感じながら周囲を見た。
「やはり狙撃手の元へ直接向かうしかないのでは……?」
息を整えたミカテラがそう言う。
こちらから遠距離攻撃を行なえない以上、反撃をしたいならそれしかないだろう。
ここに至るまでに何度か試したが地上から上に向かってなにかを打ったり投げるのは途中で見えない壁に阻まれる。
逆に上からの制限はない。これは最初に空中へと放り出されて各所へと落とされた時の特性がそのまま残っているようだ。
迷宮由来の木や植物はその高さだけ制限のかかる高度が緩和されている。
しかし高低差のある場所を探すのに向いた場所ではない。なにせ左右の壁となっている植物でほとんど景色が見えないのだ。
狙撃手のいる木は高いからこそランイヴァルたちからでも確認できるものだった。
あてもなく逃げ回るしかないのか――と思っていると、ランイヴァルは不思議なことに気がついた。
雨が地面と静夏に落ちている範囲が狭い。
「これは……」
自分の手を移動させると、雨が宙で跳ね返っている様子は見えなかったが、元の腕の長さと同じ分だけ雨を防いでいるようだった。
それに気がついた静夏も目を丸くする。
「……私も同じだ」
「肉体に触れた瞬間に幻覚で見えなくなっているようですが、やはり姿形そのものが変わっているのではないようですね」
「しかし煙を払った時はそうはならなかった。……」
静夏は喘鳴の合間に言葉を紡ぐ。
「迷宮由来のものには本来の肉体と同じ影響を与えられるのではないか?」
雨は迷宮由来のもの。
煙は弾丸により発生した幻覚によるもの。
厳密には細かなことはまだわからず情報も足りないが、静夏の言うように仮定することは可能だった。
「つまり、迷宮由来のものを狙撃手目掛けて投擲すれば反撃は可能かもしれない」
「で、でも迷宮の植物は頑丈すぎて葉っぱの一枚も取れませんよ」
ミカテラの言葉に「それは私がどうにかしよう」とランイヴァルが名乗り出る。
「この年の頃にはまだ魔法は使えなかったが――コツはわかっている。水魔法でこの雨を集めて圧縮し、弾とすることが可能なはずだ」
「さっすがランイヴァル様……!」
「ただ、恐らく巨木と同等の高さまで行かなくては見えない壁に阻害されるだろう」
それなんですが、と手を上げたのはミカテラに抱っこされたベラだった。
赤ん坊姿のため流暢には喋れないようだが、必死に舌を使って言葉を伝える。
「かかえられていたからまわりのことをよくみれたんですが、その、こっちへいどうするほど……あのき、よくみえるようになってませんか?」
「……!」
ランイヴァルはそっと死角から顔を出して木を確認する。
ずっと頭を低くして走っていたためわからなかったが、たしかに一番初めに確認した時よりもよく見えるようになっていた。
「なるほど、平坦な地形ではなく隆起した場所もあるということか」
「もし離れていても同じ高さの場所に辿り着けたら攻撃が通る可能性がある、ってことですか」
ミカテラのその言葉に頷き、しかしランイヴァルは唸った。
「迷路のような場所で同等の高さを持つ場所をどこまで探せるか……」
「なにもしないよりいいですよ、らんいばるさま!」
ベラの言葉にまた自分が急いていたことを自覚したランイヴァルだったが、どうにもそれを律せない。
すると静夏が声音を落ち着かせて言った。
「ランイヴァル、私の心配はいらない。慣れている。適した場所を地道に探そう」
「シズカ様……」
急いている理由を見透かされていた。
そう感じたランイヴァルは深呼吸をして頷く。
——弱った静夏の姿が故郷の母と重なって見えたのだ。
今の子供の姿がランイヴァルの思う『弱い姿』だとすると、きっとそれはランイヴァルの過去の体験に影響されている。
ちょうどこの年齢の時分に母が野犬からランイヴァルを守って負傷した。
ランイヴァルにとってはなにも出来なかった自分の象徴でもある姿なのだ。
「……できる限りのことをしましょう」
「よし。ではまず適した地形を探すところから――む?」
ワンワンッと吠えて静夏たちを呼んだのは犬と化したモスターシェだった。
モスターシェは肉球でざりざりと地面をさすり、危険を顧みず先行して移動するともうひと鳴きする。
「……」
「背が低いから僅かな傾斜でも感じ取りやすい、だからここは俺に任せてください、とかですかね」
「翻訳家になれるぞミカテラ」
ランイヴァルの素のツッコミを誉め言葉として受け取ったのかミカテラは照れた。
「なんにせよこの状態では我々も探索向けの召喚獣を呼べません。ここはモスターシェに任せましょう」
「ああ。頼りにしているぞ、モスターシェ」
そう静夏が言うと、モスターシェはもうひと鳴きして尻尾を振った。





