第361話 雨中の狙撃 【☆】
笑みを消したシェミリザはしばらくモニターを眺めていた。
熊の魔獣に移植されたローズライカの脳はほとんどの時間をヒトらしい思考などせず、命令に沿って動くよう調整されている。
しかし移植を行なったのはシェミリザであり、天才的な移植技術を持つローズライカではない。
そのため調整と安定化に手間取り、長い間完成品とは言えない状態だったのだ。
(ローズライカの脳を移植したのは魔獣傀儡化へのアプローチのひとつ……という理由の他に、単純に隠し場所に最適だったからだけれど……)
ローズライカを処分したのはシェミリザの独断である。
他の幹部は知らない。恐らくオルバートも知らないだろう。
必要な時にしか他人に深く接触してこない面子が多い組織だ、特に感づかれることもなくここまでやってきたが――先ほどの挙動は予想外だった。
ドラゴニュートは生命力に溢れている。
だからこそシェミリザの技術でも移植が成功したようなものだ。
魔獣の体で死の危機に瀕した時、シェミリザですら想像もしなかった生命力を爆発させて体を変質させたのだろう。
(この映像は多分オルバたちも見てるわ。まあバレたところでそんなに困りはしないのだけれど……)
ナレッジメカニクスに入った――オルバートと共にナレッジメカニクスを作った目的の達成に難が出るかもしれない。
そういったものは小さな芽でも摘んできた。ローズライカを処分した時のように。
さあどうしようかしら、と考えていると早速インカムから問いがあった。
『シェミリザ、あの反応は初めて見たね』
「ええ、熊の因子の他にあんなものまで持っているなんてデータになかったわ」
しらじらしく言いながらシェミリザは頬杖をつく。
『面白い状態だし、きちんと回収したいんだけれど……随分暴走しているね。道のそこかしこに激突しながら進んでいるよ』
「私もモニターで見てるわ。傷つくのはあの子だけ。けれど即回復しているみたい」
回復魔法でもなんでもなく、ドラゴニュート由来の再生能力だ。
オルバートの不死性には及ばないが怪我を負った先から自然治癒している。
恐らく今頃は人間とフォレストエルフに与えられた怪我も回復しているだろう。
「でも、そうね、予想だけれど体力のほうは無尽蔵ではないわ。いつか疲れて動きが鈍るか落ち着くはず。そこをわたしが回収しに行くわね」
『ああ、宜しく頼むよ。……さて、しかしなかなか上手くいかないものだ。これはいっそのこと僕から迎えに行ったほうが楽なんじゃないかな』
『それをするにしても、もう少し人数を減らしてからにしてくださいよ』
横から口を挟んだのはセトラスだった。
連携をするというよりも利用し合っているだけの組織だが、それでもオルバートは組織のトップである。
それをそう易々と矢面に立たせるのはセトラスとしては反対だった。
ボシノト火山の近くで聖女一行と随分近い位置で接敵したと聞いた時はシァシァとヘルベールを責め立てたくなったものだ。面倒なのでやらなかったが。
人間としてはどうでもいいが、組織のトップとしては失われると現状維持に難が出るのでやめてほしい、というのが本音である。
野犬に狙われた際にシェミリザに小言を言ったのも自分のためだ。
なお、この本音は隠すつもりはなく、恐らくオルバートたちも察しているだろう。
『私もそろそろ動くんで、そういう思いきった行動は後にしてください』
『仕方ないな……わかった。ところでもうひとつやりたいことがあるんだ』
『やりたいこと?』
『ああ。セトラス、君は視界が悪くても行動に支障はないね?』
左目を使うので支障ないですが……とセトラスは訝しみながら答える。
『よし、じゃあ聖女たちの機動力を落とすために天候を変えてもらう。霧と雨だ、まあ効果としては雀の涙程度だろうが試してみよう』
どうやらラビリンスの地形を弄るのは集中と時間が必要だが、天候等を弄るのは比較的簡単らしい。
インカムの向こうでオルバートが協力者に指示をした。
そして――
「……ねえ、オルバ。これ、わたしたちのいる所にも降るのね?」
シェミリザは褐色の肌を叩く雨粒に目を細めながら笑った。
インカム越しにオルバートが唸る。
『そうみたいだ。天候を局地的なものには……ああ、そうか、できないらしい。うん、仕方な――あっ』
立ち上がる音とばたつく音。
そのふたつが聞こえてシェミリザは首を傾げた。恐らくセトラスも同じだろう。
しばらくしてオルバートがいつも通りの落ち着き払った声で言った。
『PCが防水じゃないのを忘れていたよ。今傘をさしたのと雨避けの大きなキノコを生やしてもらったから大丈夫だ』
「あら、ふふ、メルヘンな光景ね。見れなくて残念だわ」
『そっちは大丈夫かい?』
「わたしも魔法で弾くようにしたわ。機材もね。セトラスは?」
『濡れ鼠ですよ』
じつに短い返答がとても不機嫌な声音で、その光景を想像したシェミリザはくすくすと笑った。
「人為的に降らされた雨でも恵みの雨よ、その恵みにあやかりましょう」
『ローズライカみたいなことを言わないでください。――ああ、来ましたよ』
インカムの向こうでセトラスが静かに言う。
『聖女マッシヴ様と騎士団です』
***
雨の中、セトラスは迷宮内で最も背の高い木の上にいた。
迷宮由来の木であるため、ここのみ天井の制限が高い。
セトラスにはもってこいである。
(……いや、そういう風に作られた場所ですか)
協力者の使うラビリンス魔法は数日に及ぶ下準備は必要なものの、発動前ならある程度は先に形を決めることが可能で、セトラスらの得意とすることを聞いた協力者が各自に合った場所をいくつか用意したのだ。
シェミリザは魔獣の監視をしながら召喚獣をけしかけられるように茂みの中に隠して作られたアーチ状の通路を使っている。
生成に時間はかかるもののナレッジメカニクスのメンバー用ショートカットルートも都度都度作られ、セトラスが他の場所にもある様々な高台を行き来できるようにしてあった。
(まったく、甲斐甲斐しいことで)
正直な感想を抱きながらセトラスはケースの留め具を外す。
――中に収まっていたのは先日使用したものとは別のライフル型の銃だった。
聖女たちと戦闘になると決まった後に急遽セトラスが組み上げたもので、弾の発射にシェミリザから提供された風属性の魔法を使用している。
通常の仕掛けより長距離の狙撃も可能だ。
スコープはない。
後で付けられるようにはしてあるが、それが必要になった場合、その時の自分はほぼ戦闘不能と言って差し支えないだろうとセトラスは思っていた。
なにせ今回使用する左目の義眼はカメラアイだ。
これを用いれば狙撃にスコープはいらない。
ただし使いすぎると思考が鈍くなる。
(長期戦闘には向かないんで早めに終わらせたいところですね。……さて)
眼帯を外してライフルを構え、セトラスは左目のみで標的を見た。
聖女は殺すことを禁じられているため、狙うとすれば騎士団だ。
一撃目はボーナスタイム、外さなければ高確率でひとりは削れる。そのひとりを誰にするか考えながらセトラスは引き金に指をかけた。
(……統率している男がいますね。あれにしますか)
茶髪の精悍な顔つきの男性だ。
観察していると事あるごとに他の騎士団のメンバーに指示を出しているとわかる。
セトラスは標的を決めるなりなんの躊躇いもなく発砲した。
この距離だと弾の到達に八秒ほど要する。
それまでの様子もつぶさに観察していたセトラスは――そう間を置かずに口を半開きにした。
命中する、と思った瞬間に聖女が動き、あろうことか筋肉をしならせて放った手刀で弾を叩き落としたのである。もちろん素手だ。
弾は地面で跳弾して明後日の方向へと消えていく。
「……いやいやいや、聖女じゃなくて魔王かなにかじゃないですか、あれ」
セトラスは思わず眉をハの字にした。
予想していたデータ以上の反応速度だ。しかも手が赤くなった程度で済んでいる。
恐ろしいものを見てしまった。
しかし別段心折れたということはない。
「終わった後に相当の阿呆になるでしょうが……仕方ないですね」
全力で相手をしましょう、とセトラスは深呼吸する。
ただ、早めに終わらせたいという願いは叶いそうにもなかった。
ことみやさん(@4m8cm)が描いてくださったシェミリザです。
ありがとうございます!!(掲載許可有)
※イラストがリンクのみの場合は左上の「表示調整」から挿絵を表示するにチェックを入れると見えるようになります(みてみんメンテ時を除く)





