第355話 これが杞憂というもの
「おや、思ってたよりバラけなかったね」
各所の監視カメラの映像を見ていたオルバートは正直な感想を口にした。
この監視カメラは元々施設に設置していたもので、ラビリンス魔法の発動時にそのまま再利用したのだ。
ラビリンスは広大なため数は足らないものの、ララコアでシァシァに貰った移動可能な小型カメラも放ってあるためそう不便には感じない。
オルバートの感想に協力者は不機嫌そうな表情をしたが、反論はしなかった。
「ふふ、わかっているよ。強力だからこそ制御が難しいんだろう」
わかっているなら言うな、という顔を続けてされたオルバートだったが、まったく気にしていない様子でモニタリングを続けた。
「シェミリザ、セトラス、持ち場についたかい? 藤石伊織をこちらへ誘導するが、それ以外の行動は未知数だ。そちらで牽制するなり先手を打って数を減らすなり……まあその辺は任せるよ」
耳元のインカムから返事が返ってくる。
心底嫌そうなセトラスの声だ。
『一戦交えることになるだろうとは思っていましたが……随分と好戦的ですね』
「ラビリンスのデータもまだ不完全だったし、こういった特殊な仮想世界でのデータにも興味があるんだ。ああ、けれど聖女とその息子は殺さないように頼むよ」
他はどっちでもいい、とオルバートは感情なく言った。
そこへシェミリザの声が割り込む。
『オルバ、魔獣は使ってもいいの?』
「そうだね……百足はまだ不安定だから保留、もう一体の方は担当の君が問題なしと判断するならいいよ」
『ありがとう、そろそろ実戦もさせてみたいと思っていたの』
シェミリザはそう嬉しげに笑う。
オルバートはあちらには見えないと知りつつ頷いた。
「よし、それじゃあ始めようか。ちなみにラビリンスの特性……ここに入った者は道から外れることが許されない、これは君たちにも適用されるから注意してほしい。ただし」
そのままオルバートは隣に立つ協力者を見上げる。
「――ズルいけど、その『道』は彼が自由自在に作ってくれるから存分に活かしておくれ」
***
地面に放り出されたサルサムは咄嗟に衝撃を分散させるように転がって着地し、ミュゲイラはなんとそのまま両足でズシンッと着地した。
どんどん聖女じみてないか、という感想を抱きながら立ち上がったところで、遅れて落ちてきたリータを見つけたサルサムはぎょっとした。
この体勢、そしてこの距離からだとキャッチが間に合わない。
彼女は姉と違って自前の両足で着地などできないだろう。
そしてミュゲイラは後ろを向いているため、まだリータの存在に気づいていない。
(声をかけたところで間に合わない……転移魔石は?)
はっとして転移魔石を使おうとしたが、なぜか転移は発動しなかった。
そうこうしている間にリータが地面と接触――しかかったところで、あろうことか彼女は地面に向かって特大の炎の矢を放って落下のスピードを殺し、ついでに逆流した熱波を利用してふわりと着地した。
その衝撃にミュゲイラが驚いて肩を跳ねさせる。
「うおっ、びっくりした! リータもこっちに落ちたのか!」
「私もびっくりしたけど成功してよかったぁ。お姉ちゃんは怪我はない?」
「あたしはこの通りピンピンしてるぞ!」
「サルサムさんは……」
「……」
なんで黙ってるんだよ怪我ないだろ、とミュゲイラが言ったが、サルサムは気が抜けたように浮きかけていた腰を地面に下ろした。
それぞれ落下した高さは異なるものの、リータは相当な高さから落下したはずだ。
だからこそ心配したわけだが、じつに純度の高い杞憂だった。
「いや……本当、杞憂っていうのはこういうことを言うんだなと思ってな」
「……? とりあえず怪我がないならよかったです。でもここってどこなんでしょうね、さっきまで細い下り道だったはずですけれど……」
それなんだが、とサルサムは改めて起き上がると転移魔石をふたりに見せた。
「まだ魔力は十分残っているはずなのに発動しなかったんだ。リータさんの魔法弓術は使えてたから、どうやら移動系の魔法がなんらかの方法で禁じられてるらしい」
「まさか認識阻害魔法ってやつの仲間か?」
「いや、この変な場所そのものに関わることじゃないかと踏んでる。なにせ見えるものすべてが異質な場所だ。この空だって……なんというか、本物じゃない気がする」
サルサムは月の浮かぶ空を見上げた。
一目で不自然に感じるというのもあるが、自分たちが実際に外にいた時間と月齢が異なるのである。
雨が降っていたため月は雲の向こうに隠れてはいたが、サルサムは大雑把ながら今夜の月齢を覚えていた。その記憶と齟齬があるわけだ。
リータもおずおずと道の左右を挟む植物を指す。
「これもおかしいんです。多分逃げる時に邪魔になると思って、さっきの私の矢の余波で燃やそうと思ったんですが……」
「そ、そこまで考えてたのか」
「ふたりの姿が見えたので、少しでも選択肢を増やしておいたほうが良いかなと」
はにかんで笑いつつリータは植物に近づき、生えたままの葉を指にのせる。
「見てください、少しも焦げてない。……何者かがこの道を通ること以外を禁じてるんでしょうか」
「その可能性はあるな。ひとまずこの三人だけでも離れずに進んで――」
ずしん、と。
ミュゲイラの着地の際に出たのと似た音が道の向こうから聞こえてきた。
しかし仲間の誰かが落ちてきたというわけではないらしい。
突き当りから左右に伸びた道の向こうから『なにか』が歩いてくる音だ。つまり足音である。
サルサムは咄嗟にリータだけでなくミュゲイラごと庇うように片腕を伸ばして前方を睨みつけた。
足音の主が道の先に現れる。
それは一言で言えば熊だった。
薄汚れてゴワついた毛皮を持つ、身の丈三、四メートルはあろうかという熊だ。
ただし顔には傷痕の隆起した縫合跡がいくつも走り、目は血走っている。すでに泡を吹いている口元を見ると瀕死に思えたが、足取りだけははっきりとしていた。
鋭い爪は派手な黄色をしており、様子はおかしいが魔獣だろうと三人は身構える。
「おい、あれって迎え撃つべきか逃げるべきかどう――」
「来たぞ!」
「早ぇ!」
問いをすべて口にできないままミュゲイラが叫び、リータがすぐさま炎の矢を魔獣に向かって射ったものの、分厚い毛皮に弾かれてしまった。炎に耐性があるようだ。
それを見たサルサムはすぐさま判断を下す。
「場所も相性も悪い。一旦逃げて態勢を整える!」
「お、おう!」
「はい!」
そうして背後から響く恐ろしいほど重い足音を聞きながら、三人は熊とは反対の方向へと一斉に走り出した。





