第353話 夜の森で見つけたもの
血痕があったのは山中だ。
しかし居住区から遠く離れているわけではなく比較的山の浅い位置だった。
それもあって人の手が入っていない鬱蒼とした森といった雰囲気ではないが、夜の暗闇に包まれた中でなにかを探すということには向いていない。
それでもひとつ手がかりがあったのなら周囲でなにか見つかるかもしれない。
そう判断したヨルシャミたちは班分けをし、それぞれ彼の召喚した灯り代わりの火の玉を連れて調査を進めていた。
「同じような血痕が続いてれば魔獣の行動が掴めるかもしれないんですけど……」
「あれ以外見かけないな」
伊織の言葉を継いだサルサムが額の汗を拭う。
梅雨の夜の気温はほどほどだが、湿度が高いせいか動き回っていると暑く感じた。
伊織は隣を歩きながら周囲を見回すリーヴァに声をかける。
「リーヴァはなにか気になるものはあった?」
ワイバーンは人間より夜目が利くという。
そのため先ほど伊織が呼び出して協力してほしいと頼んだのだ。
バイクのヘッドライトで照らす手もあったが、小回りと燃費と伊織以外とのコミュニケーションを考えるならリーヴァのほうが適役だろう。
ちなみにウサウミウシは寝ている。
リーヴァはわざわざ伊織に向き直って首を横に振った。
「今のところ変わったところはありません。が、お任せください。私の目はとても多くの情報を得ることができます」
「うん、頼りにしてるよ」
「例えば、あの石の陰にダンゴムシが四匹、そのうち三匹がメスです。鳥が眠り木に選んだあそこの木には合計三十六羽の鳥がひしめき、そのうち十八羽が――」
「た、頼りにしてる! 頼りにしてるから!」
伊織は無表情のままふんすふんすと鼻を鳴らすリーヴァを宥める。
なぜかやる気満々だ。
「……ニルヴァーレ様が召喚した者には負けません」
ああ、だから張り合っていたのか、と伊織はなんとなく理解した。
リーヴァにとってニルヴァーレは前の主。
そんな彼が召喚した召喚獣に、今の主人が召喚した自分が負けるわけにはいかないと考えたらしい。
「その……リーヴァ的にはやっぱり今の状況は複雑?」
「複雑とは?」
「ええーっと……」
「前のマスターが今のマスターに憑依して色々とやってるわけだからな」
サルサムの補足でリーヴァは質問の意図を理解したのか頷いた。
「複雑とまでは思っておりません。辞めた会社の元上司が度々現在の勤め先に現れ、今の上司と仲良くしているのを眺めている、といった心境です」
「それ複雑な心境ってことじゃないか……?」
「更に正確に言うと元上司が自分の父親と仲良くしている感じです」
「やっぱり複雑な心境だよな!?」
それには答えず、リーヴァは「イオリ様に良き結果を贈ります」と宣言して再び調査に戻った。
「……父親は大変だな」
サルサムのそんな呟きに伊織は曖昧に笑う。
世間一般的な父親像とは異なるかもしれないが、たしかに大変ではあった。
しかしテイムの結果とはいえ父親のように慕われているのは嫌ではない。
「そういえばサルサムさん、サルサムさんも解毒剤って調合できるんですか?」
魔獣には毒があるかもしれない。
ふとそんな予想を思い出した伊織はサルサムにそう訊ねた。
薬草を用いて調薬したり気付け薬を作っていた彼ならできるかも、と思ったのだ。
サルサムは難しい質問ではないといった様子で軽く答える。
「ああ、できるぞ」
「わ、よかった。ナスカテスラさん曰くステラリカさんも作れるそうなんですけど、こういうのって出来る人が何人かいたほうがいいじゃないですか」
解毒魔法を使える者、解毒剤の作り方を知っている者。
それは毒を有しているかもしれない敵を相手にする際に貴重な人材となる。
集団で動くようにはしているが、もし分断されてしまったり貴重な技術を持つ者が真っ先にやられれば仲間全体のリスクが上がるのだ。
そのリスクの軽減には、やはり技術を持っている者がより多くいるという状態にするのが好ましい。
サルサムは伊織の頭を見下ろす。
「……そうだな。それにお前は特に必要だろ」
伊織は回復魔法が効きにくい。
その一端を担っていた呪いは滅したが、根本的な理由――回復の効果をもたらそうと体内に入った魔力が効果を発揮する前に焼き尽くされてしまう、というどうしようもない理由はどうしようもないままだった。
恐らく同じ原理で解毒魔法も効きにくいだろう。
伊織は「お世話おかけします」と申し訳なさそうに笑った。
「まあそんなに気にするな、俺ができるサポートの一環なら手間は惜しまない。こっちが勝手にやってることだからな。ただ解毒剤の調薬には――」
そう言いかけたサルサムの声を遮るようにリーヴァが「気になるものがありました」と報告した。
リーヴァを見たふたりは彼女の視線を追って更に目を動かす。
暗く、シルエットのようになった木の幹と葉。
その奥に盛り上がったものが見えた。
「……木のうろ?」
「いや、どちらかといえば木の根で作られた穴……だな」
血痕から近いというわけではないが、遥か遠くというわけでもない。
動物の巣のようにも見えるが――魔獣が潜んでいる可能性もあるのではないか。
ふたりとも同時にそう思い至り、そろりと視線を交わしているとリーヴァが伊織の顔を覗き込んだ。
「突入しますか?」
「えっと、この辺の担当は僕らとランイヴァルさんたちだけだから――」
「突入しますか?」
「わくわくしてるなぁリーヴァ!」
私が見つけたので、と胸を張るリーヴァをえらいえらいと撫でながら伊織はサルサムを見上げた。
「中が気になるけど……ひとまずヨルシャミたちに伝えましょう」
「そうだな。それにただの動物の巣穴や自然にできた穴でした、っていう場合でも判明すれば情報になる。準備を整えてから調べよう」
遠目に見ても穴は深そうだ。
確認するなら各班が集合してからのほうがいい。
そう判断した伊織たちはリーヴァに位置を記憶してもらい、来た道を一端引き返していった。
***
シェミリザはオルバートの傍らに控えながら話を聞いていた。
突如訪問した協力者は不安――というよりも不満を口にしている。
聖女たちが本格的に動き始めた。
自分は見逃すことしかできなかったが、本当にこれでいいのか、と。
その不満はこの場所が聖女に見つかり、オルバートたちになにかあれば約束はどうなるのか、という心配に起因するものだった。
オルバートは表情ひとつ崩さずにそれを聞く。
(真摯に耳を傾けているように見えるだろうけれど……これ、自分たちは本当は成果を放り出してもまったく惜しい気持ちがないんだけれどね、って顔だわ)
シェミリザはほぼ当たっている予想をしながら笑った。
協力する代わりに傀儡化した魔獣を一匹与える。
それが協力者への報酬だ。
意のままに操れる強力な魔獣がいれば里の周辺の情勢を一気に変えることが可能だろう。協力者自身の安全も確保できる。
だからこそ、協力者はそんな魔獣を長期間手元に置いておきたいのだ。
魔獣に相当する強さの召喚獣は永続召喚をするにも技術が必要で高難度である。
普通の者はこんなことは考えないだろうが――魔獣を手懐けたほうが早い、という結論に辿り着いたのが協力者である『彼』だった。
傀儡化した魔獣などシェミリザにとっては無用の長物だ。
研究対象にはなるが、身を守るために利用するにはコストがかかりすぎる。
しかし回復魔法には優れるものの攻撃魔法の才能は劣るベルクエルフには必要なものなのだ。回復をかけながら戦えば普通の魔獣なら討伐が可能で、時折バトルセンスに恵まれた者も生まれるが、なにかを守ろうとするには運任せにも程がある。
だから、傀儡化した魔獣はそんな人物への『魅力的な餌』にするのに丁度いい。
協力者はもう千年以上もナレッジメカニクスに土地を貸し続けている。それほど欲している力ということだ。
(可哀想に、どの道あの聖女が本気を出せば大抵の魔獣は役に立たないのにね)
一番初めに協力者に話を持ち掛けた張本人。
その時の記憶もしっかりと持ったまま、しかしシェミリザは他人事のように協力者を憐れんだ。
——そこへ鳴り響いた警報は昨夜聞いたものと同種のものだった。
つまり出入口に使用している穴のセンサーに小動物以上の大きさ、もしくは二足歩行の生き物が近づいたということを表している。
「……ちょっと失礼」
そう断りを入れてオルバートは手元にノートパソコンを引き寄せた。
映し出されたのは監視カメラの映像だ。
魔獣の脱走を受けて各所に設置したものである。
「聖女一行と騎士団だ。そうか、見つかったのか」
「あら、ごめんなさい。認識阻害はしてるけれど、オーラや魂に対するものだから物理的に出入口が見つかるとどうしようもないのよね」
まったく悪びれていないシェミリザに協力者が苛ついた表情を向けた。
しかしまだ物理的に穴が見つかっただけ、ということは聖女たちは『魔獣がいるかもしれない』と思っていても『ナレッジメカニクスがいるかもしれない』とは思っていないはず。
しばらく考えていたオルバートは「よし、仕掛けよう」と呟くと、協力者に向かって片手を伸ばして言った。
「――ここで『ラビリンス』を発動してもらってもいいかい?」





