第350話 煙と語る 【★】
得た情報を夜に集まってシェアすることを数日続けた頃。
そろそろ期日が近いということもあり、明日は少し強引な手で魔獣の痕跡探しをしてみようという話になった。
ヨルシャミ、伊織、そして騎士団のサモンテイマーであるミカテラとモスターシェが索敵に適した召喚獣を呼び出し、里とその周辺を総ざらいする。
夜行性の可能性を鑑みて夜間に行なうが、恐らく住民からの反発もあるだろう。
それほど閉じた里の中で行なうには強引な作戦だ。
「しかし現状を見るに人海戦術なしでどうにかなるとも思えん。囮を出すのも……効果はあるかもしれんが、まずはその前にこの手を試してもよかろう」
「里長には話を通したのか?」
サルサムが訊ねるとヨルシャミの代わりに静夏が答えた。
「ああ、住民に危害が加わらないように配慮するなら許すと答えをもらった」
「さっすが姉御、ぬかりないっすね!」
ミュゲイラは指を組んで目をキラキラとさせる。
エルセオーゼとしても思うところはあるだろうが、解決を望んでいるのか強い反発はなかった形だ。
場合により魔力消費が激しくなることも予想されるため、今夜は早めに休み、当日も夜までは激しい動きはせず準備に勤しむことと相成った。
(……といっても僕はワイバーンとバイク以外はまだ呼び出せないから、またニルヴァーレさんの力を借りることになるんだけど)
つまり頑張るのもニルヴァーレだ。
魔力操作や魔力譲渡はある程度なら上達したが、なかなかどうして新規召喚は難しかった。やはり魂との繋がりが上手く作れないのだ。
元々ある道を使うのと新規に道を敷くのとでは労力も技術も異なる。
そんなことを考えていると目が冴えてしまい、伊織は寝る前に少し気分転換をしよう、とベランダに出て――先客に目を丸くした。
「ナスカテスラさん?」
ベランダのふちに肘をつき、夜風に緑色の長い髪をなびかせていたのはナスカテスラだった。
それだけなら大して驚きはしない。なにせ同室なのだから。
伊織が目を瞠ったのは彼が煙草を吸っていたからだ。
「おっと、すまない。たばこはにがてかな?」
ナスカテスラはたどたどしい口調ながら声をひそめて問い掛ける。
伊織は首を横に振った。
「煙たいのは苦手ですけど……それ、良い匂いなんで大丈夫です。ミントですか?」
「そうそう、依存性ゼロの嗜好品さ! ……ここいがいじゃめずらしいものでね、それにステラがやめろとうるさいから」
里から出ている間は禁煙してたんだ、とナスカテスラは言った。
ラタナアラート周辺に自生しているミント系の葉を使って作られた煙草で、サイズは日本でよく見かけるものに似ているが、中の葉は乾燥させてなお紫色をしている。
一歩間違えば毒々しく見えるが、どことなくハロウィンのようなポップさを醸し出していた。
ナスカテスラは薄紫色の煙を輪っか状にして吐き出してみせる。
「お、かなりひさしぶりだけどできたできた」
「わあ……器用ですね、楽しそう……」
「イオリもやってみるかい?」
そう問われて伊織はぎょっとした。
前世の年齢と目覚めてからの時間を足してもぎりぎり二十歳に足りていない気がする。そもそも肉体年齢は十代前半だ。
異世界ならいいのだろうか、と考えたところでこの煙草自体が前世のものとは別種だしなと更に考えるはめになった。
「き……気になりますけど、母さんが見たら心配しそうなんで今はやめときます」
「そうかい?」
「代わりに僕がこっちの世界で二十歳になったら試してみていいですか?」
二十歳になにかあるのか? とナスカテスラは不思議そうにしていた。
が、それはともかく伊織からの提案は嬉しかったのか指と指の間で煙草をぴこぴこと動かしながら「もちろんいいよ!」と笑う。
「そういえば……今日は自室に帰らなくてよかったんですか?」
ナスカテスラの自室は先日の整理整頓作戦で綺麗になっている。
あれからナスカテスラはそちらで寝泊まりするようになっていたが、今日は作戦会議の後に遅い時間になったからとそのまま泊っていくことになったのだ。
モスターシェが再び可哀想なくらい緊張していたが、今は部屋のベッドで鼻ちょうちんを出しながらスヤスヤと快眠している。
泊まると決めた際のナスカテスラはなかなかの即決っぷりだったが、時間を考えるとエトナリカが弟の分も含めて食事の準備などをしていたのではないか、と伊織は心配したのである。
ナスカテスラは珍しく悪そうな顔で笑うと「まさにこれのためさ」と煙草の煙を空に向かってフーッと吹いた。
つまり今ここでたまたま吸っていたのではなく、吸うためにここに来たのだ。
初めからそれが目的だったならエトナリカたちへの宿泊の連絡は最初にしていたのかもしれない。
伊織は納得しながら「家だとステラリカさんに怒られるからですね」と笑い返す。
「そうなんだ、この煙草は体に害はないって何度も説明してるのに信じてくれなくてね! ……まあ、おれさまもこどものころはわるいものだとおもっていたが」
「ステラリカさんは叔父さん相手だと心配性になりますもんね」
心配ご無用なのに何故だろうねとナスカテスラは口先を尖らせた。
「ナスカテスラさんは、その、王都に行くまではステラリカさんと一緒に旅をしてたんですよね? 里から出るのは怖くありませんでしたか?」
「ずいぶんむかしのはなしになるなぁ……まあこわくはなかったよ、むしろ」
この里の中で何千年も淡々と生きて人生を終えるほうが怖かった、とナスカテスラは言った。
ベルクエルフは回復魔法に優れていること、そして閉鎖的な思想であることが多いため他の長命種の中でも平均寿命が長い部類なのだという。
そういえば里でセラアニスさんを知るベルクエルフは全員千歳以上ということになるのか、と思いながら伊織はナスカテスラの言葉に耳を傾けた。
長命種の肉体的な寿命はとても長い。
代わりに子を持つことに積極性が薄く、世界に広がる人間の人口に追いつくことは早々ないという。
そんな彼らは大抵が本来の寿命を終える前に怪我や病等の理由で命を落とす。
これによる危険が少ないが故に、ベルクエルフは特に優れたところがあるわけでもない一般住民にも数千歳級の者がごろごろいるらしい。
まあ俺様は外の世界でも生き永らえてきたからそれだけ優秀ってことだが! とナスカテスラは鼻高々に言った。
こういうところはヨルシャミに似ている。
「だがステラにはちょっとむりをさせてしまったかなぁ」
「無理を? ……その、ナスカテスラさんに弟子として同行したのは本人の意思じゃなかった、とか……?」
「いいや」
ナスカテスラは首を横に振る。
ステラリカは本人の意思で里を出た。
すでに放浪しては時折里に――というよりも、生家に戻ってきていたナスカテスラを見て「自分も外の世界を見たい」と思うようになったのだという。
そしてある日、母親に掛け合って弟子として叔父についていく道を選択した。
エトナリカも強く反対はせず、それどころか以前からナスカテスラにだけ娘の旅立ちを願うことを仄めかしていたため、母と娘の話し合いはステラリカの決意を試すことが主軸だったようである。
「ステラがいっしょにくるようになってからも、ときどきここにかえってたけどね。やはり……年若い者には過酷だったろう! なにせこの俺様が行きたい時に行きたい所へ行く旅だ!」
そこ自信満々に言っていいんですか!? というツッコミを伊織はすんでのところで飲み込んだ。
特に初めの頃はステラリカも今ほど強かではなく、しょっちゅう泣き言を口にしていたという。
やっぱり里を出るんじゃなかった。
外に良いことなんて少しもない、と。
決意はあっても過酷さをニコニコと笑って享受できるほど強くはなかったのだ。
そのたびにナスカテスラは帰るなら家までちゃんと送るよ、と伝えていたが、なぜかそれが癪に障ったのか愚痴を振り撒きながらもしぶとくついてきたらしい。
負の感情を口にするのは発散方法のひとつであり、ステラリカにとって今後も頑張るための手段だったのだろう。
しかし、ある時からその愚痴がぴたりと止んだ。
「イオリには話してなかったな……」
ナスカテスラはそう言いながら煙草を口元から下ろす。
——自分の声のみが聞き取りにくくなる呪い。
そんな地味な、しかし確実に生きづらくなる呪いをかけられたきっかけは逆恨みによるものだった。
ナスカテスラはその『逆恨みで呪いを寄越した馬鹿』と知り合ったのが、じつはステラリカ経由だったんだと語った。
「ステラはまだ人生経験が浅いというか、人の悪意に不慣れだったんだね! そしてあろうことかそいつはステラを騙して搾取しようとしたんだ! だから俺様がコテンパンにしてやったら……いやあ逆恨みされたされた!」
「随分明るく言いますね……!?」
「ふふふ、落ち込んだって碌なことにならないだろう?」
しかしステラリカはそれを自分のせいだと感じたらしい。
それ以来ステラリカは前のように激しい泣き言を言わなくなり、見聞きしたものを学び、回復魔法の才能は皆無だったが――他の知識は豊かになり技術も身についた。
そして弟子から助手へと昇格したのである。
「かわりにずいぶんとくちうるさくなったが……それがあのこのいいところだ」
「……わかります」
「ありがとう。ステラが今どんなことを考えて物事を学んでいるのかは俺様にはわからないが……まあ、大切な家族には変わりないよ!」
伊織も何度か感じていたことだが、ナスカテスラも家族を大事に思える人物だ。
スパンが長い上に色々と理由をつけてはいるが、故郷に定期的に帰っているのもそういう理由からだろう。
そう改めて思った伊織は彼に親近感を感じながら微笑んだ。
そこへ少し湿気を孕んだ風が吹きつける。
「……おっと、少し暖かい季節に入ったとはいえ夜風に当たりすぎたか! 大切な作戦の前に風邪でも引いたら大変だ!」
「でもナスカテスラさんならあっという間に治してくれるんですよね?」
「おや……ふふ、もちろん!」
でも寝不足はどうしようもないから、お喋りはここまでにしよう。
そう言って煙草を消し、部屋の中に戻りながらナスカテスラは伊織の肩をぽんぽんと叩いて小声で言った。
「きみがハタチになったら……さいこうのたばこをごちそうしてあげるよ」
二十歳なんてあっという間だろうが約束は忘れないよ、と。
そんな言葉に、伊織は紫色の煙を思い返しつつ「……はい!」と小声ながらはっきりと答えた。
煙草とナスカテスラ(絵:縁代まと)
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