第348話 セラアニスについて
セトラスは撃つよりも射ることに慣れている。
そんな彼が戦うことがあるのなら、本来ならば慣れた得物を使うべきだが――それが心底嫌になってから数百年経つ。もはや弓矢を手に取る気にさえならない。
銃は転生者の知識を図面に起こして作成したものだ。
魔法の得意な者には無用の長物かもしれないが、個人では魔法の使えないセトラスには向いている。護身にも活かすことができた。
拳銃ならまだ『マシ』だ、とセトラスは思う。
ただ気分は悪い。
「……」
久しぶりに発砲した。
大百足が逃げ出さなければ必要なかった行為だ。そう思うとなんとも言い難い気分になったが、表立って愚痴を零すとオルバートを責める形になるため心の中に留めておく。
拳銃の手入れを終えたセトラスは短く溜息をついてからそれを仕舞った。
弓と同じで拳銃にも獲物を狙うという作業がある。
今日の距離なら片目でもなんとかなったが、対象から離れればカメラアイも使用しなくては碌に当たらなくなるだろう。銃とはそういうものだ。
取り回しが悪いため今日は使っていないが、スコープの付いたライフルも用意してある。しかしそれを使う機会がないことをセトラスは祈った。
銃を使いたくない。
弓は更に使いたくない。
そうオルバートに申告すれば他の道を示してくれる可能性がある。
倫理観の欠如した長だが、理由もなく無理難題を押し付けるタイプではない。
しかし無条件に頷く人間ではないので、嫌う原因を話す必要は出るだろう。
セトラスは発砲を嫌う理由を話すつもりはなかった。
オルバートもシェミリザも大枠は把握しているが、改めてこの話に自分から触れることがセトラスは嫌なのだ。
思い出すことで嫌な気持ちになるとわかっている記憶をわざわざ引っ張り出すなど愚かな行為である。
ならば我慢をするしかない。
(――はあ、本当に不快なことばかりですね)
狙ったものに当てられない。
自分のものを他人に変質させられる。
このふたつがセトラスの長い人生で未だに心を抉る不快な対象だ。
敵を撃つという行為は常に前者の危険を孕み、銃を持つという行為は常に後者の危険を孕む。自らリスクを作り出しているに等しい。
最後に楽しく獲物を狙い、射貫いたのはいつだっただろうか。
ついそんなことを考えてしまい、なんて無駄な考えを、とセトラスは無理やり思考を打ち切った。
だが――ここしばらくはそれ以外にも不快に感じる要素が多く、ストレスで胸が重くなるのを感じている。どうしてもそれは無視しきれない。
(ひとまず憂鬱なのは……もし聖女一行と衝突するのなら、再び発砲が必要になることですか)
だから戦いたくないのに、とセトラスは予定になかった戦闘に頭を悩ませながら片目を閉じた。
***
バルドは大きく伸びをしながら伊織とヨルシャミの後を追う。
気分転換にと静夏からマッスル体操を勧められた時は驚いたが――いざやってみると色々と吹っ切れた行動のためか楽しかった。
しかも普段はやらないポーズばかりであり、きっとこんな機会でもなければ一生サイドチェストやサイドトライセップスを決めることはなかっただろう。
それに、好きな女性とならなにをやっても楽しいものだ。
もちろん隣に伊織がいるのも悪くなかった。彼は終始どこか遠くを見ていたが。
(それに……)
夢見の悪さは未だに続いていたが、日中の眠気には慣れた気がしていた。
改善ではなく慣れただけだ。
あまり良い傾向ではないのはわかるが、耐えきれない眠気にイライラするよりはマシだとバルドは思った。
だが注意力が散漫になり、手がかりを見落とすことだけは避けたかったため、バルドはいつもより注意して周囲を見る。
すると少し離れたところでベルクエルフが歩いているのが見えた。
騎士団が滞在している間は用もなく出歩くことを控えているのか、外でベルクエルフを見かける確率はとても低い。
珍しいな、とバルドが注視していると、それが一度見たことがあるベルクエルフだと気がついた。
「おい伊織、ヨルシャミ。あそこにいるのってここの里長じゃないか? 名前はなんてったっけ……エルセオーゼ?」
「む? ……たしかにそうだ。方向的に家に戻るところのようだな」
里長として動き回らざるをえないことも多いのだろう。
家を留守にしていることも多いと聞く。
この後すぐの訪問なら家にいるということか、とヨルシャミが呟いた。
「あいつからはもう先に静夏が話を聞いたんだろ?」
「いや……それ以外にずっと悩んでいることがあってな」
「ヨルシャミとセラアニスさんについて話すか迷ってたんだ。……そういやバルドもセラアニスさんとは面識ないんだっけ」
あの時はバルドも前の村に取り残されていたため、合流する頃には普段のヨルシャミに戻っていた。静夏のパターンと同じだ。
「ああ、話には聞いてるけどな」
「どうにも里自体がキナ臭く感じてしまってな、セラアニスにとっても重要な件故に慎重にと思っていたのだ。……だがセラアニスも里の現状を受け入れ、そして死の真相を知りたいと願っている。起こせる行動は起こしておいたほうがよかろう」
「そういうことなら話すのもアリだろうが……エルセオーゼからすれば死んだ娘の体を檻代わりに使われてるようなもんか、その辺のケアも考えないとな……」
急いて得られるものもあれば失うものもありそうだ、とバルドは眉根を寄せる。
「――うむ、そうであるな。ここで突発的に突撃するよりも、対策を考えた上で余裕を持って話しに行けるようにしよう」
そうヨルシャミが頷いた頃にはエルセオーゼの姿は見えなくなっていた。
さて、今日は我々も聞き込みだ、と改めて歩き始めたところで「すみません」と声を掛けられる。とても控えめな声だった。
振り返るとおどおどした様子のベルクエルフの男性がいた。
まさかベルクエルフ側から声をかけてくるとは思っていなかった三人は目をぱちくりとさせる。
「なんだ?」
「その、もしかして……セラアニス様の遠縁の方で?」
伊織とヨルシャミは顔を見合わせ、そして頷き合うと男性の前へと進み出た。
「如何にも。お前はもしやリラアミラードのベルクエルフか」
「はい、こちらに移ってきた者のひとりです」
「なら丁度いい。今この里に出ると言われている魔獣についての聞き込みをしている。それに加えて訊ねたいことがあるのだ」
訊ねたいことですか? と男性は首を傾げる。
ヨルシャミは自らの顔を指した。
「セラアニスについて聞かせてほしいのだ。……そんなに私と似ているのかと気になってな、その様子だと本人を知っているのであろう?」
男性はこくりと頷く。
「私――ああ、申し遅れました。ベルスミスと申します。私はリラアミラードにいた頃はエルセオーゼ様のお宅の雑用をしておりました」
男性、ベルスミスはそう言うと頭を下げた。
伊織たちが想像していた以上にセラアニスと近しい人物だ。
だからこそわざわざ向こうから声をかけてきたのだろう。ベルスミスは「私の話でよければぜひ」とヨルシャミたちを自分の家へと招く。
ベルスミスの家は里の外側に近い位置にあった。
中央ほど古参のベルクエルフ――生まれも育ちもラタナアラートのベルクエルフが多いため、後から移住した形になるリラアミラードのベルクエルフは自然と人の少ない外側へと分散することになったのだという。
そのぶん、ひと気が少ないからこそ色々と目にすることも多かったそうだが、ベルスミスは魔獣についてはなにも知らないらしい。
「野犬がうろついているのは見かけましたけれど……件の魔獣はまだ見たことがないです。私としてはこの野犬のほうを先にどうにかしてほしいのですが……」
「ただの犬じゃないのか?」
首を傾げるバルドの前にお茶を置き、ベルスミスは頷いた。
「病に侵された犬なのです。その病に侵された犬は凶暴になり、夜間に行動して不利有利関係なく襲ってきます。皆さんもお気をつけください、傷を負わされるとこちらまで侵され、高位の回復魔法が必要になってしまうので」
「なんか狂犬病みたいだな……」
ぽつりと呟いたバルドの言葉に伊織も頷いた。
狂犬病と似た病か、もしくは転移者により持ち込まれた狂犬病そのものか。
後者だが異世界で変質した新たな狂犬病という可能性もある。
なんにせよ魔獣以外にも気をつけなくてはならないなと伊織は姿勢を正した。
「それと、セラアニス様についてですが、雑用の身のためほとんどお会いすることがありませんでした。けれど一度……私が仕事で失敗して庭で落ち込んでいた時、心配して声をかけてくださったのをよく覚えています」
セラアニスは雑用のベルクエルフにも分け隔てなく接する少女だった。
ベルスミスが他の仕事仲間に訊ねたところ、同じように良くしてもらった者が何人もいたのだという。
セラアニスさんらしいな、と思いながら伊織は耳を傾けた。
「セルジェス様もお優しい方でしたが、セラアニス様は輪をかけてお優しかった。親しくせずとも我々には自分たちが仕えるべき尊いものだという共通の認識があったように思います。……それなのに」
ベルスミスは表情を曇らせる。
嘆いているような、辛そうな顔だ。
「……まだお若かったというのに、急逝されたのです」
「――死因についてははっきりしているのか?」
「ずっとご病気を患っていたとお聞きしました。あのお優しい笑顔の裏でつらい思いをされていたのだと思うと私は……」
涙が出そうになったのか、ベルスミスは「失礼します」と言って鼻をすする。
「ですが、エルセオーゼ様やセルジェス様のほうが何倍もつらかったでしょう。その後に魔獣に里が襲われるまで、ずっとセラアニス様の部屋をそのままにしてらっしゃいました」
そこでベルスミスは言いづらそうにしながらヨルシャミに視線をやった。
話すべきか、話さざるべきか、そんなことを迷っているように見える。
「ベルスミスよ、なにかあるなら話してほしい」
「……っ」
そうヨルシャミに――セラアニスと同じ声のヨルシャミに言われ、ベルスミスは小さな声を更にひそめて言った。
「私たち使用人とご家族以外は知らないことなのですが……」
一呼吸分の間を置き、しかしそのまま黙ることなくベルスミスは口を開く。
「……セラアニス様のご遺体が盗まれた、という話がありました」





