第343話 まさか泣くほどとは!
呪われた魔力を釣り出して、闇で包み込んで滅する。
何度もそれを行なっているうちに『魔力を見えやすくする』というお香の効果なのか、伊織の目にもうっすらと魔力らしきものが見えるようになった。
黒い背景に粉雪を放り投げたような、きらきらとした小さな粒だ。
ヨルシャミも同じように見えているのかはわからないが、相当小さいため伊織は見えていても捕まえられる気がしなかった。
呪われているか否かの判別も肉眼では不可能である。
それでも興味本位で自分の体を見たところ――お香の効果があってもまだ外に出ていない限りは見ることが叶わないのか、なにも見当たらなかった。
(体の中の魔力や魂でさえ把握するヨルシャミにはどう見えているのか少し気になるところだなぁ……)
くすぐったさに耐えながら伊織がそんなことを考えていると、唐突に暗闇から伸びてきたヨルシャミの手が伊織の顔面をがしっと掴んだ。
まるでアイアンクローである。
「ぬう、まだ逃げるか……! 大人しくお縄につけ!」
「んくっ!? らんれふひほひらはへるろ!?」
「なんで口を開かせるの、か? 今この辺にいてな、少しでも見やすくしようという努力だ! 我ながら涙ぐまし……よし、もう一匹見つけた!」
ヨルシャミに顔を掴まれる形で口を開かされていた伊織は舌が擽ったくてジタバタと暴れた。
味覚が戻る予兆――などではなく、逃げ回る呪われた魔力たちとそれを追うヨルシャミの魔力のせいだ。
ナスカテスラ曰く、本当はこれだけ暴れられたらヨルシャミと同じく流血沙汰らしいが、体内に魔力を多く溜め込めるためか伊織は内側がとても丈夫なのだという。
これを第三者に知られたら更にインナーマッシヴ様などと呼ばれそうだ。
伊織としては由々しき事態のため、進んで口にすることはないだろう。
「うぅ、……ヨ、ヨルシャミ、こうやって釣り出せるならゴーストスライムも同じ方法で引き出せたんじゃ?」
「良い着眼点だ。しかしやってる間に私が襲われるな!」
この魔力釣りは一対一で落ち着いて行なう必要があるらしい。
なら少しでも暴れないように頑張ろう、と伊織は気合いを入れ直したが――体を内側からくすぐられると言っても過言ではない稀有な体験に慣れることはなかなかできず、結局何度も暴れてはナスカテスラに押さえつけられることになったのだった。
そんなこんなで一時間ほど釣っては潰し、釣っては潰し、というまさに虱潰しのような地味且つ地道な作業が続いた。
伊織には「原因となる呪われた魔力を突き止められれば一瞬でかたが付くんじゃないか」と思っていた部分もあった。
もちろん現実はそんなに甘くはないだろうという予想もしていたが、想像以上だ。
やはり魔法といえども万能というわけではないらしい。
だがほんの少しずつでも進めれば終わりに近づいていくのはどんな事柄にも共通したこと。
三百二十四匹の呪われた魔力は着実に数を減らしていき、そして――
「……ラスト一匹だ、……っ終わった!」
「……! 終わった!? よ、よかった、ありがとうふたりとも……!」
「おお、おめでとう! そしてお疲れさま、五十回ほど死にかけたねヨルシャミ!」
今もまた死にそうだ! とヨルシャミは緊張を解いて脱力すると背筋を伸ばした。
傷ついた体内はナスカテスラの回復魔法で癒されたが、呪われた魔力を潰す際の魔法はヨルシャミが自前の魔力を消費して行なっている。
小規模とはいえ何十回と連発するのは堪えるらしい。
「ヨルシャミも本当にありがとう、大丈夫か?」
「うむ、あの魔法は多重契約結界にさえ穴を開けられるほど強力なものでな、出力は抑えたがそこそこ疲れた」
「……」
「そのうちこういった小規模用に改良してもよいかもしれん。今だと出力を抑えるほど魔力消費が激しくなってコスパが悪い」
「……」
「イオリ、ヨルシャミが敵でなくて本当に良かったね!!」
さらりとラキノヴァの結界を破れるという宣言をしたヨルシャミは「なんだ、どういう意味だ?」と首を傾げている。
伊織はナスカテスラを見上げるとにっこりと笑った。
「はい、でも……こういうちょっと天然なところも可愛いんですよ」
「……君もそこそこ同類だな!」
さて、とナスカテスラはイスから立ち上がると部屋の明かりをつけた。
魔石の明かりに照らされた伊織は目を細める。
光に慣れるまで動けないなと思っていると、ナスカテスラだけ難なく歩いてなにやら作業をしている気配が伝わってきた。
「す、すぐに動けるなんて凄いですね……!」
「眼鏡を得るまでは至極最低な視界で生活してたからさ、文字を読むのは難度が高いが大雑把な日常的動作なら目を瞑っててもできるよ! ……あちっ!」
なにか零したらしい。
伊織がツッコミを入れるべきか迷っていると、ナスカテスラが戻ってきたのか暗い影が頭上から落ちた。
「よーし、仕上げだ! 今まで呪われた魔力により阻害されていたかもしれないからね、今一度俺様の回復魔法をかけるよ!」
「……! よ、宜しくお願いします!」
ナスカテスラは袖を振るうように腕を動かすと伊織の脳にピンポイントで回復魔法をかける。
限られた範囲に集中して回復魔法をかけることで効果を増す手法は彼が得意とするものだ。
それは三秒に満たない時間で終わり、伊織はようやく慣れてきた目をうっすらと開いてナスカテスラを見上げた。彼は笑みを浮かべている。
「終わりました……?」
「終わったよ! どうだい、味覚のほうは?」
「口の中の味がするようなしないような……」
「ふふふ、やはり判別には味がしっかりついたものでないとね! さあどうぞ!」
ナスカテスラは笑みを浮かべて片手に持ったカップを差し出した。
どうやらお茶を淹れていたらしい。
伊織はありがたい気持ちになりながらそれを受け取り、口に近づけたところで――視界の端でヨルシャミが驚愕の表情をしているのに気がついた。
しかし、時既に遅し。
ナスカテスラのお茶を口に含んだ伊織は石化したかのように固まった。
辛くて苦くて後味が甘い刺激物だ。
特にスパイシーさが大活躍している。なぜ大活躍してしまったのか。
飲み込めないまま口の中に残していたものの、そうするとエンドレスで舌を刺激されるため、伊織はか細い声を漏らしながらどうにかこうにか飲み下した。
その動作で再び味を色濃く感じ取ってしまい、えずきそうになってむせ込む。
「おぉ、やったね!! 無反応の時とは大違いだ!」
「ナスカテスラよ、さすがに数ヵ月ぶりに感じた味が例の茶なのはあんまりにもあんまりではないか……!」
「しかも改良して芳醇な辛みを際立たせてみたよ!」
「あんまりにもあんまりではないか……!!」
そうヨルシャミが背中を撫でたおかげで伊織も大分落ち着いた。
少しは抗議しようと伊織も顔を上げたものの、今度はヨルシャミとナスカテスラが固まってきょとんとする。――鼻水と涙で顔がべしゃべしゃだったのだ。
辛さと咳き込んだことと久しぶりの刺激によるものだったが、サッと青くなったナスカテスラは大いに慌てた。
「えっ、ええーっ! すまない! まさか泣くほどとは!!」
「へぁ!? いやその、これは」
「イオリよ、とりあえずこれを使え……」
差し出されたヨルシャミのハンカチを受け取りつつ伊織は「これは刺激が強かったからで……!」と説明したが、混乱しているせいか元から聞く耳がないのかナスカテスラは謝りながらあやすように頭を撫でるとすぐに水を用意した。
「そうだ! 甘い飴もあげよう! イチゴ味とメロン味どっちがいい? ブドウ味もあるよ! なんなら秘蔵のプリン味をあげてもいい!」
「完全に幼児扱いになってる!」
「ここは全部あげちゃおう!」
両手の平にざらざらと飴を落とされ伊織は目を白黒させる。
しかし後で口直しに使えそうだ。
「とっ……とりあえず! 僕は大丈夫です、味覚は戻ったみたいなのでここは喜びましょう! そしてありがとうございます!」
「本当に大丈夫か? 本当の本当に?」
終始ヨルシャミの半眼に晒されながらナスカテスラはそう食い下がったが、伊織が何度も首を縦に振るとようやく安堵したのかイスに腰を下ろして「呪い除去おめでとう!!」と大声で祝った。
――なお、これはナスカテスラが「とりあえずお前も飲んでおけ」とヨルシャミに例のお茶を口に突っ込まれる数秒前のことである。





