第334話 心の中に。
ラタナアラートの現状。
セラアニスの故郷、リラアミラードの顛末。
里を襲った魔獣の件もはっきりと伝えた上で、伊織とヨルシャミは順番に現実世界で得た情報をセラアニスに話した。
足を揃えてイスに座り、相槌を打っていたセラアニスは時に顔を曇らせ、時に眉間の力を抜き、時にスカートを握り締めながら聞き入る。
息をのむことはあっても決して報告を邪魔することはなかった。
そうして最初から最後まで話を聞き終える。
故郷の死を理解した彼女は――まず最初に伊織たちに向かって深々と頭を下げた。
「包み隠さず話してくれてありがとうございます、イオリさん、ヨルシャミさん」
ショックが大きすぎるだろうからと伏せる選択肢もあったはず。
しかしふたりはそれを選ばず、セラアニスにすべてを打ち明けた。
それはセラアニスが自分の死の真相を知るという決意をした以上、知るのを避けては通れない過程のひとつだからだ。
決意を尊重し、真摯に向き合ってくれたふたりにお礼の気持ちを伝えた後、しかし堪えきれずにセラアニスは小さく鼻を啜った。
「あれから……千年の時が経っているとお聞きした時、もう私の知る故郷はないかもしれないって覚悟はしたんです。ただ、それには現実味が伴っていませんでした」
ヨルシャミとの記憶の共有である程度のことは感覚的に知っていたが、彼の正確な性別のように把握していないこともあった。
経過した時間を知ることができたのも、伊織たちが話したからこそだ。
それからまだそう時間は経っていないが、セラアニスは受け入れたつもりでいた。
しかし感情はそう素直に受け入れられるものではなかったらしい。
ただの情報として見るのと、そこから湧いた感情を通して情報を見るのとでは扱い方が異なるのだ。
「いくら長命種とはいえ、齢が百を越えるまでは時間の経過する感覚は人間のそれに近い。致し方のないことだ」
ヨルシャミはセラアニスを見守りながら言う。
セラアニスが生きていた頃、彼女はまだ年若い部類のベルクエルフだったという。
少なくともヨルシャミよりは年下だった。
ナスカテスラのように地続きで千五百年の時を生きることが可能な種族ではあるものの、時間に関する感覚はまだ未成熟だったわけである。
「セラアニスよ、お前の故郷は現実では失われてしまったが……存在ごと消えたわけではない。故郷というものはな、忘れなければ心の中に在り続けるものだ」
「ヨルシャミさん……」
「それに住民も一部はラタナアラートで生きている。……お前の家族を含めて」
セラアニスはヨルシャミの言葉にこくりと頷いた。
「お父さまもお兄さまも生きていてよかったです」
セラアニスの父、エルセオーゼは責任感の強い人だった。
故郷ではない土地の里長を務める心労は計り知れないが、きっと里を良い方向に導いてくれるはず。
兄のセルジェスは正義感があり、妹のセラアニスにも優しく接する人柄だった。
今も父の補佐に奮闘していることだろう。
そう、ふたりとも新しい環境で頑張っている。
自分だけ懐かしい故郷に後ろ髪引かれている場合ではない、とセラアニスは笑みを浮かべてみせた。
「ふたりともお母さまを亡くしてからずっと、私をしっかりと育てようと頑張っていました。けれど今はみんなのために頑張っている。それを聞いて元気が出ました。もちろん悲しい気持ちはなかなか消えませんけれど……私は大丈夫です」
家族の吉報を心の支えにセラアニスは微笑む。
伊織は心配しつつも少し安堵した。
もし自分の故郷――まだ心の中では故郷と思っている日本の町がなくなってしまったとしよう。そんなことになれば、家族が無事だったとしてもすぐにここまで気丈には振る舞えないだろう。そう伊織は思う。
彼女が無理をしているのではないかという心配はある。
しかしセラアニスの毅然とした表情は、ここで根掘り葉掘り訪ねて本心を晒させるのは野暮だと感じさせるものだった。
「セラアニスさん、引き続き里の人から話を聞いて、真相についてわかったことがあったら伝えますね。……その、未だに里長さんとセルジェスさん、それにナスカテスラさんのお姉さんとくらいしか会話できてないんですが……」
少し情けなさそうに言うとセラアニスは「いえ! 期限があるのにありがとうございます……!」と首を横に振った。
その夜はしばらくセラアニスと取り留めのない会話をし、久しぶりに外へと連れ出して訓練の光景を見学してもらった。
気分転換になればという思惑だったが、リハビリの意味も兼ねている。
そうしてセラアニスとニルヴァーレの前から現実世界へと去っていったふたりを見送り、セラアニスは振っていた手を静かに下ろした。
「……」
「……」
「眠り姫……いや、セラアニス」
ニルヴァーレが腕組みをしながら隣のセラアニスを見下ろす。
「僕もね、もう死んでるも同然なんだよ。まあ本質はちょっと違うし、新たな人生をあのふたりに歩ませてもらってるようなものだが」
「ニルヴァーレさん……?」
「死人に口無しって知ってるかい?」
まあ僕はちょっと饒舌な類の死人だが、とニルヴァーレは笑いながら肩を竦めた。
本来の意味とは違うものの、なにを言わんとしているか察したセラアニスは目を細める。
「イオリさんたちの前で悲しめなくても、今は自由にしていいよってことですね?」
「ご明察。……僕ぁ美しいもの以外はどうでもいいたちなんだが、君のことはイオリたちから聞いた話でそこそこ気に入ってるからね」
それにイオリたちにとっても大切な子のようだ、とニルヴァーレは続ける。
「なら僕でもそれなりに気遣いはするさ。光栄だろう?」
「……ふふ、光栄です」
深呼吸したセラアニスは伊織とヨルシャミが消えた方向を見遣る。
その方角にある、というわけではないが、薄皮隔てた向こう側に現実世界があるのだろう。
もはや自分では自力で手の届かなくなった世界が。
そこに、故郷はない。
(でも――そう、ですね。心の中にはまだ残ってる)
兄と駆け回った裏手の森も。
母が亡くなる前、木の実採りの帰りによく連れて行ってくれた広場も。
父が集会の帰りに一服していた井戸も。
祭りで使用する、里のシンボルにもなっていた立派な大樹のツリーハウスも。
ひとつひとつ丁寧に思い出した後、セラアニスはニルヴァーレを見上げた。
「じゃあ目一杯悲しむ前に……ひとつお願いしてもいいですか?」
「ん? なんだい?」
「まだプレイしたことのない『かくげー』を教えてください」
ストレス発散にもってこいなんですよね、と。
そうセラアニスが笑うと、ニルヴァーレは「もちろん!」と親指を立てた。





