第331話 ウサウミウシの意思
訓練より疲れたのではなかろうか。
倉庫の出入り口脇に腰を下ろし、両足を放り出した伊織は肩で息をしながら天を仰いだ。疲労困憊である。
ここで晴天でも見えれば気分転換になったのだが、生憎と木々の間から覗いている空は曇天だ。雨が降っていないだけ良しとするしかない。
倉庫は一軒家に等しい広さで、しかも中は柱以外に区切りがなく、そこに棚が並んでいる形式だった。つまり普通の家よりも収納力に優れている。
――優れすぎている。
ここまでギチギチに詰めてスペースを有効活用しなくてもいいのにとも思う。
伊織はだるくなった両腕を揺らして深呼吸した。
(目当てのもの以外にも山ほど謎のアイテムがあったけど、その大半がビックリするほど重いんだもんなぁ……もっと鍛えないと……)
しかも貴重なものも多く、例えるなら一台ウン千万する高価な検査器具をせっせと運ぶような場面もあったため、余計に体に力が入ってしまった。
もし落としても弁償しろとは言われないかもしれないが、伊織は恐らくなんとかして払おうと慌てただろう。
なお、ヨルシャミはまだ倉庫の中で奔走している。
どうやら整理整頓に対する謎の情熱に火がついたらしい。
「……ん?」
ひとまずこの後のためにも休憩はしっかり取ろう、とゆっくりと呼吸をしていると不意に脇に置いたカバンがごそごそと動き始めた。
にゅっと姿を現したウサウミウシが大きく欠伸をする。
「ずっと寝てたのか?」
そう声をかけて腕を伸ばすと、ウサウミウシは手を包み込むように乗りかかる。
そしてそのまま伊織の腕を這い上がってきた。
相変わらずの独特な感触だが、どんなことにも『慣れ』は起こるのか今はもう総毛立つことはない。
二の腕の手前で止まったウサウミウシはぴぃぴぃと鳴く。
飯の催促ではなく挨拶のような気がした。
「なんか、一度くらいはお前の夢の中とか覗いてみたいなぁ、……」
伊織はウサウミウシと目を合わせる。
なにを考えているかわからない目だ。
感情表現に使われることは稀で、その役割はもっぱら口と眉間のしわが担っている。表情による感情伝達のバリエーションの少なさが『ウサウミウシはそんなにコミュニケーションを必要としない生き物』だということを表しているかのようだった。
しかし伊織はきちんとした返答がないとしても、ウサウミウシに訊ねてみようと決めたのだ。
「……なあ、ウサウミウシ。これからもずっと僕らと一緒にいたいか?」
落ち着いてから、と思っていたが今が良いタイミングだと伊織は思った。
そう訊ねるとウサウミウシは小さな目で瞬きすることもなく伊織を見上げる。
言葉の内容を咀嚼しているのか、それともなにも考えていないのかはわからない。
ナスカテスラはこれだけ訊けばいいと言っていたが、伊織はほんの少しだけ言葉を重ねた。
「テイム状態で訊くのはズルいかもしれないけどさ、リーヴァは僕のことを親だと感じるようになるって言ってたから……その立場から訊くよ。一緒にいてもいいし、自由になりたいなら反対しない。むしろ支援する。僕の意思に従わなくていい」
その上で「どうする?」と訊ねると、ウサウミウシはにゅっと顔だけ伸ばした。
カバンの中から外を窺う時の仕草だ。本当に顔だけ伸びるので少し驚くような光景だったが、伊織はジッと見つめ返す。
ウサウミウシは伊織をよく見た後、ぴい! と大きく鳴いて顔を元に戻し、腕の上から跳ねて伊織の足の間に着地した。
その場に落ち着いて寛ぎ始めたウサウミウシを見て伊織はきょとんとする。
(これはたしかに解釈に困るけれど――)
悪い反応ではない気がした。
ウサウミウシは落ち着いた様子のまま再び鳴き、伊織を見上げてくる。
「……良いほうに受け取るぞ?」
笑いながら伊織はウサウミウシの頭を撫でた。
なんだ、こんな簡単なことだったんじゃないかと思いながら安堵する。
もしこれからウサウミウシの意見が変わるようなことがあれば、その時はもう一度訊ねてみよう、と伊織は決めた。
きっと次も答えてくれるだろう。そんな確信がある。
「あとは、そうだなぁ……ミッケルバード探しは躍起にならない程度に続けようか。お前は僕らと一緒にいるにしても、他のウサウミウシもちょっと心配だしな。多分その住処はナレッジメカニクスに知られてるわけだし……」
ウサウミウシの種族としての性格の基本がこれだとすると、各地に散らばっているのは些か心配になる。
ミッケルバードだけでなく一時期いっぱいいたのに最近めっきり見ない、というのも各所に散り散りになっているからだろう。
クズの尻拭い。
――などという言葉が頭の中に浮かんでしまったが、尻拭いというよりは伊織が気になるからやりたいという気持ちに近い。
もし永続召喚をキャンセルして送還できるなら、一匹ずつ探し出して意思確認をして、必要ならば帰してやりたかった。
どのみち魔獣退治や世界の穴探しで様々な場所へ行くのだ。
目標のひとつに加えてもいいかもしれないなと考えていると、こちらに近づいてくる足音が耳に届いた。
「おや、休憩中か。大丈夫かい?」
そう声をかけてきたのはエトナリカだった。家事が終わったので手伝いに来てくれたらしい。
伊織は情けなさそうに笑いながら立ち上がる。
「すみません、ちょっと想像以上でした。でも回復してきたんで戻りますね!」
「こらこら、その回復って二割程度だろ? アタシがナスカテスラに喝を入れて効率を上げてあげるよ」
「そ、それはちょっと可哀想な気が――」
「あとステラリカが家でパンケーキを焼いてるからさ、よかったら後で昼ご飯として食べてっておくれ」
あ、それは効率が上がる情報かも、と伊織は姿勢を正した。
腕の中のウサウミウシも両耳をぴんっと立てている。
味はわからなくても腹は空くものだ。
空きっ腹に焼き立てのパンケーキの香りはご褒美である。少なくとも伊織にとってはそうだった。
「あはは、そのぷよぷよした生き物のぶんもあったから安心しな。さて、中の様子を見てこようか」
エトナリカは倉庫の扉を開いてずんずんと中へ進んでいく。
「……ご褒美があると二倍頑張れるよな?」
そう小声で問うと、ウサウミウシははっきりぴぃと鳴いた。
この返事の意図することは簡単にわかる。渾身の同意だ。
ああ、だとするとさっきの返事も良い方向に解釈するなんて余地がないほど同意してくれてたんじゃないか、と伊織は笑った。
そのまま「よし、もうひと踏ん張り頑張るぞ」と。
そう気合いを入れたところで、なにをしたのかエトナリカが消えていった倉庫の中から「痛い痛い!」というナスカテスラの叫び声が再び聞こえてきたのだった。





