第322話 ローズライカ 【★】
今夜は訓練はせずセラアニスと過ごすことを優先しよう。
それも、できれば楽しく。
夢路魔法の世界では時間を気にしなくていいが、後に訓練が控えているのといないのとでは違いが出るというものだ。
なら「折角なのだから」とそういう話になり、小屋の中でお茶と様々な菓子を広げることになった。菓子はそれぞれ伊織、ヨルシャミ、ニルヴァーレの記憶から再現したものだ。
クッキー、マフィン、ケーキ、マカロンなど菓子屋かと思うほど種類がある。
それらを眺めながら伊織は笑みを浮かべた。
「あー……ちゃんとしたお茶会だ……」
「ちゃんとしたお茶会?」
しみじみと呟いた言葉にセラアニスが首を傾げ、伊織は頬を掻いて答えた。
「こないだおばあちゃんのお茶会に行ったんだけど、匂い的にクッキーがオニオンフライの味だったんですよね……」
「オニオンフライ!?」
「あとお茶だと思ってたらコンソメスープで」
「お茶だと思ってたらコンソメスープ……!?」
今度はヨルシャミとセラアニスが声を合わせてぎょっとする。
そういえばあの奇異なるお茶会の詳細についてヨルシャミにも話していなかった。
「あの後は騎士団の訓練で忙しかったもんな……」
「し、失礼ながら詳細を知る前に呼ばれる機会がなくてよかったと言っておこう」
でも香りだけでも美味しいのは美味しかったんだよ、とフォローする伊織を見ながらセラアニスが首を傾げる。
「ところで――イオリさん、おばあさまがいらしたんですね」
「あっ、はい、僕もつい最近知ったんですが、……」
伊織はちらりとヨルシャミを見た。ヨルシャミは片方の眉を上げてみせる。
「セラアニスならば話してもいいのではないか?」
「……うん、話が噛み合わなくなっちゃうかもだしな」
先ほど順を追って話をした際、きっと混乱してしまうからと王都に着いてからのことは伏せていたのだ。
セラアニスは不思議そうな顔をしながらふたりを交互に見ている。
伊織は意を決して彼女に王都であったことを話した。
「セラアニスさんは千年前の人ですし、里からもあまり出たことがないって聞いてるんでピンとこないかもですが……この国の王都はわかりますか?」
「ええ、はい、本で読みました。あと直接は聞いていないんですが、王都から来たっていう旅人さんもいらっしゃいましたよ」
「その王都に住んでる王族の人……っていうか、王様と王妃様が僕の母さんの両親だったんです」
きょとん、としたセラアニスは薄緑色の目を何回も瞬かせながらも言葉の意味を理解しようとした。
伊織の母親は聖女マッシヴ様。
セラアニスは彼女と終ぞ会う機会はなかったが、聖女マッシヴ様が王の娘であったとすると、息子の伊織は王の孫ということになる。
セラアニスは目を輝かせて言った。
「イオリさん、王子様だったんですね……!?」
「お、おうじさま……」
むず痒そうにしながら「孫だから王子とはちょっと違う気がする」と伊織は思う。
ひとまずセラアニスの興味はそこにあるらしく、大きな混乱はなかったのが幸いだった。
先ほど会話に出てきた『騎士団』もベレリヤ騎士団だと伝え、王都の防衛強化や魔獣への抵抗力を強めようと駆けずり回っていた話をする。
しかし最後に王宮へ入る際にとんでもない仮装――変装をすることになった話をした結果、セラアニスは結局「ば、ばにーぼーい? ウサギの男の子ですか? ……猛獣使いにもこもこクマさん……!?」と混乱するはめになったのだった。
様々な話をした後、起きたらみんなにセラアニスのことをどう話そうかと相談していると、ニルヴァーレが「そういえば」と市松模様のクッキーを齧りながら言った。
「ヨルシャミの脳移植を行なったのはローズライカという女だよ」
お菓子を齧りながら言う話じゃないな、というのが伊織の頭の中で真っ先に浮かんだ感想だった。
ヨルシャミは手に持っていたカップを下ろして眉を顰める。
「……ローズライカ?」
「移植を得意とする幹部のひとりでね、あと面倒臭い宗教感を持ってたかな……びっくりするほど交流がなかったから今の今まで忘れてたけど、たしかそういう名前だったはずだ」
ニルヴァーレは先ほど脳移植の話を聞いていた際に引っ掛かるものがあり、ずっと考えていたらしい。妙に静かだったのはそれかと伊織は納得した。
聞き覚えは? と彼に問われたヨルシャミは一旦目を伏せて記憶を探り、そしてもう一度名前を呟いて目を開ける。
「一時期王都で話題になっていた気がするな……猟奇殺人を行なった医師の話だ。たしかその医師の名がローズライカだった気がする」
「お、それを足掛かりに何か思い出せそうだぞ、……」
そうだ! とニルヴァーレは勢いよく手を叩いた。
「手当たり次第に移植実験をしこたま行なって追われていたところを組織が勧誘したって聞いたな! よくあることだが!」
「それをよくあると言うな……!」
「ナレッジメカニクスは欲を大切にする組織だよ。まあ既に知ってるだろうが」
そんな場所じゃ頻発もするさ、とニルヴァーレは肩を竦める。
「彼女から脳移植の方法を聞き出せればいいんだが、交流がなくてもわかるくらいここしばらく姿を現してないんだよね……」
「誰か探しに行ったりはしないのか?」
「個人的に仲良くしてる相手ならともかく、うーん、同じ幹部程度じゃね……技術が必要になったら探しに行くだろうけど」
伊織は菓子に伸ばした手を一旦止める。
ナレッジメカニクスは組織としてとても危うい作りをしているとは感じていたが、構成員の仲間意識は思っていた以上に薄いらしい。それにニルヴァーレが裏切ったことすら把握していないのだ。
互いに利用し合っているだけのコミュニティ、そんな印象を受けた。
そしてそれは間違っていないのだろう。
「今がまさに技術を必要としているわけだが、肝心の僕がこんな状態だからなぁ。組織を裏切ったことはバレていないが、それをアドバンテージにできるほど自由に動けないのが惜しいところだよ」
そう言って、ニルヴァーレは指先についたクッキーの粉を舐め取った。
***
地下に巨大な木の根が蔓延っている。
そんな湿った土の匂いが立ち込める空間の中、一匹の魔獣が低く呻いていた。
熊に似た体躯を持ち、全身を覆う群青色の毛は薄汚れた人間の髪に似た質をしている。動物のそれではない。
呻きが漏れる口から泡が流れ出したところで、木の根が作る細い道の向こうからシェミリザが現れた。
靴音を響かせて魔獣に近づいたシェミリザはにっこりと微笑む。
「あら、苦しい? ちょっと待ってなさい、今お薬をあげるわ」
シェミリザはそう言うとキャスターの付いた作業台を引き寄せ、トレーの上から注射器を取ると慣れた手つきで魔獣の体にそれを注入した。
魔獣はぶるぶると体を細かく震わせた後、突如眠りに落ちたかのように四肢を弛緩させる。
バイタルチェックを済ませたシェミリザは小さな手で魔獣を撫でた。
「ふふ、魔獣だから見様見真似でも定着したけれど、やっぱり難しいものね。長く生きているとこういう向き不向きが如実に出てつらいわ」
くすくすと笑いながらシェミリザは渦巻いたツインテールを揺らし、魔獣の瞼に触れる。
肉厚なその瞼の向こうで眼球が怯えるように動いた。
「でも、あなたが悪いのよ。オルバにあんなことをしようとして」
ナレッジメカニクスに入ればどんなことをするのも自由。
でも、わたしの邪魔をするなら話は別。
そう言いながらシェミリザは幼い我が子でもあやすそうな声音で言った。
「ちゃんと反省するのよ、ねえ――ローズライカ」
ヨルシャミとヨルシャミ(絵:縁代まと)
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