第316話 ナスカテスラの相談 【☆】
ステラリカは机にかじりつく叔父の背中を見ながら紅茶を淹れていた。
(イオリさんたちが来てから本当イキイキしてるなぁ……)
姪の目から見てもそれは明らかで、それまでは衣食住を保証されながら好きなだけ実験や新しい魔法の創作に時間を費やしていたものの、どこか刺激が足りていないように見えたのだ。
王都に居つくまでナスカテスラとステラリカは師弟として全国各地を巡っていた。
言葉の通じない土地や人の住んでいない土地に赴いたこともある。
ナスカテスラは攻撃魔法も使えるが、やはりそこは治療師。
戦闘時は力技で進めない限り決定打に欠けるため、治療師見習いとして同行していたはずのステラリカは戦闘に向いた才能を開花させてしまった。しかしそれはそれで一緒に行動をするならバランスが良かったといえる。
王都で足を止めてからは戦闘の機会も減った。
ステラリカも叔父の世話を焼きつつ治療に関する技術を磨くことができ、今では弟子ではなく助手として働いている。
しかし二人旅をしていた時の溌溂さを思うと、今の叔父はやはり色々と物足りないのだろうなと感じていたのだ。
それでも王都を離れないのは――ナスカテスラは「滞在は一時的なものだし、メリットも大きいからね!」などと言っているが、多重契約結界に参加し、いざという時の王都防衛の要になることができるかもしれないから、と自らを国の保険にしているようにステラリカは思う。
ナスカテスラは『危険な場所へ赴くこと』そのものは好まない。
いわば王族専門医のような今の立場なら騎士団に同行して戦わされることもなかった。それを喜んでいる節もある。
しかし、きっと王都に何者かが攻め込んでくるようなことがあれば率先して出ていくだろう。今回のゴーストスライム事件のように。
(何代か前の王様と友達だったんだっけ、……私ももし友達の子孫が暮らす国があったら親身になってあげたくなるかも)
長命種にとって人間は儚い存在だが、友人になることはできる。
そして人間の血筋を地続きで観測することができるため、当の人間たちにとっては遠い昔の人物でも、親しかった友人の子孫ならばと一肌脱ぐことを厭わない感覚を持つ者が多いのだ。
もっとも、ただの一般人だと長い時間の中で血筋を保証するものがなくなり、少し目を離している間に行方知れずになることも多かったが。
世襲制の王族なら国が滅びない限りはそう簡単に見失うことはないだろう。
そして、今ナスカテスラが嬉々として時間を割いている伊織も同じく『友人の末裔』だ。
特殊な事情はあるが肉体的な縁は早々切れない。
まあ肩入れしているのはそれだけじゃなくて性格が気に入ったとか検査が楽しいとか、同じ呪いの被害者だからとか他にも色々あるんだろうけど、とステラリカは叔父にお茶を出した。
「ナスカおじさん、少しは休憩してくださいよ。数値を見間違えたら大変でしょ」
「いやあ、メガネを手に入れてから10が100に見えることはなくなったから大丈夫だよ!」
「目より脳を心配してるんですってば。脳にメガネはかけられないんですからね」
「脳にメガネ……!」
「それだ! って顔しないでください!」
ステラリカはナスカテスラが今行なっている検査が一旦目を離してもいいものだと確認してから、彼の座っているイスごと引きずって検査器具から離す。
ナスカテスラは年々腕力の増している姪の強行手段を受け、渋々休憩を挟むことにした。
「……イオリさんの呪い、厄介なんですか?」
「ん? んー、肉体ではなく魔力を代行者として呪ったなんて早々ない事例だからね! しかし呪いとしての基礎は俺様のものと変わらないようだ、まず五感に出ているだろう?」
東の国の『呪い』という名の魔法は体の中に長く残留する。
そしてそれらは五感のどれかに強く影響を及ぼす傾向が強かった。
逆に言えば五感のどれかに絞って効果を絞ればよく効く魔法、ということだ。もちろん呪いの主の力量次第だが。
ナスカテスラは聴覚を呪われ、自分の声のみが聞き取りにくい。
伊織は味覚を呪われ、どんな味も感じることができない。――恐らく防衛目的の呪いだったなら、当初はもっと逃亡に影響の出る部位に効いていたのだろうが、魔力を代役にしたことで変質してしまったのだろう。
「命に直結する危険ではないけどさ、元々あった五感の一部を奪われるのは心が死んでしまいかねないからね! ……いくら救世主でも人間だ、長ければあと七十から八十年は生きるだろう? ――はやくかいけつしてあげたいものだよ」
最後は舌足らずながら小さな声ではっきりと言い、ナスカテスラは姪の淹れた紅茶を啜った。
***
ニルヴァーレに報告を受けたその日の晩から早速三人はセラアニスの様子を見に行ったが、その夜はただひたすらに昏々と眠り続けているだけだった。
しかし夢路魔法の世界とはいえ、すうすうと寝息を立てている――呼吸をしているセラアニスを見ると、伊織は自分で思っていた以上にホッとした。
もし目覚めが近いなら、できれば起きた時に傍にいてあげたい。
そう自然と思えるほどだった。
これからしばらく夢路魔法を使ったら訓練前に覗きに行こう、と提案するとヨルシャミも快諾し、三日ほど通ったところでほんの僅かだがセラアニスの頭が横に傾いたのを三人は見た。
思わず揺り起こしそうになったものの、これはただの睡眠ではなく魂の回復を目的としたもの。
無理に起こしてはならないとヨルシャミに念を押され、ただ見守ることしかできなかったが伊織は静かに応援した。
(きっと、目覚めてもセラアニスさんにとって大変なことばかりだろうけれど……)
それを苦とするか否かは、セラアニスが決めることだ。
眠りにつく前にここへ戻ってきたいと、みんなと離れたくないと願っていたのなら、どんなことが待ち受けていても帰ってきてほしいと伊織は思う。
今夜は目覚めの兆候はなかったが、伊織はセラアニスが目覚めるまで通い詰める覚悟だった。
それまで自分も現実世界で頑張ろう。
朝になり、起床した伊織はそんな気持ちで身支度をし、今日も朝食の後に騎士団の訓練場へと向かうべく気合いを入れる。
すると部屋のドアがノックされた。
「イオリさん、いらっしゃいますか?」
「ステラリカさん?」
ドアを開けるとそこに立っていたのはステラリカだった。後ろにはヨルシャミの姿も見える。
何事かと思っているとステラリカが口を開いた。
「朝早くにすみません、ナスカおじさんがふたりを呼んでるんです。一緒に来ていただいてもいいですか?」
「あっ、もしかして呪いについて更に詳しくわかったとか――」
「更に詳しくわかったが、わかった故にちょっとした相談事が発生したらしい」
ヨルシャミがそう補足し、ふたりに誘われるまま伊織はナスカテスラの部屋を目指した。
「――おお! 来てくれたか、すまないね朝っぱらから呼びつけて!」
ナスカテスラは到着した伊織とヨルシャミを近くまで呼び寄せると「長々と話すのもアレだし簡潔に言うよ!」と笑みを浮かべる。
傍若無人なところのある人物だが、ふたりがまだ朝食前であり、しかもここしばらく忙しくしていることを知っているが故の気遣いだろうか。そう伊織は思いながら耳を傾けた。
ナスカテスラはにっこりと笑って人差し指を立て――
「ふたりとも、俺様の実家に来ないか!!」
「……っは!?」
「へ?」
「えっ!?」
――なにも伝えられていなかったらしい姪も含め、三人がほぼ同時に奇声を漏らすほど簡潔に言い放ったのだった。
Twitterの企画『GW版きまぐれよその子ワンドロ企画』にてもわしさん(@umaopi0527)が描いてくださったナスカテスラです。
素敵なイラストありがとうございました!✨
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