第314話 かの少女、大樹の上にて
ナスカテスラが突き止めた伊織――もとい、伊織の魔力が呪われ、結果的に脳の一部の機能を封じているという事実。
それを軸に新たなる対応を検討する間、伊織は検査に協力しながら騎士団との訓練にも身を入れていた。
ナスカテスラが「とりあえず色々決定するまで二週間ほど追加で欲しい！」と言っていたため、訓練の予定もそれを参考にして組み直してある。
ヨルシャミとニルヴァーレのツーマンセルに加え、途中から戦闘訓練に静夏も加わったが――静夏の筋肉に追いつける者がおらず、しかも指導が感覚的なものだったため参考にはならなかった。
感覚的に生きるタイプの天才は教えるのが下手というセオリーを筋肉的な方面で発揮している。
代わりに精神面を鍛えることには大分貢献していた。
具体的に言うと騎士団員を抱いた静夏が王宮の屋根より高くジャンプして落下するというアレである。
重力に対する訓練にもなる気がする、と静夏の大ジャンプの洗礼を浴びた誰もが思っていた。
その数日後。
騎士団員に魔法弓術士も含まれていることから、時間を見つけてはリータも訓練に参加するようになった。
魔法弓術士は人間ひとりとフォレストエルフふたり。
フォレストエルフはリータの故郷であるミストガルデとは別の里の出身だそうだ。
「まさか同胞が聖女マッシヴ様と同じパーティーにいらっしゃるとは……ご一緒できて光栄です！」
「か、畏まらないでください、私も同じ生徒ですから……！」
慌てつつもどこか嬉しそうな様子で言い、リータはヨルシャミを振り返った。
「ヨルシャミさん、今日は宜しくお願いします」
「うむ。いつか見てやろうと言っていたのに遅くなってしまってすまないな、もうさほど教えることも残っていないかもしれないが……まずは弓矢を形成する魔力のバランスでも見てゆこうか」
「はい！」
そう五人で離れた先で「ええ！ ホーミング機能とか付けれるんですか！？」「うちの里ではポピュラーですよ」「リータさんも散弾式とか凄いじゃないですか！」「後で教え合いっこしましょう！」とはしゃぐ声が聞こえ、これは得るものが多そうだなと伊織は右目越しに見ながら微笑んだ。
ニルヴァーレを休ませている間に限るが、伊織は騎士団にいるふたりのサモンテイマー、ミカテラとモスターシェと訓練しながら情報を交換した。
交換といっても特殊なステップアップをしている伊織にふたりがサモンテイマーとしての常識を教えることが中心だったが、伊織としては実りのあるものだった。
なんでもテイムの仕方は人それぞれであり、ミカテラは相手の種族名をテイムの意思を乗せて呼ぶこと、モスターシェは目を合わせることだという。
伊織が自分は頭を撫でることだと言うとふたりは同情の表情を作った。
「接触型のテイムは危険が多いので大変ですよね……」
「危険……うーん、たしかに危険……ではありました」
ウサウミウシやヨルシャミの召喚した虫はともかく、ワイバーンは大変だった。
もし滑り落ちていたら大規模回復魔法の効果範囲内とはいえ大怪我は免れなかっただろう。
そしてテイムするのも遅れてしまい、更なる被害が出ていたかもしれない。
「ただ今まで必ず一発で成功してるんで、リスクはありますけどハイリターンですよ。……けど」
「どうしました？」
「……最初は無理やり従わせているようで少し心苦しかったんです。意図せずテイムしちゃったこともありますし、今は本人たちがそんなことはないって言ってくれたんで楽にはなったんですが……」
サモンテイマーが自分に向いてるのか向いていないのかよくわからないんですよね、と伊織が困ったように笑うと、ミカテラとモスターシェは目をぱちくりとさせていた。
「意図せずテイムを？」
「本人たちが言ってた……？」
「……あ、っと。はい」
「テイムはかなり強い意志で『テイムする』と念じて行なわない限りは効果を発揮しない、と俺は学んだんですが……」
「そもそも喋る召喚獣ってテイムできるんですか？」
それぞれ湧いた疑問を投げかけられ、伊織はあたふたしながら答える。
「こ、このウサウミウシとかもそうなんですけど、テイムした段階で自分にサモンテイマーの才能があるってことすら知らなくて……落ちてきたところを勝手にテイムしちゃったような形になってたんです」
カバンを開けると中で微睡んでいたウサウミウシの両耳がぴょこりと現れた。
遅れて眉間にしわを一本寄せた顔を覗かせる。今日はもう少し寝ていたいらしい。
そんななんとも言えないウサウミウシの顔を見つめながらモスターシェが問う。
「落ちてきたところ、って自分で召喚したものじゃないんですか？」
「あっ、ちょっと待って、聞いたことある……あります。ウサウミウシってたしかずうっと昔にウチの里のアホが永続召喚しまくったやつだったような……」
「ウチの里のアホ……」
ウサウミウシの召喚主は迷惑な性格だと察していたが、どうやらフォレストエルフだったらしい。
生態系を乱す可能性が高いため永続召喚は慎重に行なわれるべきものである。
自然に対して特別な想いが強いフォレストエルフだというのに愚行ともいえる永続召喚を連発したということは、筋金入りのウサウミウシマニアだったのだろう。
「いやいやそれより！ つまり他者の召喚したものまでテイムしたんですか！？」
「う、上書きテイムしました」
ひえ、と素の反応をしながら二人は半歩引いた。
サモンテイマーでもあまり出来ることではないらしい。
「なんかヒトもテイムできちゃいそうですね……」
「あはは、さすがに無理ですよ。あ、けど撫でられるとくすぐったいらしいです」
「くすぐったい？ ……試してもらっていいですか？」
ずいっと頭を近づけられ、なんか前にも似たシチュエーションがあったなと思いながら伊織はミカテラとモスターシェの頭を撫でた。
そして――
「うわっ、くすぐったい！」
「エノコログサよりヤバいですよ！」
――やはりくすぐったいらしい、という再確認をしたのだった。
その後にリーヴァを召喚して『人型になれる召喚獣をテイムできた』『しかもそれは上書きテイムである』という事柄も人間離れ――もとい、サモンテイマー離れしているという情報を得つつ、お互いに参考にはならないものの良い刺激を受け合うことができた。
なにせ伊織にとっては初の同じ才能を持つ者との交流だ。
テイム能力は高いというのに召喚魔法は未だに修行中という伊織のアンバランスさにも目を瞠られたものの、その後に召喚魔法のコツを教えてもらえたのも伊織としては勉強になったといえる。
召喚に不向きなのは『強すぎる魂では召喚対象と繋がりを作るのが困難』という理由があるからだが、それでもサモンテイマーとしての先輩にコツを教えてもらえたのはいい経験だった。
伊織が訓練で様々なものを得ている間、一行による魔獣討伐も続けられていた。
気になる三件は片付いたが、他にも沢山の案件が手つかずになっている。
それらの対応をすることで騎士団の負担が減り、今だけでも訓練に集中できれば、という思いで出向いていたのだが――結果、神出鬼没に磨きがかかり、各地で「聖女マッシヴ様には羽根でも生えているのでは？」という噂がまことしやかに囁かれるようになったのは致し方ないことである。
＊＊＊
何日目の夜だったろうか。
最近は忙しく、しかしこの感覚も久しぶりだなと思いながらニルヴァーレは夢路魔法の世界を散策していた。
今夜は伊織もヨルシャミもここには来ないらしい。
連日の訓練続きできっと疲れているのだろう。
「僕も疲れたから寝ててもいいけど、ここで寝るのって味気ないんだよねぇ」
休める脳も肉体も存在しないのだから当たり前といえば当たり前だが、夢路魔法の世界で行なう睡眠は疑似的なものだ。
つまり『眠ろう』と意図的にスイッチを入れるような形になる。
それは眠りの醍醐味の半分くらいを失った行為だな、というのがニルヴァーレの感想だった。
よって、散策をすることで気を紛らわせている。
ヨルシャミのように時間の流れを弄ってしまうのもいいが、ここは外と同じ時間の流れで楽しもう、とニルヴァーレは足を進めた。
ヨルシャミが不在の間、本来なら閉じるはずのこの世界を維持しているのはニルヴァーレだ。
よって景色も好き勝手に変更できるが、中にはニルヴァーレが作り出したものではない場所もあった。
ヨルシャミの無意識が反映された残滓のような場所や、あとは「どうせお前がいるからな」とニルヴァーレが世界を維持していること前提でヨルシャミが作っていった場所だ。景色の作り置きである。
こういう場所を道を作りながら見つけて渡り歩くのが存外楽しい。
その中に、大きく高い木の上に小屋――ツリーハウスの造られた場所があった。
木の根元には広大な森が広がり、空は眩しいほど晴天だ。
遠景からそれを確認すべく空中にガラスの階段を伸ばしたニルヴァーレは「……ああ、ここか」と合点のいった顔をした。
「そうだそうだ、ここには同居人がいたんだよね」
ニルヴァーレも話には聞いている。
ヨルシャミの肉体の主――元主である、ベルクエルフのセラアニスだ。
セラアニスはヨルシャミの損傷した脳の一部が修復される過程で人格を取り戻した。しかし不完全な存在だったため、そう長くは自由に行動することができなかった少女である。
しかし驚くべきことに魂が再編成されており、今はこうして魂を安定させるために眠り続けていた。
「稀有な存在もいたものだね。まあ僕が言えたことではないが……ふむ、この世界の先輩として挨拶しておくか」
ニルヴァーレはツリーハウスに近寄るとドアを開ける。
鍵のかかっていないドアは無抵抗に開き、生活感のある室内の突き当りにベッドがあるのが見えた。
（この生活感はわざとか。ヨルシャミがこの子が起きた時に混乱しないようにしたんだな）
そう考えながらベッドに近づく。
ニルヴァーレは与り知らないことだが、室内のレイアウトはセラアニスが眠りにつく直前に生家を想っていたからこその気遣いだった。
ベッドの中ではヨルシャミそっくりの少女が眠っている。セラアニスだ。
こうして見ていると本当に眠っているだけのようだった。
思えば夢の中で本当に眠るというのはこういうことを指すのだろう。
少し羨ましく思いながらニルヴァーレは顔を覗き込む。
「やあ、眠り姫、挨拶に来てあげたよ。――おや？」
ニルヴァーレは思わず目を瞬かせた。
視線の先、胸の上で組まれた指がぴくりと動き――セラアニスが小さく声を漏らしたかと思えば、再び寝息を立て始めたのである。
