第311話 ベラの不覚
ドラゴンも無為に傷つくために召喚されたわけではない。
特に伊織がそれを望まないということで、ドラゴンたちは騎士団に襲い掛かる前にご丁寧にもヨルシャミにより防御魔法をかけられていた。
これは持続時間の短い魔法だが効果は抜群で、逃げ回る騎士団員は咄嗟に連携を取って行なったとびきりの反撃でもない限り傷ひとつ負わせることはできないでいた。
ランイヴァルだけが連携せずとも高度な水属性の魔法で対応できていたが、他が足を引っ張りすぎている。
(これはたしかに情報不足な状態で不死鳥を相手にしたら劣勢になるし、体勢を整えに戻るよなぁ……)
右目を通してその様子を見ながら伊織は思った。
個々の実力はあるが未知なるものに弱い、そんな印象を受ける。
マニュアルに沿って動けば成績優秀、しかしアドリブは不得手といったところだろう。――もっとも、各地に出向いては過酷な任務についている人々を相手に偉そうに解析するなんて失礼だけど、と伊織は眉を下げた。
それでも目につくようになったのは優秀な師匠がふたりもいるからだろう。
そう考えていると「イオリもわかるかい?」とニルヴァーレが言った。
ふたりの師匠のことかと焦ったが、どうやら騎士団員の戦い方についてのようだ。
「最近手が回っていないのは件数や強敵が増えたこともあるが、情報のない新手の魔獣がぽんぽんと顔を出すようになったのも大きいだろうね。少しずつ学んで動きに取り込んでるようではあるけれど……」
「これが実戦ならもう五人は食われているな」
言葉を継いだヨルシャミが腕組みをする。
魔獣は多種多様なものが存在するが、今までは同種と呼べるほど似たものが出現しやすかった。それらにはゴーストゴーレムやマンイーターのように広く知られた名称が付けられている。
そんな魔獣は対処法が確立されていることが多いが、新手ともなると一から調べていくしかないのだ。しかし対象となる魔獣が強いほど困難になっていく。
不死鳥がまさにそのパターンだった。
「それに、魔力の動きを見てみたが魔力操作の最適化が行なわれていない者が多い。操作訓練より先の最適化訓練まで至っているべき者だらけだというのに……」
「育成はするけどそこまでは手が届かないんじゃないか? ここのグループなんて指導できそうなのがランイヴァルとかいう奴だけじゃないか。まあ独学っぽいけど良い線いってる奴もいるからこの後に教えよう」
伊織が「最適化?」と疑問を抱いているとニルヴァーレが「道筋を作っとくやつだよ。折り紙と一緒」と教えてくれた。
「あれ最適化訓練の指示だったの!? 凄くさらっと教えてくれたんですね!?」
「召喚も安定してきたみたいだからそろそろかなと思ったんだ。あの後に簡単に出来てたし、今度は現実世界で魔力譲渡をしてごらん」
「あの……もしも失敗して相手が破裂しちゃった時のために、先に回復魔法を教えてもらうことは……」
失敗に対して対策しておけるならしておくべきである。
特にその失敗が他者の命に係わることなら。そう思い伊織はおずおずと訊ねたが、ニルヴァーレに大笑いされてしまった。
「ははは! 過剰な魔力による破裂は魂の破壊を伴うから、回復魔法はほぼ効かないよ! 残念だったね!」
「ひえ……」
「そもそも回復魔法はセンスが必要だからね、イオリだと失敗が不発ではなく対象の異形化に繋がりやすいかもしれない」
付け焼刃はやめときますと伊織はか細く答える。
回復魔法を学ぶには危ない橋は渡らず、入念な準備が必要になりそうだ。
その準備のひとつが魔力譲渡をできるくらい熟達することである。ステップは順番に踏むべきだなと伊織は自戒した。
と、その時だ。
ニルヴァーレが騎士団の面々を見て笑った。
「おっ、微かながら余裕が出てきたかな。じゃあおかわりだ!」
ぱちんっと指を鳴らすなり羽を持つ大蛇とコンドルのような鳥型召喚獣の群れが現れ、伊織はこれでもかというくらい人間の悲鳴を耳にするはめになったのだった。
***
ベラはランイヴァルの悲鳴を初めて聞いた。
ベラ自身も全力で叫びながら対応することになり、まだ訓練前だというのに喉がガラガラになったくらいだ。
黙って冷静に対処するべき場面だったが、敢えて叫ばないと冷静さを保てなかったのだ。もちろん素で叫んだことも片手の指では足りないが。
なお、それも含めて訓練開始前にヨルシャミが回復魔法をかけてくれたためダメージは残っていないのだが、心のダメージは相当のものである。
なぜか鼻を拭いながらヨルシャミが言った。
「……さて、大体の力量はわかった。これから個別に指示していく。全員に同時につくことは難しいが、質問があれば呼ぶといい」
はい……と疲れ果てた声が重なり合った返事になった。
また地獄が続くのだろうか。そんな不安が渦巻いていたが、各人の力量がわかってからは存外丁寧な指導で逆に面食らったくらいだ。
ベラは魔力操作の最適化について習った。
その昔、母親に魔法の指導をされた時のこと。
指導中に魔力操作の最適化についてうっすらと聞いた気がする、とベラは過去を振り返る。
――それから騎士団へと入団し、実戦を重ねるうちに自然と身についたと思っていたのだが、どうやらヨルシャミとニルヴァーレからすれば『少し変な癖は付いているが伸びしろがある状態』らしい。
(それってまだまだ最適化なんてされてなかったって言ってるも同然じゃない……)
まさにそうなのだが、プライドを傷つけられた気がしたベラは下唇を噛んだ。
教えられる身でありながら、なにかヨルシャミたちの落ち度を見つけたい。
見つけて安心したい。そんな心境に陥ってしまう。
そんな時、ニルヴァーレが一言かけてから席を外した。
ベラはチャンスの気配を感じ取り、お手洗いに行ってもいいですかとヨルシャミに掛け合う。
「む? いいとも、戻ってきたら声をかけてくれ」
「はい!」
足取り軽く訓練場から離れたベラはニルヴァーレが消えた方向へと向かった。
幸いにもそちらの方向に手洗いがあるのは本当だ。
だが、その目は一発ぎゃふんと言わせたい先生の姿を探していた。
そして――壁にもたれ掛かるニルヴァーレの姿を見つけて思わず隠れてしまう。
(や、やっぱり相当疲れてるんじゃない。そうよね、あんな力でゴリ押すような召喚の仕方なんて初めて見たし)
そんな力量じゃなかったんだ、などと思いつつも隠れてしまったのは本当に彼が疲れ果てた少年のように見えたからだ。
自力で立っていられないからこそ壁に全体重を委ね、冷や汗を流しながら呼吸を抑えようと試行錯誤している。
「いや~……最長記録達成だよ、死ぬかと思った! ……ん? まあそうだけどさ、でもキリの良いところまではしたいじゃないか」
ニルヴァーレの話す声がベラの耳に届く。
一見すると豪快な独り言のようだったが、どうやら憑依中の伊織とも声は聞こえずとも話すことはできるらしい、とベラは納得する。
訓練中も伊織たちは会話をしていたが、ドラゴンの猛攻でに手いっぱいだったベラはひとつも把握していなかったのだ。
(……って、憑依魔法なんて信じたわけじゃないけど……!)
信じていないのに憑依魔法を使っている前提で感心してしまったベラが頭をぶんぶん振っていると「とりあえず代わりますよ!」と少し焦ったような声がした。
少年らしい喋り方――伊織だ。
「何度もそろそろ代わろうって言ったのに酷いですよ、僕の中で死なれたら一生恨みますからね」
指輪に向かってそう怒る伊織に疲労の色はなく、背筋を伸ばすと深呼吸した。
憑依にはしばらく休憩が必要で接続が切れることがある、というのはこれのことだったのだろう。あの状態をクールダウンする時間もなしに継続しているときっと酷いことになるのだ。
ベラはじっと目を凝らす。
(……いや、うん、信じたわけじゃないけど、……けど……本当に命の危険があること、なの?)
伊織たちがベラに気がついた気配はない。
つまり、疑ってかかっている生徒に一芝居打ってわざと聞かせたという線は薄いだろう。自然体で発された言葉なら真実である可能性が高い。
「……、っあ、えっ、ほわぁっ!?」
そう考えながらゆっくりと後退していると、足元に大きなシャクトリムシを発見して思わず奇声を上げてしまった。
普段なら堪えられるがあまりにも近距離であり、しかも持ち上げた半身をゆらゆらさせてベラの靴にくっつこうとしている。
その声でベラの存在に気がついた伊織が首を傾げた。
ベラは咄嗟に自ら前へと出て頭を下げる。
「すみません! お、お加減が宜しくなさそうだったので、つい……!」
しらじらしいな、と自分でも思ったが致し方ない。
伊織はそれを頭から信じたらしく、笑みを浮かべながらこちらに近寄った。
「すみません、心配かけて……ヨルシャミが言ってたようにたまにこうして休憩させてもらいますけど、体調不良じゃないんで気にしないでくださいね」
「え、と……でもかなり苦しそう、でしたけど」
「あ、それは憑依の接続を切れば大丈夫です! ほら、今はこんなに元気ですよ!」
飛び跳ねて笑う伊織は年相応で、しかし気遣いは年齢に似つかわしくなく、ベラは思わず訊ねてしまった。
「でもおふたりにリスクはあるんですよね? ……どうしてそこまでしてくれるんですか?」
――弱点を探そう。
そんな気持ちすら下敷きにしていない、純粋に心の中から湧いた疑問だった。
伊織は誤魔化しきれてなかったかな、と眉をハの字にしつつ言う。
「……この世界を守りたいんです。僕もニルヴァーレさんも、それにヨルシャミも。そこで騎士団の人たちに技術を提供すれば、今よりもっとみんなを守ることに繋がるんじゃないかと思って」
ゴーストスライム戦が教訓になった、と伊織は足元を見る。
「なんか騎士団の皆さんを利用してるみたいで気は引けるんですけど、その、……僕としては世界を守っていく仲間だと思ってるので! 一緒に頑張りましょう!」
「へっ!? ……は、はい」
純真な瞳でそんなことを言われ、ベラは思わず素の返事をした。
それを聞いて伊織は嬉しそうな顔をする。
じつに毒気を抜かれる顔だった。
「それに僕、いつか母さんみたいな救世主になりたいって思ってるんです。まだまだ役者不足だけど、僕も一生懸命学びますね!」
「母親、みたいな……」
「――母さんも強いけど、自分より人のことを考えてることが多い人だから心配で。だから僕は少しでも早く大人になって、そして一人前にならなきゃならないんです」
どこか自分に言い聞かせるようにしながら伊織は言う。
ベラは居心地の悪さを感じた。
この場にいたくないというよりも、この場にいてはならないというような居心地の悪さだ。
それは親離れができず、他責して責任転嫁することが癖になるほど染みついた自分を自覚したからだった。
「……き、きっと、なれますよ」
ベラがそう絞り出すように言うと、伊織は「ありがとうございます!」とにこやかに笑った。





