第310話 白昼夢 【★】
バルドはひとりで王都の市場を散策していた。
次の魔獣討伐には同行する予定だが、昨日帰還した静夏たちは連日になるため、せめて一日はクールタイムを置こうということになったのだ。
今のところバルドひとりでこなせる討伐はなく、しかし伊織とヨルシャミはなにやら随分と忙しそうにしているため誘うわけにもいかない。
昨日もフリーだったため武器の手入れや王宮内で散歩などをしていたが――暇だった。じつに暇だった。
そんな時に舞い込んできたのが、ゼフヤからの「私はこれから買い出しに向かいます。私に同行する『執事見習い』という形なら転移魔石を使わなくても市場まで出られますよ」という誘いだったのだ。
執事であってもそれなりの地位にいるゼフヤがなぜ自分の足で買い出しに出なくてはならないのか。
バルドはそう不思議に思ったが、どうやらアイズザーラはゼフヤが選んだ茶葉が殊更お気に入りらしい。
しかもその茶葉というのが細かな条件で味が変わる代物なのだという。
アイズザーラ曰く「ゼフヤ以外が選ぶと味がちゃうんや!」とのことらしい。
という理由で、茶葉の買い足しの際のみゼフヤが直々に赴いているのだ。
そんなゼフヤも数分前に気を利かせて「あとはご自由にどうぞ、二時間ほどしましたら今いるこの店の前にお迎えに上がります」とバルドに自由行動をさせてくれた。
(ホントは夜に酒場とかも覗いてみたかったけど、帰りもゼフヤと一緒じゃないと怪しまれるもんな~)
――聖女マッシヴ様が王都に現れた。
その一報は一般住民にも広がっている。
そのため『聖女マッシヴ様が王宮にお呼ばれしている』という理由くらいなら信じてもらえる土台があるわけだが、まだ一行が王宮内にいるという話は出回っていないのだ。それだけ城内の人間の口が固いのだろう。
ならいくら大丈夫そうでもリスクを拡散する必要はあるまい、というのがバルドの考えだった。
(まあ二時間もあれば色々見て回れるよな)
整いすぎていると逆に目立つため、服を着崩し髪を少し乱しながらバルドは店先に視線を走らせる。
店先には春に採れる果物が集まっていた。
つい先日まで雪深い土地にいたことを思うと不思議な感覚だ。
(こういうの食いながら歩き回るのも楽しそ……、ん?)
途中でひとつの果物に目が留まる。
マンゴーに似ているが青色をした果物だ。様々な土地に足を運んだが、すぐに酒場に足を向けることが多かったせいかバルドは見たことがない代物である。
しかし、それを見た瞬間に「中は白くて結構美味い」と衝動的に思ったのだ。
前にどこかで食ったっけ? と思いつつバルドはそれをひとつ買った。
例えば過去に注文した料理に入っていたことがあるのかもしれない。調理されたものとそのままの果物では頭の中で上手く結びつかない場合もあるだろう。
店員は果物をバルドに手渡しながら嬉しそうに笑った。
「ありがとさん! この地方でしか採れない特産品だよ、しかも旬で美味い! 良い買い物したねえ、兄ちゃん」
「あっはは、仲間にもこの店はいいぞって宣伝しとくよ。ありがとな!」
手を振って離れながらバルドも笑い返す。
――悪夢のせいで気分が落ち込むことも多かったが、これは良い気分転換になりそうだ。
そう考えると足取りも軽くなる。
バルドは表情を緩めながら周囲に視線を走らせた。次はどの店を覗こうか、という意図によるものだったが、それにより不意に疑問が湧き上がる。
(にしても、ベレリヤの王都ってくらいだから他のところよりは技術も発達してると思ったんだが……)
いくら科学的なことが研究されているとはいえ、住民の生活に反映されるほどは進んでいないのか技術レベルは文化の違いを差っ引いても他所と同じくらいだ。
しかし都市としては明らかに栄えている。
ゴーストスライムの被害に見舞われた店もあるだろうが、あの騒動の翌日からこうして市場が賑わっているくらいだ。
ざわめく市場。
それを少し離れたところから眺められる裏路地。
少し薄暗いが、陰になっているだけで治安そのものは良い。
陰になっているのも背の高い建物があるからこそで、そんな建物を建てられるのは街として地力があるということだ。
機械や科学的な技術はまだまだだが、ラキノヴァはたしかに大きくて良い街だ。
そんな景色に既視感があるのは――どこかの栄えた他の都市と無意識に見比べているからだろうか。
そう考えながらバルドは道を逸れて裏路地を進み、壁にもたれかかると市場の様子を横目に果実を齧った。
「……」
瞬間、白い鳥が屋根から一斉に飛び立ち、鐘の音が辺りに響き渡る。
アバウトな日時計で十二時を観測した合図だ。
いつもは時間を重要視しない住民にとってもある程度の区切りは行動の指針になるのだろう。
バルドは口の中に広がる甘酸っぱい味に何度か目を瞬かせた。
食べ始めは唾液腺を刺激する酸味により少し舌が痺れるが、すぐに甘さにより緩和されて消えていく。多少人を選ぶが美味と言えるだろう。一度食べたらなかなか忘れられない味だ。
「これ、やっぱ前にも食ったことあるな……?」
どこでだったろうか。
果物の雰囲気からして前世ではない。形や味など、それぞれ似ている果物はあるが見分けはつく。
(ならこっち来てからか?)
前世の記憶はここしばらく溢れるほど思い出しつつあるが、こちらの世界に転生してからの記憶はまだ曖昧だ。
特にニルヴァーレに雇われる数年前から以前の記憶はおぼろげだった。
もう一口齧りながらバルドは記憶を掘り起こそうと目を細め――そして、周りの音が聞こえなくなってぎょっとする。
『バルド、お前ぇホンット物好きだな』
「……!?」
真横から聞こえた声に驚くも、体が動かない。
――自分を確立できるような過去がほしかった。
そんな思いから無意識に『この世界に来てからの記憶』を漁っていたのだが、まさか白昼夢を見てしまうとは。そう混乱しながらも分析する。
『その名前じゃなくて■■■と呼んでくれないか』
自分の口が勝手に動いた、と思ったが違う。耳に届いたのは子供の声だ。
名前は悪夢の時のように聞き取れない。――聞き取りたくない、のだろうか。
目線もさっきより低く感じる。そこでようやく視線が動き、隣で同じように壁にもたれ掛かる男性を見上げた。
桃色をした短髪の男性だ。
年は三十から四十といったところ。頬に一本の傷があり――誰かはわからないというのに、その傷が捕まえたシカに逃げられまいとくっついていたら一緒に崖からダイブした時にひっかけた、というじつに格好良くない理由でついたものだと思い出す。
『やだよ、お前は俺の息子だからな』
『拾っただけなのに?』
『きっかけなんか関係ねぇって。それより大丈夫なのかそれ? クソ不味いって有名な実だぞ』
桃色の髪の男性はバルドの手元を指した。
さっきと似た果実が握られている。
『それなりに美味しい……かな、恐らく一番美味しくなる栽培方法や収穫時期がまだ見つかってないんじゃないか。だから商品なのに味にムラが大きい』
『で、自分は大当たりを引いたと?』
『熟し具合から予測したものだから、完全な運任せじゃないけれどね』
自慢げじゃんか、と男性はこちらの様子を見て笑った。
『まあ数十年も経てば品種改良されてこういう味ばかりになるんじゃないかな』
『ヒンシュカイリョー?』
『……え、こっちではポピュラーじゃない? ならもうちょっとかかりそうか……』
素できょとんとしていると男性は笑い、バルドの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
『お前の言うことはたまによくわかんねぇが……美味くなるなら商売に使えそうだな、行商人として覚えといてやるよ』
生きているうちは無理じゃないかな。
そう思ったが口に出さなかった――ところまで思い出したところで、バルドはふらつきながらしゃがみ込んだ。
これは自分の意思でしゃがんだのだ。
そうホッとしつつ、眉根を寄せて先ほど勝手に再生された記憶を咀嚼して理解しようとする。理解さえすればこの不安感が薄まるはずだと。
(あれは今の王都じゃない。昔の王都か? どれくらい前の?)
日付に関する記憶はなかった。
ここに似た路地で、同じ果実を齧った、それだけが一致した瞬間のみを切り取ったような記憶だ。
(あの男は……養父。行商人。別にここに住んでたわけじゃない、名前は……)
バルドは男性の名前を思い出そうとする。
自分が呼ばれたがっていた名前は聞き取れなかった。
恐らく前世の名前なのだろう、前の夢の中と同じ部分だ。しかしバルドとしての名前が聞き取れたということは、前世の名前以外の情報は記憶から引っ張り上げられる可能性がある。
そう、この不出来な記憶から。
「……」
バルド。
静夏がオリヴィアと呼ばれるように、バルドがこちらでつけられた名前。
その名前を男性に初めて名乗った時のことを不意に思い出す。その時あちらからも名乗り返されたのだ。
「――オルバート?」
ナレッジメカニクスの少年と同じ名前が浮かぶ。同一人物ではないはずだ。
バルドは左目を手で覆いながら俯くとしばし黙り込んだが、結局それ以外の記憶は手元に残らなかった。
まるで穴だらけの網で必死に水を掬い上げようとしているかのようだ。
実際にそのような状態なのだろう。
「……っははは……はぁ、怖ぇー……」
少しでも茶化そうと軽い調子で口にするも声は震え、しかしそんな震えを無視してバルドは大通りへと戻っていった。
バルド(絵:縁代まと)
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