第307話 それデートじゃん!?
リータは街路樹の下で人目から隠れながら汚れをはたく。
乾いた道の上だったため大半は洗えば落ちそうだ。
しかし転んだ際に繊維が傷ついた部分は汚れが入り込んでおり、入念に洗う必要がありそうだった。
(形見といいツイてないなぁ……)
魔獣退治は順調に完了したというのに、その後がぐだぐだである。
油断大敵とはまさにこのことだなぁ、とリータが身を以って感じているとサルサムが戻ってくるのが見えた。
「サルサムさん、おかえりなさい!」
「待たせたな」
そう言って駆け寄ってくるサルサムを手を振って出迎える。
探し物は見つかったのだろうか。そう思っているとサルサムが「ひとまず落ち着ける場所にでも行こう」とリータを誘った。
手近なカフェテラスに席を取り、軽い飲み物を注文してふたりは一息つく。
「時間を取らせてすまなかった」
「いえ、待ってる間に汚れも大方取れたんで大丈夫ですよ」
それはよかった、とサルサムは本心からといった様子で笑った。
――リータはこの笑顔が嫌いではない。
サルサムは大抵一歩引いたところから物を見ており、態度もそれに倣っている。
恐らく常に大人であろう、冷静に対応できるように俯瞰していようという考えからなのだろう。
しかしそれが距離を感じさせることもあった。
時折見せるこの顔はそれがない。
本人が気づいているのかどうかはわからないが、いつかこうして自然に笑える回数が増えるといいなとリータは思う。
と、その時だ。
向かいに座ったサルサムがポケットから紙袋を取り出した。随分と小さい。
「リータさん、さっきのペンダントの代わりにはならないが、よかったらどうぞ」
「……へ?」
「安物だが、あー……その、探し物をしてる最中にショーケースにそれがあるのを見つけてな。似合うんじゃないかと思ったんだ」
おずおずと受け取ったリータが紙袋を傾けると、連なる小さな花と桃色の石が付いたペンダントが手のひらの上に現れた。
花は故郷にある思い出の場所に咲く花を彷彿とさせる。
一目でそれを思い浮かべたのは、きっとリータ自身が花を象った耳飾りを姉に贈ったことがあったからだろう。
しかしサルサムはそんな思い出の場所を知らないはず。
直接連れていったのは伊織たちだけであり、ミュゲイラの耳飾りについても話したことはなかった。ミュゲイラが話していなければ、だが。
リータがそう不思議そうに考えたタイミングでサルサムが「ミュゲイラも似たの着けてたろ」と付け加えた。
「それで、私に……?」
「ああ、……日頃頑張ってるんだからたまにはな、ご褒美くらいあってもいいと思ったんだ。それに今日は散々だったろ」
最後は良い出来事で締め括りたいじゃないか、とサルサムは口角を上げる。
これはちょっと格好つけてる時の顔だ。
リータは察しの良さを発揮しつつ笑みを返す。
「ありがとうございます……ふふ、男の人にアクセサリーを貰うなんて初めてですよ、不思議な感覚ですね」
「あ」
「どうしました?」
「……あ、いや、なんでもない」
うっかりなにか失敗をしてしまった、またはそれに今気づいたかのような様子だったが、サルサムはなんでもないという。
不思議そうにしつつリータはペンダントをその場で首に掛けてみせた。
ごく軽い重さが首元にかかり、鎖骨辺りでペンダントトップが揺れる。
「長さはどうです?」
「いい……と思う。が、後ろのアジャスターで調整できるらしいから、もし今後不便なことがあったら使ってみるといい」
「わかりました、……あっ、そうだ!」
リータは公園のあった方角を指して言う。
「さっきサルサムさんを待ってる時に、あっちで野外ドッグショーをやってる一座がいたんです。まだ時間もありそうですし行ってみません?」
「ドッグショー……?」
犬相手の大捕物の後だと変な気分になりそうだが、芸を仕込まれた犬というのは少し気になるという顔をサルサムはしている。
リータはググッと拳を握って続けた。
「見るのにちょっとお金は要るんですけど、そこは! 私が出すので! お礼ということで!」
「ご褒美にお礼とはなんとも不思議な状態だな……、……まあ、よし、わかった。ちょっと寄っていくか」
サルサムがそう頷くと、リータは嬉しそうに笑みを浮かべた。
***
しまった、とサルサムは思う。
妹へプレゼントした時の記憶を参考にしすぎてうっかりしていたが、たしかにこれは他人から見れば『異性からの贈物』だ。しかも装飾品である。
気持ち悪がられたのではないかという不安が過ったが、リータの様子を見る限り気持ち悪さを押し殺して無理やり笑っているという雰囲気でもなかったため、サルサムは下手にフォローせずそのまま流すことにした。
(良いデザインのものを見つけたり、敢えて安物の紙袋に換えたりしたところまでは良かったんだがな……)
成功の後に手痛い失敗をした気分だ。
しかしその後に見たドッグショーはなかなかどうして楽しめた。
リータに奢ってもらっては元も子もない気がしつつも、それで遠慮が払拭されるならいい、と受けた誘いだったがサルサム自身にとってもプラスだったわけだ。
無事に旅が終わったら自分の仕事のサポートに訓練された犬をつけるのもいいな、と思ったくらいである。
リータはリータで玉乗りをする犬を大層気に入ったようで「ウサウミウシにもできますかね……」などと言っていたが、恐らく張りついたまま転がっていくなとにべもないことを返すとツボに入ったのか笑っていた。
そのまま静夏とミュゲイラが戻るまで目についた店へと適当に入り、時折日持ちする携帯食料なども調達していく。
リータの使う裁縫道具も大分ガタがきていたため、少し奮発して前よりワンランク上のものを買った。
リータとしては節制として安物か同ランクの裁縫道具を買う予定だったが、良いものを長く使ったほうがいいというサルサムのアドバイスによるものだ。
――そんなこんなで少し日が傾き始めた頃。
案の定、戻ってきた静夏とミュゲイラたちの姿は一瞬でわかった。
人波から頭ひとつ分以上突出している上、どうやら魔獣退治と道の再生の話題がようやく街に浸透したらしく、そこから『聖女マッシヴ様』だと判明して人だかりが出来ていたのだ。
「す、すごい人だかりでしたね……」
「待たせてすまなかった。何度か人とは擦れ違ったが……どうやら別所にいた時の噂を耳にしていたらしくてな、いくら聖女でもそこからシェッテルパウントまでこんな短時間で来れるはずがない、と思われて聖女と気づかれていなかったようだ」
「それもあって気づかれた瞬間は普段よりすげー反応されたんだよなぁ」
目に見えるようだ、とふたりの話を聞いたサルサムは苦笑する。
ざわめく民衆が静夏に宥められて混乱が収まった後、四人は街を出て人の少ない場所を目指していた。
人工転移魔石は見せびらかすものではない。
静夏たちも移動速度を疑問に思う住民たちに「仲間に優秀な魔導師がいる」と説明していた。――嘘ではない。ただ今回は同行していないだけである。
「お姉ちゃんはマッシヴ様になにを買ってったの?」
「チーズがけ親子丼!」
「ち、チーズがけ親子丼……」
「ご飯の量は多すぎず少なすぎずの良い塩梅だった。副菜も付いていたぞ」
しかし親子丼を片手に草原をのっしのっしと歩いていくマッチョエルフという図になっていたのだろうか。
リータが深く考えないようにしていると、今度はミュゲイラが「そっちは?」と問い掛けた。
「っていうかリータ、良いペンダントしてるじゃん。ここで買ったのか」
「あ、これ、じつは里から持ってきたペンダントが壊れちゃったからサルサムさんが買ってくれて……」
ミュゲイラが口を半開きにしたままサルサムを見る。
その目には色々な感情が籠められていた。
お前までそういう顔をしないでくれ、とサルサムが目を逸らしていると、ひとまず疑問を飲み込んだミュゲイラは「あたしの耳飾りと似てて良いな!」と褒めた。
「しっかしリータが里から持ってきたやつっていうとママたちがくれたやつか。形見が壊れるのはキツいな……」
「……」
「あれだけ戦闘してて壊れなかったんだから褒めたいくらいよ」
「……」
「壊れたやつは? 手元にあるのか?」
「……」
「うん、後でお守りに作り直そうかなって」
それはいいな、というミュゲイラの感想を聞きながらサルサムは無言を貫く。
しかし心の中は大慌てだった。
(形見? 形見だったのか? そんなものが壊れた代わりに……いや、代わりになってはないが、それをきっかけにして装飾品を贈った形になるのかこれは?)
まさかそこまで大切で意味のあるものだとは思っていなかったのだ。
もうこれ以上頭を悩ますことは出てこないだろう。そう思ってサルサムが耐えていると、リータが今日訪れて楽しかった店やドッグショーの話をミュゲイラにしているのが聞こえた。
直後、ミュゲイラがついに耐えきれなくなったという様子でツッコミを入れる。
「デートじゃん!? それデートじゃん!? あたしでもデートだってわかるやつじゃん!?」
「デッ……お姉ちゃん、サルサムさんに失礼なこと言わないの!」
「……」
たしかにデートじみていた。
指摘されて初めて自覚した。
とんでもないコンボを決めていた。
結局また頭を悩ませることが湧いて出た、それを感じながらサルサムは「ただの息抜きだ」と言いながら人工転移魔石を取り出したが、その手に握られていたのは買ったパンであると気がつくのに十数秒かかったのだった。





