第305話 大切なのは意思確認 【☆】
伊織は目の前の棚にずらりと並ぶ石を見ながら感嘆の声を漏らした。
どれもこれもきちんと磨かれてケースに収まっている。
ケースには丁寧に手書きで日付と採取地と思しき地名が添えられていた。
ほとんどの筆跡が同じであることを鑑みるに、恐らくイリアス本人が書いたものなのだろう。
「凄いな……ちゃんと色分けされてる……」
「ふふん、やっと僕のコレクションの凄さがわかったか!」
得意げに言いながらイリアスはこれはどこそこの、あっちは入手が大変だった、こっちのは加工が難しいと語り出す。
それを聞きながら伊織は加工という単語に反応した。
「そういえば加工も自分でやってるのか」
「大切な石を他人に任せるなど想像しただけでもゾッとするからな、必死になって技術を磨いたとも」
伊織は棚から目線を外してイリアスを見る。
自己中心的な性格なのは相変わらずだが、自身の嫉妬というフィルターを取り除いて見てみると――偉そうではあるが、なかなかどうして努力の人に思えた。
イリアスは十五歳だと聞いている。
その年齢のことを考えれば幼稚な振る舞いも多少は許せた。
(僕なんて精神はそろそろ成人なのにあんな有様だったもんな……)
慣れない嫉妬心に振り回される自身を振り返って閉口しつつ、伊織はあの日の夜のことを思い出して呟いた。
「……イリアス、あの時は乱暴に奪い返してごめんな。僕が持ってた石は魔石でさ、元は人間だったんだ」
「元はにんげ……は?」
「加工するってことは削るだろ、でもそうすると石になったその人がどうなるかわからない。大切な人だから死んだり消えたりしてほしくなかったんだ」
「に……んげん、に喩えるほど大切だったということか」
イリアスの言葉は外れていたが、これは詳しく説明しないほうがいいやつかな、と伊織は曖昧に笑った。ニュアンスだけ伝わればそれでいい。
「本当はもっと言葉で説明して返してもらうこともできたんだろうけど、あの時は僕もカッとなっちゃってさ。バニー君とか呼ぶし」
「し、親しみを込めて呼んでやったんだぞ。あの変なウサギみたいな奴の飼い主だったからな」
「……ん?」
「……なんだ?」
伊織は面食らった顔でイリアスを見た。
ウサウミウシの主人だから、バニー君。
つまり――バニーボーイの姿を揶揄ったものではなかった、ということだ。
「え、……ッあー! うわっ、そうだ、あの時ウサミミ付けてなかったじゃん!」
それに気がついた伊織は頭を抱えた。
そう、ローブが脱げてあの際どい衣装をイリアスに見られた際、伊織はウサミミだけ取り外していたのである。
尻尾はあるもののパッと見で『バニーボーイである』とわかる要素は薄かった。
「えええぇ……いやまぁウサウミウシの主人でもバニー君呼びはどうかと思うけど、ええぇ……!」
「なんだどうした!? ウサミミってなんの話、……、……まさかあの時の衣装にそんなものまで……!? なんでそんな格好してたんだ!?」
「ごもっともです!!」
再び同じ回答をしながら伊織はしゃがみ込む。
念のため「ここへ目立たないよう入るための変装だった」と説明はしたものの、余計目立ってたんじゃないかという言葉に更に撃沈した。反論の余地すらない。
「まあ、その、そうか、お前としては受け入れ難い愛称だったことはわかった。……なるほど、年上の余裕を見せようとするなら相手の好みの把握も必須か……」
小声でぼそぼそと付け足しつつ、イリアスは僅かに目を細めて考えた。
「……僕を助けた時にとんでもないことを言っていたな。あの娘、お前のものだったのか」
「――うん、もの、じゃないけど僕のパートナーだ」
「最初に会った時にそれを言わなかったのは何故だ?」
「まだ仲間に……母さんを含めた仲間にも話してなかったんだ。それを勢いで公表するのはだめだって思った。広場の時はそれより以前にヨルシャミとそろそろカミングアウトしよう、って話になってたから、それで……」
まあ強引すぎたけど、と伊織はよろめきながら立ち上がる。
「改めて言うけれど……ヨルシャミは僕のパートナーで、大事な人なんだ。だからイリアスにはあげられない」
「……ふん! 断った時点で深追いする気はなかったぞ!」
強がった顔をしながらイリアスは背を向け、しかしはっきりした口調で「そういうことなら手出しはしないと確約してやろう。甥を甘やかすのも叔父の仕事だからな」と言い放った。
伊織は表情を崩しながら「ありがとう、イリアスおじさん」と笑う。
「……兄さま、すごくむず痒そうな顔」
「わざわざ口に出して言うな!」
どうやらリアーチェには表情が見えていたらしい。
慌てて諫めつつイリアスは振り返って伊織の手を引いた。
「こ、こっちにも色々あるんだ。手前の棚より古いものだから加工技術は拙いがな」
どれどれ、と見せてもらいながら伊織は棚の石たちとラベルの文字を目で追っていく。たしかにラベルが少し劣化しており、字も最新のものと比べて拙い。
そしてとある文字に目が留まり、同時に伊織の足が止まった。
「これ……」
「ん? それか? 辺境の貴族が死んだ時に遺族がコレクションの処分に困っていてな、僕が買い取ることで引き受けてやったもののひとつだ」
無知な者に管理は難しいだろう、と語りながらイリアスはそのケースを取り出す。
ケースもラベルも古いもので、元の持ち主がイリアスと同じように保管していたのをそのまま流用しているようだった。
その古ぼけたラベルには『ミッケルバード』と書かれている。
「……っこ、この採取地、どこにあるかわかるか?」
「採取地? ああ、ミッケルバードか。いや、僕も気になって調べてみたことがあるんだが――この地名を掲げる場所はないみたいだ」
伊織は脱力しそうになった。
なんでも手元に取り寄せられる地図はすべて目を通したが、該当する土地はなかったという。
他国はともかくベレリヤ国内なら地図の作られた場所が多く、王族のツテなら正確性の高い地図が集まるため、少なくとも国内には存在しないのだろう。
ラベルはすべて手書きのため、採取者が間違えて書いたんじゃないかとイリアスは付け加えたが――伊織にはそうは思えない。
ミッケルバード。
それは森にあったナレッジメカニクスの研究施設でウサウミウシの採取地として挙げられていた土地の名前だ。
もしかしたらウサウミウシを群れに帰してやれるかもしれない。
そう思ったが当てが外れてしまった。
脱力しかけたついでにウサウミウシのことを説明するとイリアスは首を傾げる。
「群れに返す必要あるのか、それ?」
「え……?」
「まだ数回しか見てないけど、あいつ食事の席ですでに『ここが自分の群れです』みたいな顔で食ってたじゃないか。まあ我が物顔ってことだけど」
すでに自分たちのパーティーが群れ。
それは伊織にとってあまり考えたことがないことだった。
テイムで繋がっているからこその仮の家族、そんなつもりだったのだが――そうだ、リーヴァの言っていたことが本当なら、テイムで感じているのは『伊織が父』といった感覚だけのはず。
ウサウミウシはパーティーの仲間にも親しみを持っているようだった。
ミュゲイラだけは髪色のせいか未だに打ち解けていないが。
「ここが群れ……」
「イオリ兄さま、いまその子が帰れなくてさみしがってるわけじゃないんなら……イオリ兄さまたちから離れるほうがつらいかも」
リアーチェの言葉に伊織は部屋で寝ているであろうウサウミウシの顔を思い返す。
もし今、ウサウミウシの群れが見つかり、テイムを解くすべがあったとしたら――そうだ、まずはウサウミウシ自身の意見を聞くべきだ。
「……うん。なんかウサウミウシとはなかなか話せないんだけど、どうにかして意思確認をできないか試してみるよ」
前にテイムした虫も意思疎通はできなかったため、ある程度の知能が必要なのかもしれない。だが言葉以外でも確認するすべはきっとあるはず。
そう考えて伊織は笑みを返す。
「――あ、そうだ」
イリアスがそんな声を出したのはその時だった。
伊織とリアーチェは同時に彼を見る。
「確証の持てる情報じゃなかったし、深追いして再確認はしてないんだが……ミッケルバードって名前の場所がないの、随分古い呼び名だからじゃないかって説があったんだ」
「古い呼び名?」
「つまり今は別の名前で呼ばれてるってこと」
文献を漁った結果、少なくとも数千年の間はミッケルバードという名称は確認できなかったらしい。だからこそイリアスは誤字の可能性も視野に入れたのだ。
ならこの採取地のラベルはそんなにも前からあるのか? と伊織が不思議に思っているとイリアスが付け足す。
「管理はコレクション主じゃなくて側近のエルフがやってたんだ。今はもうそのエルフも死んだそうだが、当人が知ってる地名で書いたんじゃないか?」
「あ、そういうことか」
「お前の仲間はわからないが、ナスカテスラはたしか千五百年は生きてるだろ、訊くならあいつのほうがいい」
僕のお墨付きだ、となぜか得意げに言いながら、イリアスは出入り口を指して笑った。
Twitterの企画『GW版きまぐれよその子ワンドロ企画』にてゆるゆる堂さん(@yuruyurudo819)に描いて頂いたシァシァです。
素敵なイラストをありがとうございました!✨
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