第303話 ミリエルダおばあちゃんのお茶会
王都では機械的な物に関する研究も行われているが、どうやら他所と同じく正確な時計は未だ作られておらず、王宮でさえ日時計を日常的に使用しているようだった。
技術的には王都なら完成していてもおかしくないはずだが、それだけ人々が『正確な時間』に強い必要性を感じていないのかもしれない。
ひとまず大雑把に合っていればいいのだ。
ロストーネッドで五時に鳴る鐘も元にされていたのは日時計だろう。
時間への寛容さは魔法の有無も関わってるのかな、と前世の故郷との差を感じながら伊織は招待状に視線を落とした。
書いてある時刻は午後三時。
アフタヌーンティーというわけだ。
この時間もふんわり守ればいいのたろうが、少し早く行くべきだろうか。
それとも気を遣わせないようぴったりがいいのか。
静夏は「そう緊張せずゆけ、母様はおっとりした人だから怖くはないぞ」と言っていたが、伊織はまだ祖母の人となりをよく知らない。
よく知らないのに、その善性に初めから甘えるのは気が引けた。
ヨルシャミは朝食後にアイズザーラに騎士団再教育について話しに行った。
夢路魔法の世界では確定事項のように口にしていたが、まだこれから提案する段階だったらしい――ものの、恐らく話を通してくるだろう。
その結果待ちのため、少なくとも今日は伊織にも時間がありそうだった。
(魔獣の討伐も今回は少人数でいいって言ってたもんな……)
静夏、ミュゲイラ、リータの三人に加えて転移魔石を使うサルサムの四人で先ほど出発したところだ。
(今日でよかった、けど……もしかしておばあちゃん、結構色々把握してる……?)
どうにも意図的に時間の空くタイミングを狙っているような気がした。
なんにせよありがたいことに違いはない。
ヨルシャミにも相談済みのため、あとはお茶会に顔を出すだけだ。
こちらの世界での祖母。
前世の祖母は父方はおっとりしており母方は躾に厳しかったが、こちらではどんな人なのだろうか。
どきどきはするが嫌な感情によるものではない。
伊織は深呼吸すると身なりを再度チェックし、やはり少し早めに出ようと決めて部屋から出ていった。
***
――そして午後三時、祖母ミリエルダの部屋にて。
ミリエルダの部屋はそのまま緑豊かな庭に通じており、部屋に通された伊織は庭に用意された白いテーブルとイスへと案内された。
……のだが。
「ふふ、やっと落ち着いてお話できるわ。お茶会といってもプライベートのものだからマナーは気にせずリラックスしてちょうだいね」
「は、はい、……ええと」
向かいに座るミリエルダから視線を外しつつ伊織は言い淀む。
向かって左側にイリアスが、そして右側にリアーチェが座っていた。
イリアスは借りてきた猫のようになっている。
まさかふたりも同席しているとは思っていなかったため、伊織は少し面食らってしまった。
それはどうやらイリアスもらしく、しきりに伊織とミリエルダをちらちら見ては口籠っている。言いたいことは決まっているが口に出せないようだ。
「イオリも忙しそうだから本当は朝のうちに呼びたかったんだけれど、ごめんなさいね。慣れないことだから手早く作る自信がなくて」
「作る自信……えっ、もしかしてこのクッキーって」
伊織は手元のクッキーを見る。
薄茶のお茶と一緒に並べられたクッキーは三種。丸い形のプレーンなものと市松模様のもの、そして真ん中にアプリコットジャムの入ったものだ。
まさかミリエルダの手作りだとは思っていなかった。なにせ王妃である。
王妃が厨房でクッキー作りをするなど伊織は想像もしていなかった。
「お口に合わなかったらごめんなさいね?」
「い、いえ! ありがとうございます、その……お、おばあ様」
「あら、私もおばあちゃんでいいのよ」
アイズザーラから話は伝わっているらしい。
あの時はつい勢いで言ってしまったが、アイズザーラは大層喜んでいたと聞いて伊織はホッとした。
五十そこそこの女性を「おばあちゃん」と呼ぶのは少し気が引けたが、それでも祖母は祖母なのだからと心置きなくミリエルダのこともおばあちゃんと呼びつつ、伊織はクッキーを口にする。
オニオンフライの味がした。
否、実際に味は感じないのだが嗅覚がスルーすることを許さない。
これはオニオンフライである。
「……」
念のためもう一口齧る。
オニオンフライだった。
遺伝は関係ないが、もしや母の料理音痴の一端はここからなのだろうか。
伊織がそんなことをつい思ってしまったところでミリエルダが微笑む。
「オニオンパウダーをふんだんに使ってみたの」
(い、意図的……!?)
「そっちのコンソメスープとも合うでしょう?」
(お茶じゃなくてスープだった!? お茶会!? お茶会だよな!? お茶は!?)
「食後の紅茶もあるから楽しみにしててね」
(あったけど食後!?)
現状はコンソメスープ会である。
あわあわとしているとイリアスが声を潜めて言った。
「……母様のセンスは独特なんだ」
独特で済むのだろうか。
戸惑いつつも伊織は「す、すごいな」と語彙力を失った返答をする。
「そうだわ、イリアス。どうしてあなたも呼んだかわかる?」
脳を混乱させながらオニオンクッキーを齧っていると、不意にミリエルダがそんなことを口にした。
イリアスは不意打ちを食らった顔で母親を見る。
「あ……えっと……」
言葉が出てこない様子のイリアスの脇腹をリアーチェがつついた。
どうやら今回も兄に同行を求められてついてきた立場らしい。
イリアスはもごもごと答える。やはり父母の前だと大人しい。
「……い、言わなきゃならないことがある、から」
「正解。ここなら他の人に聞かれる心配はないでしょう?」
――ミリエルダは『色々と把握』している。
伊織はそう理解した。
(母様はおっとりした人だから怖くはない、って母さんは言ってたけど……これは母さんが気づいてなかっただけじゃ……!?)
もしかするとアイズザーラより怖いかもしれない。
そんなことを考えながら固まっていると、イリアスが固い動きで伊織を見た。
どうやら『言わなきゃならないこと』は伊織に対してらしい。
思わず身構えているとイリアスは渋そうな顔をして言った。
「……た、た、た、助けてくれて、ありが……とう」
「兄さま、もっと普段と同じくらい声出して」
「ッ助けてくれてありがとな!!」
ナスカテスラばりの大声でそう言ったイリアスはすぐさま「ほ、方法は他になかったのかと言わざるを得ないが!」と強がる。
「それは僕も常々思ってて……」
「文句を受け入れるなよ!? ……ま、まあ、おかげで被害は最小限に抑えられた。復興もすぐに……」
イリアスは一瞬表情を曇らせた後、すぐ眉を吊り上げて言った。
「すぐに終わるはずだ」
「よかった、あの時はどうなることかと思ったから……それとどういたしまして」
笑う伊織に面食らった様子でイリアスは黙り込み、そのまま照れ隠しなのかオニオンクッキーを何枚も口に放り込んで小さく唸った。
味によるものか量によるものか居た堪れなさからか判断しづらい声だ。
そこでミリエルダが柔らかな声で笑う。
「ふふ、ちゃんと言えてよかったわね、イリアス」
「僕もほっとしました。……その、おばあちゃんなら把握してるかもしれませんけど、イリアスとあまり仲良くなれてなかったんで」
「きっかけさえあれば仲良くなれることもあるものよ。そうじゃない時もあるけれど……あなたたちふたりはそうじゃなかったみたいね」
よかったじゃない、とミリエルダはにっこりと微笑む。
その顔が少し静夏に似ており、伊織は胸を撫で下ろしながら頷いた。
「そうだ、イオリ。あなたこの後に時間はある?」
「えっ……と、ヨルシャミ次第なんですけど、まだ呼ばれてないんで恐らく」
「じゃあそれまでの間に――」
ミリエルダはすっとイリアスの肩に手をのせると微笑んだまま言った。
「イリアスのコレクション、見せてもらったらどうかしら?」
え、とふたりして固まる。
まさかの提案だ。伊織はリアーチェを見たが否定の言葉は聞こえなかった。
イリアスのコレクションといえば石、特に原石だ。伊織としてはイリアスほどの興味はないが、だからといって視線を外すほど興味がないわけでもない。
しかし原石はともかく、それをコレクションしている人間が問題である。
程なくして「おばあちゃんは行けないけれど」と付け加えられ、ふたりはもう一度固まることになったのだった。





