第293話 カミングアウトの時間 【★】
「すっ……」
伊織はそれだけ言って一瞬固まった。
時間がないとわかっているのに固まらざるをえなかった。
ナスカテスラはそれを無視して説明を続ける。
「ゴーストスライムにとって口という器官は大切な出入口という概念そのものだ! だがそれは強制力が強く発揮されるということでもある、つまり! 口と口で行なわれる行為にゴーストスライムは影響を受けやすいわけだよ! わかったかイオリ?」
「わわわわわかっていいんですかこれ!?」
「俺様は知らん!」
大切なのは君がどう思うかだ、とカッコ良く言われたが要するに丸投げである。
伊織はヨルシャミを見る。
集中しているのか先ほどナスカテスラが声を潜めた部分は聞こえていないようだ。
密かに吸い出すなら出来ないこともないが、ギャラリーが多い。
距離が離れている騎士団と発案者のナスカテスラはさておき、リータにサルサム、イリアスに露払いをしてくれているランイヴァルがいる。
――ちなみにバイクもゴーストスライムを追い回して牽制してくれているが、バイクに関しては聞かれても伊織的にダメージはない。
なにせ恋愛相談をした先輩である。
(ど、どうする……!? 方法はアレだけどナスカ先生が発案するくらいだから効果はあるんだろうし……)
時間は有限だ。悩めるのもあと少しだろう。
ヨルシャミが乗っ取られればイリアスの中のゴーストスライムも活動を再開するかもしれない。
直接吸い出せるチャンスはこれがラストかも、と考えたのと同時に、そうだイリアスにも同じことしなきゃならないんだよな!? と伊織はやっと思い至って冷や汗をだらだらと流した。
気づきたくなくて脳が敢えて考えるのを回避していたのかもしれない。
ものの見事に混乱した伊織はあることを思いついた。
ヨルシャミとの関係のカミングアウト。
それをここでやっちゃえばいいんじゃないか? と。
きちんとした場は後で設ける。
ひとまずここで近場の仲間にだけでも明かしてしまえば、伊織的にはこの行為でふたりを救うハードルがだいぶ下がるのだ。やらない手はない。
――そう確信めいたことを思ってしまうのも、混乱のなせる技だった。
(それになんでもするって言ったじゃないか。撤回する気は今もないんだから……覚悟を決めろ、藤石伊織!)
覚悟を決めた、その瞬間にヨルシャミが力尽きかけたのも後押しになった。
なってしまった。
伊織は細く長く息を吐き、一度だけ目を瞑る。
「イ、イオリさん……?」
状況をさっぱり理解していないらしいリータがゴーストスライムを矢で射ながら心配げに声をかけたが、それに答える余裕もないまま伊織はイリアスの拘束を解くと肩を持って体の向きをひっくり返した。
順番的にはヨルシャミからにすべきである。
しかしヨルシャミの後にイリアスとするのは嫌だ。なんかとっても嫌だ。
逆も嫌ではあるがこっちの方がちょっと上回る。
――という心情からイリアスを先制に決めた伊織の行動は早かった。
「……ふんッ!」
「むぐ!?」
頬を両方から押さえて口を開かせ、頭突きに近い勢いと掛け声で口と口とを合わせる。
それはもはや接吻というよりもそういった競技のようだった。
事情を知らない面子はぽかんとした顔を見せ、イリアス本人は両手の指を引き攣らせて目を見開いている。
ヨルシャミは苦悶の表情を一時忘れ、そして大声で「なぜだ!?」と叫んだ。
舌ではないなにかが口元に触れ、伊織はそれがこちらに来るのを待ったが――相手も耐えている。それは困る。
咄嗟に魔力を譲渡する時の感覚を思い出した。
あの時、手の平から流れ出ていたのは魔法という事象に姿を変えていない魔力そのもの。
つまり一瞬なら魔力そのものを表に出せるということだ。
(逃げずに……こっちに、来い!)
半ばぶっつけ本番で己の歯に魔力を纏わせた伊織はその歯でゴーストスライムに噛みついた。狙い通り魔力を挟めばゴーストスライムに触れられる。
ナスカテスラが「君も器用だな!」と称賛を送っているのが聞こえたが、それにも答えず伊織はイリアスの中からゴーストスライムを噛んだまま引き抜いた。
両手にも魔力を纏わせ、ゴーストスライムを口の中へ押し込むと自身の中でこれでもかと焼き消す。
それを確認するなり伊織は掠れた声で言った。
「叔父さんだから! セーフです!!」
「セーフか!?」
思わずサルサムが正直な感想を漏らしたが、伊織はセーフを繰り返しながら自分の口をごしごしと何度も擦り、少し赤くなったところでヨルシャミに近づいた。
パニックになりつつも思考を続け、まだ体内のゴーストスライムに抗っていたらしいヨルシャミは引き攣った笑みを浮かべる。
「わ、わか、わかったぞ、そうか! く……口からゴーストスライムを吸い出す方法か! 荒療治にも程が……」
「ヨルシャミ、言おう」
「なにをだ!?」
「この勢いに乗ったほうが良いと思う」
「だからなにをだ!?」
ひとまず伊織よりは冷静なヨルシャミはなかなか今の状況とカミングアウトが結びつかない。
伊織の謎の気迫に押されるように地面を這って退くも、伊織は半歩で追いついた。
「セラアニスさんには目覚めてから一緒に謝ろう」
「いやだからなにをんぐッ!」
キス魔の辻斬りのようだった。
イリアスの次はヨルシャミと唇を合わせた伊織は今度は丁寧に体を抱き寄せる。
一秒、五秒、十秒と経ち、イリアスの時より時間がかかっているのはゴーストスライムがさっきより必死に抵抗しているから仕方ない、と自分に言い聞かせながらたっぷり二十秒ほどかけてゴーストスライムを引き寄せる。
初めはじたばたと両腕を動かしていたヨルシャミが大人しくなった頃、些かワイルドな様子でゴーストスライムを噛んで引き抜いた伊織は今度は魔力を纏った歯でコアを噛み砕いた。
ナスカテスラが再び「そういう手もあるのか!」と拍手していたが素直に喜べない。
さあ言うぞ、と思った時点で緊張が最大に達し、伊織はほんの一瞬逡巡した。
しかし。
ヨルシャミが今までにないくらい真っ赤になり、耳まで赤く染めた状態で脱力している。
それを見た瞬間の気持ちをバネに伊織は声高らかに宣言した。
「ヨルシャミは僕の恋人なので! セーフです!!」
「セーフじゃないよな!?」
サルサムは先ほどよりも激しくツッコミを入れる。
関係のカミングアウトは驚いたが納得もできた。
そのことに関して深く探りを入れるつもりはサルサムにはない。しかしヨルシャミの状態を見る限りセーフじゃなくないかという気持ちはあった。
(それにリータさんがいるんだぞ……!)
伊織がリータの気持ちに気づいていない、更にはリータが隠しているのだから仕方ないことだが、恋焦がれつつも応援しふたりをくっつけようとしていたら既にくっついてました、というリータの心情を思うとサルサムは気が気でない。
浮かべる表情は絶望か、それともサルサムには理解し難い謎の興奮か。
そう恐る恐る、しかしなにかあればサポートしてやりたいという気持ちからリータのほうを見ると——
宇宙を背負ったウサウミウシだ。
そんなものを幻視してしまうような、如何ともし難い表情をしていた。
「どういう感情だそれは……!?」
「いえ……あの……その……」
リータは自分の胸元を押さえて声を絞り出す。
「なんだか色んな感情で胸がいっぱいなので、整理してから……言いますね……!」
後から聞くのが怖い。
しかしサルサムは間髪入れずに「その時は聞くから言え」と頷いた。
リータ自身も戸惑っているようだが、負ばかりの感情ではなさそうだ。だがそれを野放しにしておかないほうがいい気がサルサムはしたのだ。
伊織は後からようやく感情が追いついたようで、赤くなりながら冷や汗を流すという器用なことをし始めた時、空からなにかとてつもなく重いものが落下してきた。
隕石か、とその場にいた誰もが錯覚し、そしてそれがジャンプし着地した静夏だと理解すると、そんな『理解』をした自分の脳を少し疑った。
着地地点のレンガを弾き上げて降り立った静夏の足元には――消えゆくゴーストスライム。
どうやらランイヴァルたちの目を掻い潜って本能のままに伊織に寄生しようとしていた個体がいたらしい。
静夏は伊織が寄生されないことを知らないためだろうが、砂煙が晴れて見えた表情にはなぜか喜色が滲んでいた。
「……あ、母さ……」
「イオリ! 滞空している時に聞こえた。そうか、ふたりは想い合っていたのか」
滞空時間がやや気になるところだが、静夏は生身でも長々と跳ぶことが可能なためありえなくはない。
静夏はそのままへたり込んでいたヨルシャミの腕を両側から支えて持ち上げる。
「私はお前が娘……息子? になるなら大歓迎だぞ、ヨルシャミ」
「――い……いや待て! 早いな! なにもかも早いなお前たちは!?」
ようやく我に返ったヨルシャミは宙に浮いた両足をじたばたさせて言った。
伊織の即断っぷりといい静夏の受け入れる早さといい、何度目を瞠ればいいのかわからない。
(しかし……)
ヨルシャミは思う。
静夏がすぐに受け入れ、しかもこうして心から喜んでくれたのは、今まで旅をしてきた中でヨルシャミをよく見てきたからこそだろう。
恐らく伊織がまったく見ず知らずのパートナーとこんなどたばたの中で恋仲宣言すれば違った反応になっていたはずである。
そしてヨルシャミはリータを見た。
あれだけ応援してくれていたというのに、その間も真実を伝えられないでいた。
それは自分が置かれた少し特殊な境遇もあるが、大半は心の問題だ。
恥ずかしくて言うに言えない、というごくごく単純な。
不義理を謝りたいと思ったが、ここは場が適さない。
深呼吸をし、ヨルシャミは伊織の手を引いて皆に言った。
「ま……まず、先ほどの伊織の言葉は虚言ではない。これに関しては後でちゃんとした場を設けて話したいと思う。……リータにもな。ゴーストスライムは大分減ったがまだ残っているだろう、街中に隠れている個体がいるかどうかも調べねばならん。故に今は仕切り直して殲滅に戻る!」
これでいいだろうか、と各々を見たヨルシャミに頷きがいくつも返ってくる。
「あの……ヨルシャミさん、イオリさん。私たち、ちゃんと聞くんで待ってますね」
「バルドも後からうるさそうだからな、気が済むまで聞かせてやれ」
そう言ってリータとサルサムが新たに路地から出てきたゴーストスライムの退治に戻った。
ランイヴァルは狙いを定めたゴーストスライムのコアに圧縮した水を放つ。
ヨルシャミの影の針や伊織の歯と違い、一発で壊しきれなかったがヒビが入りゴーストスライムの動きが明らかに鈍った。そこへ二撃目を撃ち込んで消滅させる。
ランイヴァルとしては伊織とヨルシャミの関係についてはさほど驚かなかったが――静夏、オリヴィアが嬉しそうにしているのは喜ばしいことだと感じていた。
後で落ち着いてから祝いの言葉を贈ろうと小さく口元を綻ばせ、ランイヴァルは呆けた表情をしたままへたり込んでいるイリアスを担ぐ。
「イリアス様は私が責任を持って王宮へお帰しします」
「宜しく頼む。……イリアス、怖い思いをしただろう、すぐ気づけなくてすまなかったな」
イリアスはハッとして静夏を見上げ、そしてなにか言いたげに口をぱくぱくさせてから目を逸らした。
静夏はそれを深追いせず、王宮へと退いていくふたりを見送る。
そして――ゆっくりと伊織たちを振り返り、名残惜しいが退治に戻る、と告げた。
「ふたりとも、きちんと話を聞ける時を楽しみにしているぞ」
「ち……ちゃんと話すよ、うん」
口にした言葉は実現するつもりだ。そう心に決めながら伊織は母を見送った。
カミングアウトは緊張と不安が入り混じるものだが、そんな相手が楽しみに待っていると思うと少し気が楽だった。
そして再び冷や汗を流す。
ちゃんと話すべきは――今真横にいる、ヨルシャミに対してもだろう。
シァシァとセトラス(絵:縁代まと)
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