第292話 託された方法
伊織の声に反応したイリアスは泣きながら「助けてくれ!」と声を上げていた。
ゴーストスライムがイリアスの意識を残しているのは、魔導師の才能のある者は上手く操りきれないのかと伊織は思っていたが――これはもしかするとわざとなのかもしれない。
怖がり、怯え、助けてと懇願する相手に人間が躊躇すると理解しているのだ。
嫌な成長の仕方をしたな、と思いながら伊織はこちらに照準を合わせ直して飛んできた炎の槍を避け、回避しながらバイクのキーを取り出した。
ここまでの移動に使わなかったのは不意打ちのため。
一動作でバイクを呼び出した伊織はシートに飛び乗るとエンジン音を響かせてイリアスに急接近した。
突然現れた謎の乗り物にイリアスもイリアスの中のゴーストスライムも呆気にとられた様子を見せる。
「ヨルシャミ! 僕ごとイリアスの中のゴーストスライムを撃って!」
「お、お前ごと!?」
ギョッとしたヨルシャミが詳しく聞き返す間もなく、伊織は急なカーブを描いてイリアスの真後ろに回り込むと、バイクがスピードを完全に殺してくれたタイミングで地面に降りた。
そのままイリアスを羽交い締めにする。
いくら伊織でもイリアスがもし炎を纏う防御魔法でも使えばただでは済まない。
だからこれは一瞬の隙だ。
ヨルシャミならこの隙を理解し、突くことができるはず。
そう伊織は考えていたが——存外ヨルシャミは狼狽えていた。
(ヨルシャミ? ……!)
彼が見た予知。
射抜かれる伊織の話は聞いていたが、実際に『見た』のはヨルシャミだけ。
だからこそ彼がここまで心揺らすと思い至らなかった。
いや、あと少し、ほんのちょっとでも時間があればきちんと考えることができただろう。ヨルシャミも心を決められたはずだ。
要するに、お互い時間がなさすぎたのである。
「ぅ、うあ……!」
「な……!?」
イリアスが呻いたかと思うと口からぬるりとゴーストスライムが複数出てきた。
オリジナルのゴーストスライム本体ではない。
この一瞬でイリアスの魔力を利用して分裂したのだ。
戸惑う隙を突き返された、そう伊織が感じた頃には新たに生まれたゴーストスライムたちはヨルシャミとナスカテスラに襲い掛かっていた。
先行していたゴーストスライムをランイヴァルが水属性の魔法で作った水籠で閉じ込めるも、時間をかければ抜け出せるのか時間制限付きの足止めになった。
そしてとにかく数が多い。
ランイヴァルとナスカテスラも攻撃魔法を使ったところで火に油だろう。
「なんて量だ! 王族の魔力は相当美味いらしいね!!」
「す……すまぬイオリ! 一歩遅れ……むぐ!」
ゴーストスライムの上に乗ったもう一体のゴーストスライム。
同種同士なら触れられるらしいそれを下の個体がバネのように弾き出し、予想外のスピードで飛んできた。
そのままゴーストスライムの狙い通りヨルシャミの顔面に命中し、伊織は小さな声を漏らす。
隙を突き返す際に『伊織を振り払う、攻撃する』ほうに舵を切らなかったのはこれが狙いだ。
この中で最も攻撃手段を持っているのはヨルシャミである。
彼を乗っ取ることができればゴーストスライムの優勢になるよう巻き返すことも容易だろう。
宿主のポテンシャルを最大まで引き出せる特性。
そんなものでヨルシャミの力を使えばどうなるのか。
「……ヨルシャミ!」
「こ、の……私を乗っ取ろうとはいい度胸だ……」
口から入り込まれたヨルシャミは眉間にしわを寄せて呻きながら言う。
まだ抵抗できているようだが、地面に膝をついて苦しむ様子を見ているとそう長くは保たないだろう。
伊織は歯を食いしばってイリアスを抱え上げるとヨルシャミの元に急いだ。
「ックソ、……っはぁ……は……こやつが魔力を追い回すせいで、上手く影針が作れん……! あと少しだというのに!」
「自分で自分を射抜くつもりか!?」
「お前が言うなお前が! ……ぐっ!」
ついには地面に額をつけ、髪のカーテンで表情のわからなくなってしまったヨルシャミを前に伊織はなにか策はないかと考える。
「イオリさん! 大丈夫ですか!?」
「リータさん……!」
ずっと騎士団側の援護をしていたリータが駆けつけ、先ほど生まれたばかりのゴーストスライムを五体同時に矢で燃え上がらせた。
その背後から奇襲をかけ、リータの後頭部にくっついたゴーストスライムをサルサムが切り裂く。
礼を言いながらリータは伊織とヨルシャミを見た。
「あのっ、あっちは攻撃タイミングのコツを掴んだマッシヴ様が無双してます、それでこっちの援護をと思ったんですが……ヨルシャミさん、もしかして」
「僕のせいで寄生されたんだ」
でも抗ってくれてる、と伊織は視線を落とす。
すると黙り込んでいたイリアスが呆然とした声で言った。
「こ、こいつらに……抗える、のか……?」
イリアスの中のゴーストスライムはまだ様子見をするつもりらしい。
恐らくヨルシャミさえ乗っ取ることができれば巻き返せるとわかっている。
もしくはヨルシャミを乗っ取ろうとしている個体に指示を出すのにかかりきりか。
しかし、再び動く気になればイリアスはまた恐ろしいことになるとわかっていた。
だからこそ抗う方法があることに驚きつつも興味を持ったらしい。
荒い呼吸の向こうでヨルシャミが低く笑う。
「魔力操作でな……ゴーストスライムから魔力を逃げ回らせているのだ……どうやら寄生してすぐ、宿主の魔力を糧に支配するらしい」
「つ、つまり初めの一口さえ与えなければ支配されない?」
「ああ、ついでにっ……魔力を塊にして敢えて、ぶつけてやったが、っ……ほぼ効かんなこれは! 食われる前に散らす!」
「器用通り越して怖いぞヨルシャミ!!」
珍しく口元を引き攣らせたナスカテスラはメガネを押し上げて表情を正す。
「まあさすが天才といったところか……!」
「ふはは! まあ自ら魔力の暴動を引き起こしているようなもの故、血だらけになるがな……!」
緩く顔を上げたヨルシャミは穴と言う穴から出血しており、ホラー映画さながらの様子だった。
伊織は早くどうにかしたい、と浮き足立つ。
そこへナスカテスラが屈んで伊織に視線を合わせると口を開いた。
「イオリ――きみだからこそできるいい案があるんだが、のるか?」
「良い案……?」
舌足らずで静かな声にそう言われ、伊織は間髪入れずに頷いた。
「乗ります! ヨルシャミとイリアスを助けられるならなんでもします!」
その答えににっこりと笑ったナスカテスラは伊織の肩をぽんと叩く。
「長命種は恋愛に疎い者が多いが知識として知らないわけじゃないし、そういう気持ちに絶対ならないというわけでもない! 俺様は独り身が気楽でいいが!」
唐突だった。
脈絡もなにもなかった。
突然の話に伊織はきょとんとし、金色の目を何度も瞬かせる。
「い、一体なんの話――」
「閑話休題!! とどのつまり、俺様は……イオリ、君の情緒のアレコレは大体理解しているということだ!」
「……っ!?」
先ほどまではわからなかったが、ここまで言われればなにを指しているのかくらいはわかった。
ナスカテスラは伊織がヨルシャミに懸想している、もしくはそれに近い感情を持っているとわかっているのだ。
しかしそれを指してなにを言わんとしているのかまでは見えてこない。
ナスカテスラは自分の口を指す。
「この方法は注意しつつやれば俺様でも出来ないことはないが、理解しているからこそ! 君に託そう!!」
理解しているから譲るような方法?
なんでもするとは言ったものの、身構えた伊織は満面の笑みを浮かべたナスカテスラを見た。
彼は伊織にひそひそと耳打ちする。舌足らずでもそれはよく効き取れた。
ナスカテスラはこう言ったのだ。
君が直接吸い出せ、と。





