第288話 ゴーストスライム 【★】
慌ただしい物音で目が覚めた。
伊織は未だヨルシャミにホールドされたままだと気がつくと、もごもごと呻きながら起きようと試みる。しかしなかなか腕が外れない。
「んむ、む……なんだイオリ、くすぐったいではないか……」
「お、起きて、起きてヨルシャミ、なんか外の雰囲気がおかしい」
「外の雰囲気ぃ……?」
寝惚けた様子でヨルシャミはようやく伊織を解放すると体を起こした。
そのまま耳を出入口に向け、様々な人間が歩き回る――走り回る音を聞いて「たしかに」と頷く。
「ふむ、トラブルがあったのかもしれんな」
「まさか母さんたちになにかあったんじゃ……」
「早合点は不健康になるぞ。とりあえず様子を見に行こう」
伊織は頷き返すとヨルシャミを連れて部屋から出た。
廊下には夕日が射し込んでいる。
どうやら寝れない寝れないと心配しつつも夕方まで熟睡できたらしい。
先ほどまで廊下を行き交っていた人々は目的地に散っていったらしく、手近な場所に話を聞けそうな人がいない。
仕方なく誰かいそうな広間を目指していると、道中で荷物をゼフヤに預けている静夏たち一行が視界に入り伊織は胸を撫で下ろした。
「母さん! みんな!」
安堵しつつ、母たちならなにか知っているかもしれないと思いつつ駆け寄る。
するといち早く伊織に気がついたバルドが片腕を上げて応えようとし――サイズの合わない服、しかも着崩れたものを着たヨルシャミと寝癖だらけの伊織を見て宇宙に放り出された猫のような顔をした。
「う、うわーッ!! 俺らが出てってる間に伊織が大人の階段上ったーッ!!」
「誤解だアホめ! 状況を説明しろ!」
一喝しつつも「ならなんだその格好!?」という質問には答えず、ヨルシャミは状況を訊ねる。
こちらも多少驚いていたらしい静夏が咳払いをしつつ説明した。
なんでも街にゴーストスライムが出たらしい、と。
「ゴーストスライム? それって討伐優先リストにあったやつ?」
「ああ、そのようだ。物理攻撃がほぼ効かない故、騎士団の魔導師が対応に向かったが……」
騎士団の主力は遠征に出ているため、人手が足りないという。
そのため静夏たちもこの後すぐ街へ向かうつもりだったらしい。
「伊織たちはゼフヤが呼びに行ってくれることになっていたが……ここで合流できたのは良かった、共にゆこう」
「わかった。ゴーストスライムってベタ村に出たゴーストゴーレムみたいなもの?」
伊織のその問いに答えたのはヨルシャミだった。
「ゴーストゴーレムより大分下位の魔物だ、だがゴーストゴーレムが人間を廃人にするのに対して、ゴーストスライムは宿主にして増えるのだ。弱くとも厄介な存在であるな。……」
そのまま考え込んだヨルシャミは眉根を寄せる。
「ラキノヴァの多重契約結界は強固だ。普通の結界は弾くべきか否かを大雑把にしか判断できないが、多重契約結界は各参加者の受け持ちでチェック項目がある故な」
「単純に参加者が増えることで弾く威力が上がる、ってわけじゃなかったんだ……」
「上りはするぞ? そこに細やかな指示を加えられるのだ。コストもリスクもあるがために王都以外では使えんだろうが。……そのチェックの中にゴーストスライムも含まれているはず。なのに何故擦り抜けた……?」
ひとまず街で直接対応に当たりつつ観察してみよう、とヨルシャミは歩き出しかけてハッとした。
「シズカよ、街中に出るのにそのまま行くのか?」
「ああ。聖女マッシヴ様と知られてしまうだろうが……現場には転移魔石で行く。王宮から来たのではなく、旅の道中で立ち寄ったことにしよう」
王女オリヴィアである、と気づく者がいるのではないか。
そう心配したヨルシャミと伊織に静夏は小さく笑う。
「幼少期より人々の前への露出は控えていた。王女が幼いながらに筋肉に恵まれていた、という噂話はなかっただろう?」
「あ、たしかに……それにそんな話があったら病で臥せってるって話も広まらなさそうだもんな」
「父様と似ているところに引っ掛かりを覚える者がいるかもしれないが、王宮へ向かう時と違い、そのまま立ち去るように装えば関係は疑われまい。黒髪とこの目の色も一族固有ではないしな。リスクとしては他の街で姿を晒すのより少し高いといったところか」
静夏は正体を伏せているが、ベレリヤの魔獣への対応はジリ貧と呼べるものだったため、伊織の件が落ち着けば聖女マッシヴ様として魔獣退治に協力するつもりでいた。
まだ話を詰める段階ではないが、そうも言っていられない状況だ。
これはマイナスなことばかりではない。この騒動をきっかけに魔獣退治に協力することになった、と国民に浸透させることが可能になるかもしれないのだ。
ランイヴァル、と静夏は後ろに控えていたランイヴァルに声をかける。
「そういうわけだ、街では他人のような振舞いを頼む」
「了解しました」
さあ行こう、と転移魔石を取り出す様子を見ながら伊織はヨルシャミをちらりと見た。
これは――関係を公言するのは、もう少し後になりそうだ。
***
「……っなんで! 僕がっ……こんな目に!」
金髪を振り乱しながらイリアスはレンガ道を走っていた。
後ろには半透明のスライムのようななにか――ゴーストスライムが地面すれすれを浮いたまま滑るように移動し追ってきている。
半透明の中央部分に黒い六角形の塊があるが、これは魔導師の才能のある者にしか見えないようだった。
イリアスにはそれが見えている。
ゼフヤの言っていた通りイリアスには魔導師の才能があったが、それが今は不利に働いていた。
――ゴーストスライムの栄養源は魔力である。
しかも他の生き物の中に取り込まれたものに限る。
魔獣は餌を必要としないが、ゴーストスライムに関しては分裂を行なうために必要なエネルギーとして欲しているようだった。
通常の人間も知らず知らずのうちに体内に微量の魔力を潜り込ませているため、ゴーストスライムは内側に入り込み、それが消えてしまう前に己に取り込む。
しかし魔導師の才能を持つ者は保有している魔力が桁違いだ。
そのためこうして優先的に狙うのである。
そして、ゴーストスライムには最近覚えたことがある。
本能でしか動いていなかったところに芽生えた知恵。
それを使って宿主をただの住処にしておくだけでなく、人の多い場所へ移動させて新天地へ赴く手助けをさせる方法を見つけた。
今までなぜしてこなかったのかゴーストスライム自身も不思議なくらいだ。
先ほど発見した絶好の獲物は疲弊し、もうそろそろ捕まえることができる。
向かいの道から現れた分身と挟み撃ちにすることで動きを止め、その隙に足を絡めとった。なにか魔法を放とうとしたようだが暴発に終わる。
ゴーストスライムは分身たちに指示して獲物の口を開かせた。
上位の同胞なら生き物のどこからでも入り込めるが、ゴーストスライムは弱いため『口』という概念からしか出入りできない。
口から入り込めばあとは肉体の内側に入り込み、憑依した形になる。
これは物理的に入っているわけではないため、他の人間が口を覗き込んでも口内や消化器官のどこにもゴーストスライムを見つけることはできないだろう。
解けた金髪を乱して叫ぶ獲物を押さえつけ、口から侵入したゴーストスライムは大量の魔力にありつくことができた。
そうして再び分身を増やしている最中――あまりにも大きな魔力の気配が唐突に現れてぎょっとする。
なんの前触れもなく目の前に果てない高級料理を並べられたような気分だ。
『……』
幼さの残る体に指示してふらふらと立ち上がり、ゴーストスライムは気配のする方向を見る。
そして、その正体を探るべくゆっくりと歩き始めた。
ウサウミウシ(線画:縁代まと/彩色:縁代の妹)
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