第284話 今が一番美しい
とんでもない呼び方をされた。
それでも『バニー君』などと呼ばれて反応してしまったのは、伊織にとっても自分のバニーボーイ姿が記憶に新しかったからだ。
思わず眉間にしわを寄せて廊下の先を見ると、イリアスが金髪を揺らしながら笑みを浮かべて近寄ってくるところだった。
叔父と知ってから敬語を使うべきか迷っていたが、やはり使う気にはなれないなと早期判断した伊織は笑みを返さずに言う。
「伊織って名前があるからそっちにしてくれないかな」
「愛称のほうが親しみがあるだろ? それより良いところに来た。ちょうどお前を迎えに行ってやろうと思ってたんだ!」
この僕がわざわざ! と付け加えながらイリアスは伊織の目の前で足を止めた。
「む、迎えに?」
「そうっ! 特別にお前にも僕のコレクションを見せてやろうと思ってな!」
得意げに言いながらイリアスは伊織の腕を引こうとし、そしてその手に見たこともない石が握られているのに気がついたのか一瞬目を丸くした。
しまった、と伊織は口元を引き攣らせる。
カバンごと持ち出すのは敷地内だと大仰かもしれない。
そしてポケットにも入らない。
そのためニルヴァーレの魔石を素手で持っていたのが裏目に出た。
中庭でのセリフを思い返すに、イリアスは珍しい石をコレクションしているらしい。もしかすると珍しい石だから寄越せと言ってくるかもしれなかった。
それは困る。
慌てて手を背中に隠そうとするも、イリアスはぱっと腕を伸ばして石を奪い取った。
「良いものを持ってるじゃないか! なんだ、お前も本当は石好きか?」
「待っ……」
「ふふふ、僕の加工技術は専門家レベルなんだぞ。よし、今夜はこれに素晴らしい加工を施してやろう、バニー君は運が良いな!」
「マジで待って!?」
伊織はぎょっとする。
ニルヴァーレそのものでもある魔石を加工などしたらどうなるかわからない。
加工ということは割ったり削ったりするのだろう。
地下水に流された後、大カラスに魔石を奪われた時のことを思い出して伊織はぞっとした。
そんなトラウマなど知らないイリアスは意気揚々と自室に戻ろうとする。
伊織はニルヴァーレに頼んだ近接戦闘の訓練を思い返した。
相手を攻撃するための動きではないが、油断しきった子供相手なら通用するはず。
一歩目から跳ねるような動きで一気に距離を詰め、相手が接近されたと認識する前に手に握られた魔石を狙って手を伸ばす。
しかし弾き落としては元も子もない。
目を閉じることなく、この時だけ瞬きを禁じた伊織は確実に手の平と魔石の間に指を差し入れた。
「っあ……!」
そしてイリアスが奪われまいと強く握り返す前に奪い取る。
流れるような動きで魔石を胸に抱き込み、伊織はイリアスを振り返ると口を開いた。
「これは大事なものなんだ、渡せない」
「な――なら、もっと美しくなれば嬉しいだろ?」
「嬉しい……?」
イリアスの思考は今の自分には対処しきれないようだ。
ここに長居するのはよくない。
伊織はきょとんとした後、一言だけ言い残してイリアスの前から走り出す。
「悪いけど、この人は今が一番美しいんだ!」
***
ナスカテスラの検査はヨルシャミの手伝いもあり、予定よりも進みが早かった。
検査の最中に使われたナスカテスラ固有の魔法は彼が回復魔法を応用し作り出したもので、細胞を強制的に増殖させ培養するのに適したものである。
理論上は外部での臓器の再生、それを移植することも可能らしいが、王都の技術はまだ安全な移植が行なえるものではないらしい。
「ヒルェンナだっけ? その子みたいに回復魔法以外を封じて体内で再生させられたらいいんだけどね! 生憎俺様は回復以外を使えなくなるのは困るから手を出せない方法だ!」
「まあ、各地を巡るなら戦闘向きの魔法も使えねば困るであろうな」
ナスカテスラは王都に永住するつもりはない。滞在のスパンが長いだけだ。
もし今後も生きている限り様々な場所を巡ろうと思っているなら、回復特化というのは分が悪いだろう。
「そうそう!! それにほら、これだけ沢山の魔法があるのに回復以外使えないなんて……もったいないだろう?」
「ははは、それは同意せざるをえないな」
笑いながらヨルシャミはナスカテスラの魔法を見様見真似で使ってみる。
ベースの回復魔法は理解しているが、小さなものを強制増殖させるというのは存外難しかった。
結果、細胞を『治癒』しようとした魔法が『損傷はない』と判断して掻き消える。
難しいなと呟くと今度はナスカテスラが笑った。
「逆に効きすぎると一気に増殖して恐ろしいことになるぞ!」
「恐ろしいこととな?」
「四百八十年くらい前だったかな、部屋が肉塊でいっぱいになったことがある!」
「それは……ステラリカが激怒したであろうな……」
さすがにそれはヨルシャミも見たくない。
「増殖のコントロール、暴走抑制、速度の加速を目的とした他の魔法をクッションとして挟みつつワンセットで発動するように整えてあるんだ! レシピは忘れたから解析したいならご自由にどうぞ!」
「ぬう、骨の折れる作業だな。ここにもう少し長く留まれるのなら実行してもよかったが……」
「おや? つまり知識欲より優先したいことがある?」
うむ、とヨルシャミは頷いた。
伊織の味覚を治すことも、魔獣を倒すこともだが、ここしばらくのナレッジメカニクスの動向が気がかりだ。
それに世界の穴を閉じなければいくら魔獣を倒してもきりがない。
最後に、王都は多重契約結界により守られており外より危険は少ないが――
「……自動予知でイオリが危険に晒されるのを見た。あれを現実にしたくないのだ」
外見年齢などから見て、そう遠くない未来に起こるかもしれないこと。
ヨルシャミとしては奥にいた人物がナレッジメカニクスの関係者ではないかと思っている。回避したいなら早く組織を潰し、憂いを消すしかない。
本来なら確定事項だが、転生者が関わっているなら変えられる可能性がある。
その過程で自分の手を汚すことになっても、だ。
「予知……ああ、エルフノワールに血筋由来の予知魔法を持ったのがいるって聞いたことがあるな! 君がそれか!」
「やはり早々ないのか。うちの里はほとんど親族だった故、これを使えるのが当たり前だったのだがな」
それに加えて他の魔導師との交流不足のせいで、上位の魔導師なら誰でも使えるものだと思っていたくらいだ。
ナスカテスラ曰く、類似した魔法なら存在しているがまったく同じものはないそうだ。そしてそんな類似した魔法自体も相当珍しい。
ナスカテスラは記憶を漁りながら言う。
「自動ってことは意識的にはできないのか? たしか聞いた話じゃ自在に行なえる者もいたはずだけど――」
「我々より遥か上の世代にな。代を重ねると薄まるらしい」
血筋由来の魔法は遺伝子を住処にしている特殊な魔力の影響だとヨルシャミは考えていた。
つまり外の血を入れれば薄まるのも必然だ。
「なんにせよ、その自動予知のせいで碌でもないものを見てしまったのだ。不確定な未来だが避けられるのなら避けたいだろう?」
「なるほど……よし! じゃあ目一杯手伝ってもらって、さっさとイオリを治してしまおう!」
そうだ! とナスカテスラは手を叩く。
「私室の資料も使おうか! おいで!」
「私室? ここもそうなのでは?」
「あはは、入り浸るから寝食可能なスペースを設けただけだよ、本来は研究室として与えられた部屋なんだ!」
だから資料の収納スペースも少ないとナスカテスラは言った。
納得しつつヨルシャミは頷く。
「わかった、協力感謝する」
「協力してもらってるのはこっちさ!」
大声でそう返しながら、ナスカテスラは満面の笑みを浮かべた。





