第281話 使命感、負ける!
「あいたた……ぜ、全体重が手の平に……」
「大丈夫ですか? やっぱりオリヴィア様みたいに支えたほうがよかったですね、すみません……!」
倒れかけた際の衝撃がそのまま両手にかかり、じんじんと痛む感覚に情けない声が漏れてしまう。
思いきり壁に手をつくはめになった伊織はふらふらと体勢を直しつつも恐縮した。
「いえいえ! さすがにそこまでしてもらうのは悪いですし!」
足下はおぼつかないが体を支えてもらうほどではない。
静夏の時は身内だからこそだ。それにステラリカのほうが身長が高いものの、誰かをずっと支えながら歩くのは辛いだろう。
「今のは単純に僕のミスなんで……むしろすみません、怪我はありませんか?」
危うくステラリカを突き飛ばしてしまうところだった。
怪我はないですよ、という返答に伊織はホッと胸を撫で下ろす。
そこへ近づく足音に気がつき、顔を向けると――なにやら穏やかな顔をしたリータが近づいてくるところだった。
「イオリさん、おはようございます。もしかして今お帰りですか?」
「おはようございます! そうなんです、検査が結構凄くて……あっ、こちらはステラリカさん。ナスカテスラさんの姪御さんです」
ナスカテスラさんの、とリータは納得した顔で口にすると会釈した。
「リータです。もしかして部屋まで送ってくれてる途中……だったんでしょうか?」
「ステラリカです、宜しくお願いします。はい、オリヴィア様の部屋がこちらと違う方角だったようなので案内を……」
「えっと、それじゃあここからは私が受け持ちますね。目と鼻の先ですし」
目と鼻の先ならこのままでもいいのでは?
と、伊織は思ったものの、ステラリカの手を煩わせている自覚もあったため、自ら率先して「じゃあここまでで」とステラリカに笑いかけた。
「ステラリカさん、案内ありがとうございました。ナスカテスラさんに宜しく伝えておいてください。……あと、その」
「はい?」
「ヨルシャミも魔法に関することになると周りが見えなくなるタイプなんで……く、苦労が二倍になったらすみません……」
真剣な顔の伊織にステラリカも真剣な顔を返し、ごくりと喉を鳴らして頷いた。
戦士の顔に見える。
それではこれで、と去っていった彼女の背中を見送ったのも束の間、伊織はリータに手を引かれてギョッとした。
「あの、リータさん、ひとりでも歩けま――」
「イオリさん! 見てください、この廊下をまっすぐ進んで左手側にある豪華なドアがイオリさんの部屋ですよ! 鍵はかかっていないそうです!」
「なんか張り切ってますね!?」
いつも通りですけど?
と、そんな顔をするリータにアタフタしつつも伊織はついていく。
なぜこんなに張り切っている――というよりも、使命感に燃えているような雰囲気なのだろうか。
予想すらできないままリータを見ていた伊織が「あ」と口を開く。
「リータさん、昨日と違うドレスですよね? 昨日のも良かったけど、今日のも凄く似合ってますよ!」
「……」
ぴた、と足を止めたリータは後ろからでもわかるほど耳をぱたぱたと揺らした。
そしてついさっきまでの違和感のあった表情を崩し、半分だけ振り返って言う。
「……そ、そう、ですか? えへへ……」
――使命感は、どうやら溢れる喜色までは抑えきれなかったらしい。
***
朝、ではあるもののまだ起きるには早い時間帯に思えた。
やたらとふわふわしたベッドの中で目覚めたバルドは薄目で窓を確認する。
カーテンで外は見えないが、射し込む朝日は弱く感じた。
部屋が広い広いとあれだけ騒いだものの、昨晩は絶好調の快眠。
夢も見ないくらい深く眠れた――のだが。
(でもまだ眠いし、まあ起きなきゃいけない時間になれば誰か来るだろ、うん)
そんな他人任せの思考をしつつ寝返りを打つ。
再び微睡みながらもバルドは無意識に思考していた。
バルドの旅の目的のひとつに、伊織及び静夏の転生者としての力が成長や進化するのかどうかを確認する、というものがある。
そんなものを目的に据えたのは自分の力が成長するのかどうか確認したかったからこそだ。
ここまでの過程で伊織は大きく成長してのけたが、一方であれは能力の成長というよりも元からあった力を使いこなせるようになっただけでは、と思うこともある。
ただ静夏は幼少期からの話を聞くに、筋肉の神の手を借りたとはいえ自力で鍛えて成長したとも取れた。
筋肉、という目に見えてわかりやすいものだからかもしれない。
もしここに生まれ落ちた瞬間から不変の力だったなら、静夏も生まれた時から現在と同等の筋肉とパワーを得ていないとおかしいだろう。
赤ん坊として普通の人間から生まれられるのかどうか怪しくなるが。
ということは、やはり自分の力も成長しており、昔は治せなかった記憶を洞窟の落盤事故で頭部を負傷した際に一部再生させたという説が有力になった。
――もう、そんな確認をしなくてもいいんじゃないか。
皆には言っていないが、途中で徐々にそう思い始めたのは旅が楽しかったからだ。
記憶や能力の件がはっきりしなくても、楽しい仲間や惚れた女が一緒にいるならそれでいいかもしれない。
時折水泡のように現れる過去の記憶に驚かされることはあれど、すぐに自分の記憶だと受け入れる土壌ができつつあった。
これは周りの方が狼狽えていたくらいだが、性格の微少な変化もバルド本人としては気にするほどではない。
と。
そんなことを考えていたのは、火山に向かうまでのこと。
じつはバルドが皆に言っていなかったことがもうひとつある。
バイクから放り出された時は本当に大丈夫だったが、火山でヨルシャミを追って崖から落下した時は頭を打ったのである。
意識の飛び具合からして頭部が潰れたというより激しい脳出血と思しきダメージがあり、そしてそれはあっという間に修復された。
外から見てもヨルシャミにはわからなかったかもしれない。
元は蘇る記憶はランダムであり、うっすら開いた蛇口から一滴ずつ零れ落ちる水ほどの量しかなかったが、今は突発的に思い出す記憶が増えている。
それでも自分は自分だ。
そう思えるからこそ恐れることはなかった。
しかしオルバートの件を聞き、もし、もしも過去の自分と関係があるのなら、自分がどう動くかがとても大切なことになるのではないか、と思ったのだ。
興味からではなく、仲間のために記憶を取り戻したい。
今はそう思っている。
(初めにニルヴァーレから依頼された時も、なんとなくだったけど……そうだな……ナレッジメカニクスの話を聞いたから、そこから興味を持った気がする……)
うとうとしながらバルドは思い返す。
使いやすそうな奴だな、とびっくりするほど飾らない言葉で声をかけられた。
そこでナレッジメカニクスと、そして延命装置に興味を持ったのだ。
赤い目の蛇がいる洞窟でサルサムに延命の話を振ったのもそんな興味があったからこそだ。
ずっと生き永らえること。
伊織たちの話を聞くに、転生者の力は自分自身が願ったものに由来する。
記憶をなくす前にそれを欲し、記憶をなくしてもなお不老不死に惹かれたのだろうか。延命装置に興味を持ったのはそういうことなのではないか。
(そうかもなぁ……)
緩く考えながらバルドは目を閉じる。
そういえば、と眠りに落ちる直前に思った。
(静夏にとっては、ここがこっちの世界の『ルーツ』なんだよな)
この世界で生きてきた人間に連なる証拠。
転生者でも血の繋がった者から生まれてくる。
伊織は少し特殊だが、その末端に属しているのが明らかになった。
バルドは今持つこの名前がこちらの世界の、もしくは前世の世界の本名なのかどうか知らない。しかし自分にもどこかにルーツがあるのかも。
そんなことを僅かに気にしながら、バルドは意識を手放す。
――そして、夢を見たのだ。





