第26話 僕の世界一速い相棒
真っ暗な空間から気配を探り、イメージし、手繰り寄せ、自分たちの足になってくれるものを探す。
何かを掴んだ気になっても夢と現実の合間に漂う妄想のような気がした。
それでもいい。その妄想の中から掴み取る。
――空気を切るほど早く走り。
――逃げるものを追うに値し。
――自分の声を聞き従ってくれるもの。
(そして、僕のために一番早く走ってくれるもの)
自分が探しているのはそういうものだ。
伊織がそんな結論に達したと同時に、握られた右手の中から光が漏れ出た。
「……! やったか!?」
ヨルシャミが身を乗り出す。
伊織が恐る恐る手を開くと――そこにあったのは、泣きたくなるほど親しんだ手触りの鍵だった。
ヨルシャミにとっては見慣れないせいか目をぱちくりさせている。機械学の存在は知っていてもバイクの知識はないようだ。
「なんだ、この奇妙な形の鍵は……? 召喚獣はどうした?」
「大丈夫だよ、心配しなくていい」
伊織は大事そうに鍵の表面を親指の腹で撫でる。
そのまま不意に立ち止まると、鍵を人差し指と親指で摘まんだ。そう、例えばどこかの鍵穴へ挿し込もうとしているかのように。
伊織はヨルシャミに笑って言った。
「僕を乗せて走ってくれる、世界一速い相棒の鍵だよ」
どうすればいいのか肌でわかる。
伊織は鍵を何もない空間に挿し込んだ。挿し込めてしまった。
カチリと回した瞬間、自分たちの体がふわりと持ち上がって何かに跨る。
艶やかな黒色と青色で塗られた車体、楕円のミラー。
絶妙な位置にあるスポーツスクリーンにウイング状のカウリングプロテクター。
ホイールの青色も目に鮮やかだ。
それは、伊織がかつて数ある中から一目惚れして選び出したスポーツタイプのバイクだった。
大人に物をねだったことがほとんどなかった伊織が、唯一「購入資金の一部を借してもらえませんか」と申し出たもの。
静夏の実家が裕福だったこともあり資金面に難はなかったが、いつかは全額を返すつもりでいた。
愛車にしてからそう長くは乗ることができなかったものの、静夏のもとへ駆けつけるのに何度も何度も世話になったのだ。
そんな愛車に再び頼るのは申し訳ない気がしたが、呼び出された瞬間に背中へと伊織たちを乗せたのはきっとやる気に溢れているからだろう。
「ヨルシャミ、ちゃんと座って僕の腰に掴まっておいて」
「う、うむ……?」
馬でもないし生き物ですらない。
そんな謎の物体を訝しみながらもヨルシャミは言われた通りにした。
伊織は腰に回された細い腕を見て、そういえばカッコいいライダースーツに身を包んで誰かとこうして二人乗りすることも夢だったなぁと仄かに思い出す。
ライダースーツどころかヘルメットすら被っていないという有様だったが、今はこれでいいとも思う。
伊織がエンジンをかけるとバイクはぶぉんといななき、そして一気にトップスピードで走り出した。
「ッ、んな、なんっ、なんだ!?」
「うわーっ! すごいなお前! 思うままに動いてくれるじゃんか!」
「なんだそのテンションは!?」
伊織は愛車を褒めながらぐんぐんと加速する。
考えるだけで思う方向に思うスピードで向かうことができた。
伊織たちはその勢いのまま大通りへと出る。
不可思議な乗り物に呆気にとられている住民たちに触れることなく、バイクはその合間を縫うように走った。
避けきれない集団はジャンプ台もなしに高く跳んで避け、そのまま屋根の上に着地して走り続ける。
バイクは重量感があったが、伊織が建造物や人間を傷つけたくないと考えているためか屋根には傷ひとつつかない。
「……いた! あそこだ!」
噴水の設置された広場にカエルがいた。
もう随分と大きくなっており、体長が一メートル以上ある。
カエルは青白い炎を体の周囲に出現させ、何度かぐるぐると周りで回転させた後、唐突にそれを周辺に向かって高速で放った。
木のベンチがあっという間に炎に包まれ、街路樹――蚕の餌であるグワの木も炎の柱と化す。
「火球魔法だ、もう魔法を放つ余裕を取り戻したか」
「……ヨルシャミ、君はどんな魔法を使える?」
「さっきお前の魔力を引き出すのに使った故、そうだな――いや、任せろ、無力化はできる」
一瞬考え込んだヨルシャミはすぐにそう言い直した。
伊織は頷くと姿勢を低くしてバイクを加速させ、屋根から飛び出してカエルの頭上高くを横切る。
ダンッ! と着地したのはカエルの真ん前。
あまりにも突然のことに目を丸くしたカエルは動きを止める。
めらめらと燃える炎の音。木々を爆ぜさせる炎の音。
それらの合間からヨルシャミの小さな息遣いが聞こえ、呼吸が鋭くなった瞬間にカエルの両足がボヒュッと音をさせて縮められた。まるでそこだけ空気が圧縮されたかのような現象だ。
更に噴水の水が突如震え始め、竜巻のように伸び上がったかと思えばうねりながらカエル目掛けて突撃する。
手のひらサイズになったカエルは濁流に呑まれ、何度か燃え直そうとするも失敗に終わり、青黒い煙を上げて消火された。
カエルを消し殺した水はそのまま空へと打ち上がり、周囲の火事を消すように降り注ぐ。まるで雨の時のような香りがした。
伊織はよろけながらバイクから降り、カエルが消えた場所を見つめる。
「倒した……のか……?」
「ふふん、これくらい朝飯前よ。朝飯の後だが」
伊織がそんな冗談に笑いながら振り返ると、ヨルシャミがだくだくと鼻血を流しており仰天した。顎どころか首まで真っ赤、胸元も赤く染まっている。
やっぱり転倒した時に鼻の中まで傷つけていた?
それとも運転中にぶつけてしまった?
そう慌てているとヨルシャミはぺろりと鼻血を舐め取って忌々しげに言う。
「水の魔法は相性が悪いのだ、無から生み出したわけでもないのにこの有様、じつに難儀なものよな」
他にも炎を消す方法はあったが、条件的にこれが一番手っ取り早かったとヨルシャミは続けた。
ノーヘルに規格外の運転にとんでもない場所の走行、そして鼻血を出した女の子。
(びっくりするような二人乗りになっちゃったなぁ……)
だが夢が叶い、そして忘れられない二人乗りになった。
伊織はつい先ほどと同じことを思う。
今はこれでいい、と。





