第275話 知らなかったのか!?
大勢で同じテーブルを使った食事は伊織にとって初めての経験だった。
テーブルマナーは直前にゼフヤから教えてもらった付け焼刃。
元々サルサムと静夏は知っていたので、適時『それはマズい』と感じた時だけサポートに回ってくれることになっている。
しかしミュゲイラとバルドに付きっきりになるのではないか、という予感がした。
アイズザーラは「ある意味会話のための食事会やし、身内のことなんやからリラックスしてええんやで」と言ってくれているが、他の親類の目もあるため伊織は可能な限りしっかりとしたかった。
どうしても母の評価に関わりそうで気になって仕方ないのだ。
(……それに、さすが生まれた時からの王族。イリアスもマナーは完璧なんだよな)
なんとなく負けたくない気がした。
そんな伊織の隣でヨルシャミが視線を落とす。
「イオリよ、ウサウミウシが暴れているぞ」
「え? ……うお、カバンそのものが生き物みたいになってる!」
食事の匂いで起きたのだろう。
奇天烈な動きをするカバンにアイズザーラたちも気がつき、伊織はおずおずと声をかける。
「あの、すみません、動物……動物っぽいもの? も一緒にご飯を食べていいですか? 僕らの連れなんです」
「動物っぽいもの?」
「ええと、僕がテイムしたウサウミウシって奴なんです。食いしん坊なせいで今凄い暴れてて……あっ! さっきこいつが厨房に突っ込んでってイモを全部食べたって聞きました、遅くなりましたがすみません……!」
謝罪が遅くなったことに気がついた伊織は慌てて謝った。
よく見れば並んでいる料理にイモが使われたものが見当たらない。やはり直前になってメニューを変更することになった厨房はてんやわんやな状態だっただろう。
もし弁償することになったらどれくらいかかるのだろう。
伊織がそんなことを考えているとアイズザーラが「テイム!」と目を剥いた。
「イオリはテイマーなんか!?」
「あ、いや、サモンテイマーのほうです」
「召喚も出来るんか! ははあ、その若さで召喚魔法を使えるとは……騎士団にもふたりおってな、テイムいうても常時言うこときくわけとちゃうんやろ?」
伊織が頷くとアイズザーラは「なら仕方ないわ、そんな気にせんとき」と笑った。
口調のせいかさっきから完全に近所の気のいいおじさんに見える。
「でも厨房の人も大変だったんじゃ……」
「厨房のシェフは儂がスカウトした奴でな、苦境に立たされるほど燃えるタイプやからこれはマジで気にせんでええんやで」
「そういえば普段の食事より味のレベルが高い気がするな」
そうフォローを重ねたのは静夏の兄であるメルキアトラだった。
フォークに刺したステーキをまじまじと見ている。
「ははは! これが毎日続いたらいいんだが!」
続けて快活に笑ったのは弟のシエルギータである。
シエルギータは歯を覗かせて笑うと伊織のカバンを指した。
「俺たちは構わないぞ、なあ兄様? 食いたがってる奴には食わせてやるべきだ」
「ああ、それにそう暴れていては……ふふ、そのうち我々も食べているものを噴きそうだ」
よほどコミカルに見えたのかメルキアトラが口元を隠す。それどころかそのまま崩れ落ちそうになっていたが、すぐに持ち直した。
伊織はホッとしながらカバンからウサウミウシを出す。
「ありがとうございます、全部食べ尽くさないようよく言い聞かせますんで……」
「苦労人の母親みたいになってますねイオリさん……」
そうリータが苦笑しつつ言い、そしてそのまま少し緊張した表情になる。
ウサウミウシはちゃんと大人しく食べてくれるのだろうか。
しかし外へ出された直後に伊織に頭を撫でられたウサウミウシはクールダウンし、手すがら食べさせてもらったハンバーグを大人しく咀嚼していたため、聖女一行は全員胸を撫で下ろしたという。
その様子を興味深げに見る一同の中――イリアスだけがちらちらとウサウミウシに視線をやりながらも不貞腐れた表情をしている。
あれは『正直言って興味があるが伊織が褒められて面白くないので絶対反応しないぞ』という顔だな、となんとなく察したバルドは肉にナイフを滑らせつつ笑った。
良くも悪くも、あれだけわかりやすい子供がいる王家はそう悪いものではないだろう。
バルドがそう思っていると、いつの間にかこちらを横目で見ていたサルサムが小声で言った。
「お前、案外マナーはちゃんとしてるんだな」
「あー、なんか手が覚えてた。多分前世産の技術なんじゃないかな~と思うんだが」
こっちの世界と大差なくてよかった、とバルドは笑う。
――サルサムは目を細めながらその笑顔を見た。
マナーが身につくような暮らしをしていたということだろうか。
それとも自分のように仕事上で必要に駆られて覚えるしかなかったか。
サルサムはそんなことを考えながら、旅行が多かったことも含めて人物像がわかりそうでわからないな、と肩を竦める。
「その行儀の良さだけでも出会った頃から発揮しといてもらいたかったな」
「え~、行儀良く酒を飲む俺とか怖いだろー」
「……自分で言っといてなんだが同意しとこう」
そう呟き、しかし表情は曇らせずにサルサムは魚の白身を口に運んだ。
***
静夏は前世や転生についての事柄のみ伏せ、神から魔獣や魔物を倒し世界の穴を塞いでこの世を救う使命を与えられ、今は『聖女マッシヴ様』として各地で活動していることを明かした。
「王家の者だと広まると皆に迷惑をかける。故に両親と後から遭遇したベル以外には使命のことを伏せ、そのまま家を出た。……だが今ここに集まっている者たちなら、きっと口外はしない。そして私も昔より自信を持って説明をできるようになった。だから、今したこの話を真実として伝えよう」
もし証明が必要ならば、物的なものはないが皆が納得いくまで善処しようと静夏は言った。
困惑している者はいたものの、聖女マッシヴ様の噂は王都にも届いており、騎士団の間でも話題に上っていたのか理解そのものは早かった。
イリアスとリアーチェだけがよくわかっていない顔をしている。
「と、父様、聖女マッシヴ様っていうのは……」
「ああ、筋肉信仰は習ったやろ? その筋肉の神に遣わされた聖女やって言われとる者のことや」
アイズザーラはイリアスにそう答えながら過去を思い出したのか瞼を伏せる。
「生まれてすぐにそれを聞かされてな……本人の口からやで……信じるしかあらへんやろ……」
実際には筋肉の神ではなく更に上位の神だが、一般人には認知されていないため筋肉の神ということになっているらしい。
それにな、とアイズザーラは続ける。
「オリヴィアが出ていくことを決めた際、なんでこのタイミングなんやって訊いたことがあるんや。そしたら良い師匠を見つけたからやって言うてな」
その頃、静夏はそろそろ伊織を生みたいとも考えていた。
具体的に言うと十五歳ほどで。
まだ未熟だが、王都の人間は発育が良く、且つその頃からモリモリと――もとい、ムキムキと成長していた静夏は家を出た先の村できちんと医師のお墨付きをもらったという。
そんなことも理由のひとつとして両親には話したようだが、転生のことを伏せている関係上、アイズザーラもその部分はスルーしつつ言う。
「出ていく直前にその師匠と話したことがある」
「……! 父様と師匠が話を?」
どうやら静夏も知らなかったらしく目を瞬かせていた。
アイズザーラは「せやで」と頷く。
「あっちから声かけてくれてな、そしたらビックリ! その師匠、筋肉の神が一時的に受肉した人やったんや!」
ざわっ、と広間がどよめきに包まれた。
伊織は思わずヨルシャミを見る。
「神様ってそんなホイホイ受肉できるのか……!?」
「ん、む、例がないわけではないが実際に見たことはないな」
「自分は世界の防衛機構のひとつとして定期的に受肉しとるって言うとったで?」
ヨルシャミの言葉が届いたのかアイズザーラが補足した。
そうか、とヨルシャミは自分の顎に手をやる。そして小さな声で伊織に言った。
「転移者、転生者、そして私のような天才の頻出という防衛反応の他に、神々の間でも手を打とうとしていたのだろう。もしかしたら世界の神からの指示かもしれんが」
「なるほど、他の神様もいたりするのかな……、って、……ん?」
伊織はヨルシャミ越しに静夏の顔を見て不思議そうにした。
静夏はぽかんとしている。
それはもう見事に口を半開きにしていた。
そしてそのまま驚いたような、納得したような声で言う。
「……なんと……師匠は筋肉の神だったのか」
伊織は堪えた。
ぐっと堪えた。
大声で「母さんまで知らなかったのか!?」とつっこみたかったが、少し前に普段通りつっこんでしまったところだ。
あまり大きな声でツッコミを入れるということは王族の前ではしないほうがいいだろう。伊織が自分に言い聞かせながら堪えきったところで。
「シズカよ、知らなかったのか!?」
――そうヨルシャミが大声でつっこんだのだった。





