第266話 ベルと人工転移魔石 【★】
しばし談笑した後、村長たちは仕事へと戻っていった。
伊織はイスに背中を預けて長々と息を吐く。この短時間でどっと疲れた。
「やっぱり久しぶりにああいう反応されると緊張しちゃうなぁ」
「筋肉信仰が根強いと聞いていたが、たしかに他の土地より徹底しているな」
ヨルシャミは窓の外へ視線をやって言う。
行き交う村人たちは中肉中背といった者が多い。
筋肉信仰の薄い地域の人間が見れば「信仰心が厚いのになぜ?」と疑問を抱いただろう。
しかしヨルシャミにはその理由を推察できる知識があった。
「筋肉信仰者は筋肉そのものを聖なる衣として見ている節があるからな。聖女や神官以外が必要以上に筋肉質になることを避けているのだろう。私はナンセンスだと思っているし、現に大抵の地域ではタブーとされていないが」
「そういえばミセリさんの反応とかそんな感じだったな……」
なにやら筋肉に恵まれた肉体を恥ずかしがったり恐縮していた気がする、と伊織はミラオリオにいたミセリの様子を思い返しながら頷く。
聖女や神官なら良しとされているところを見るに、例えるなら特殊な職業の制服を普段着にしてしまっているような感覚なのだろう。
ヨルシャミは村人たちを眺めながら続けた。
「あやつらも己に過剰な筋肉がつかないよう意識してのものだと思うぞ、あれは」
「そ、そこまで徹底してたんだ」
「聖なる衣っていうか、聖なる肉襦袢っていうか」
話を聞いていたバルドがぼそりと言う。
前世の感覚で『聖なる衣』と聞くと美しい衣服やキラキラと輝くファンタジックなものを想像しがちだが、ベレリヤでそう扱われているのは頼もしい筋肉なのだ。
聖なる肉襦袢と呼ぶほうがしっくりくるな、と伊織は真顔で同意する。
ヨルシャミは「まあ」と肩を竦めた。
「少なくとも必要以上の筋肉をつけることをタブーとしているのはあくまで『自分自身』が対象であろう。加護とやらにも筋肉増強が含まれていたからな。恐らくベタ村も第三者が筋骨隆々であろうが恥ずかしきこととして扱うことはあるまい」
「筋肉信仰って結構奥が深いんだな……」
「私は興味がなかった故にそう詳しい知識はないが、千年前にはすでに存在していたぞ。歴史は長いようだ」
「……もしかして一番有名な神なんじゃないか、筋肉の神って」
バルドがそう呟くとヨルシャミは「かもしれんな」と笑った。
世界の神は一般的には存在しないとされているため、そのほかの数多の神の中では筋肉の神が断トツの知名度を誇る可能性がある。
伊織は筋肉信仰について表面上は知っていたつもりだが、まだまだ知り足りないんだなと再確認した。
――これから向かう王都のこともそうだ。
(名称とか、どの辺にあるとかはベタ村で勉強した時に覚えたけど、そこに親戚がいて、しかも王族だったなんて知りもしなかったもんな……)
一体どんな人たちなのだろうか。
王族に会うことになるかもしれない、という緊張よりも、その人たちの人となりのが気になって感じる緊張のほうが大きい。
前世の頃の母方の祖父母は伊織にもよくしてくれた。
無理を押し切って結婚した娘の子供だ。
だというのに邪険にせず、遠くからサポートをしてくれたのである。大学への学費も必要なら出してもいいという申し出までこっそりと伊織に伝えていた。
伊織自身は進学するなら自分の金と奨学金で、と考えていたため断ったが――そこまで考えてくれていた人たちは、娘も孫も亡くして今どうしているのだろうか。
うっかりそう考えてしまい、伊織はお茶をぐいっと口に含んで思考ごと飲み下す。
「マッシヴ様、イオリ様! お久しぶりです!」
その時、家のドアを開けて四十代ほどの女性――ベルが顔を出した。
そしてすぐさまハッとして「ノックもせず申し訳ありません!」と頭を下げる。
ベルを笑顔で迎えた静夏は着席を促した。
「ベルさん、久しぶりです。お元気でしたか?」
「イオリ様! ええ、私含めてみんな元気に暮らしてましたよ」
「あれから魔獣は……」
「小型のものは出ましたが、幸いにもゴースト系や大型のものは出ておりません」
小型のものなら私の魔法で一掃できるのでご安心ください、とベルは頼もしく笑ってみせる。
そしてヨルシャミたちに目をやった。
「ところで、そちらの方々は?」
「ああ、村長たちにも雑談の中で紹介したが……道中で仲間に加わってくれた者たちだ。リータは知っているな?」
はい、とベルは頷く。
ふたりはリータが村へ相談に来た際に村長の家で顔を合わせていた。
リータは「あの時はお世話になりました」と頭を下げ、隣にいるのが件の姉です、と再び頭を下げる。
「あん時は迷惑かけてすまなかったな……リータの姉でミュゲイラだ、よろしく!」
「いえいえ、村付きの魔導師でベルと申します。素晴らしい筋肉ですね……!」
「おっ、わかるか!? いやー、姉御っていう目標があるから鍛えるのにも身が入ってさー、たとえばここの上腕二頭筋とか――」
「お姉ちゃん、語るのは後!」
あっ、そっか、と引き下がったミュゲイラに笑いながら静夏は更に隣のバルドとサルサムを指した。
「左がバルド、右がサルサムだ。我々にない知識によるサポートや前衛として協力してくれている」
バルドは「宜しくな!」と片手を上げ、サルサムは会釈する。
元は敵対している組織に属していました、という情報はここでは不要だろうと伏せておく。わざわざ混乱を招く必要はない。
最後に静夏は伊織の隣に座るヨルシャミを紹介した。
「そして、彼がヨルシャミだ」
彼? と不思議そうな顔をした直後、その名前が過去に伊織が口にした『夢の中の少女』のものであると気がついたベルが手を叩く。
「イオリ様の言っていた『ヨルシャミ』さんですか! 見つけられたんですね!」
「うむ、助けられた後に目標が合致した故、こうして同行させてもらっている――超賢者ヨルシャミだ! ふふふ、宮廷魔導師ならば少しは聞きかじって……」
「あー、ヨルシャミ、ベルさんにも昔訊いたけど知らなかったぞ」
「んぐ!」
ヨルシャミは見事に両耳を引き攣らせた。
そのまま伊織を覗き見るような視線を送る。斜め下から見ているせいか少ししょぼくれて見えた。
「お、王都に資料くらい残ってないのか? 人間にとって千年は相当な時間とはいえ長命種なら数世代、ついでに病や怪我で死んでなければ少なからず当時から生きてる者もいるだろうに」
「ヨルシャミって色々隠蔽しながら逃げてたんだろ? そのせいであんまり記録が残らなかったんじゃ……?」
おのれナレッジメカニクス、と小声で呟きヨルシャミは拳を握る。
伊織から聞いても今までで一番恨みがこもっている気がした。
するとベルが「千年……?」と不思議そうな顔で言った。
そういえばさっきの『彼』呼びについてもフォローしていない、と静夏はベルに向き直って言う。
「詳しいことも含めてゆっくりと話そう。そして……私が」
そのまま視線をその場にいる全員に、ひとりずつ向けていく。
「……この仲間たちと、これからやりたいことについても」
***
神妙な面持ちで耳を傾けていたベルは、すべて聞き終えると「わかりました」とはっきり頷いた。
「事前連絡なしに向かうと大騒ぎになってしまうので、先触れとして私から話を通してほしいということですね」
「その通りだ」
「私は転移魔法は使えないので王都まで行き帰りする間お待たせしてしまいますが、大丈夫でしょうか?」
「それについては少し提案がある」
提案? と不思議がるベルの前で静夏はサルサムに「転移魔石を貸してほしい」と声をかける。
受け取ったそれをテーブルの上に置き、ベルに見せると静夏は口を開いた。
「転移魔法の魔石だ。敵から奪取した人工のもの故、副作用があるが……もしベルが使えるならと思ってな」
本当は奪取ではなく敵だったニルヴァーレから貰ったものをそのまま使ってます、などということは伏せつつ伝えると、ベルは「転移魔法の魔石ですか!?」とギョッとする。
魔石は比較的身近なものであり、魔導師にとっては更に近しい存在だ。
しかし多種多様さには目を瞠るものがある。一生のうちにお目にかかれない代物も多く、この転移魔石もそのひとつだということがベルの表情からわかった。
「は、初めて見ました。しかも人工的に魔石を作れるなんて……」
ベルは魔石に触れていいものか迷っている手つきで言う。
そんな彼女を見て伊織は目を瞬かせた。
(人工魔石が随分身近になったり、ニルヴァーレさんが魔石化の魔法を使ったりして麻痺してたけど……やっぱり自然にできたもの以外は珍しいものなのか)
考えてみれば人工魔石と謳われた魔石が市場にまったくと言っていいほど流通していないのだから、それはそういうことなのだろう。
そこでヨルシャミがベルに補足する。
「魔力の結晶というよりも、入れた魔力を転移魔法に適した性質に変質させる入れ物と思えばいい。故に籠める魔力は誰のものでも良くてな、今は私のものを籠めているが、使用するのは大抵そこのサルサムだ」
「サルサム様も魔導師で?」
「いや、一般……人……ああ、一般人だ。自力で魔力は籠められない」
己を一般人と呼んでいいものか、と思いつつぎこちなく頷いたサルサムにヨルシャミは視線を向ける。
「無意識でやっているようだがサルサムは魔力操作の技術は高いようでな、魔石への指示が上手いのだ。これが例えばエルフ種なら魔導師として大成したろうに」
「一般人なのに魔力操作……」
「む? 魔導師でなくとも外から逃げ込んだ魔力があるだろう。誰だって極微量の魔力は保有しているのだ。それをより多く溜め込める魂の質を持つ者が人間には少ない故、他種との魔導師の排出数が違うのだろう」
逃げ込んだという表現に再びベルは不思議そうにした。
伊織は、ああこれか、と納得する。
ヨルシャミの持論である『魔力は生き物である』は世に浸透していない。
非魔導師が持つ微量の魔力は普通の魔導師には見えないのだろう。
超賢者という自称に相応しい実力を持つヨルシャミだからこそ観測できるのだ。
そして、残念なことに――ヨルシャミは他者にその観測したものを共有するのが下手である。
鰓呼吸の魚に肺呼吸を教えるような感覚なのかもしれない。
「んんん……兎にも角にも魔力操作さえ上手ければ転移魔石の使用も比較的簡単ということだ。ぶっつけ本番は危険故、まずは練習をすることになるが、成功すれば陸路で向かうより早く済む」
「なる、ほど……わかりました、ではご指導をお願いして宜しいでしょうか?」
「うむ、もちろんだ。まあ座標指定諸々は私よりサルサムのほうが上手い故、私は付き添いになるが」
頼んだぞサルサム、とヨルシャミが言うとサルサムは「感覚的にやってることを教えるのは難しいな……」と乗り気ではないものの頷いた。
――その日のうちにベルは転移魔石の練習を始めたが、すでに夕刻を過ぎていたため今日は軽く触れるだけにし、明日から本格的に取り掛かることになった。
サルサムが転移魔石を使用してベルを王都まで送っていく案もあったが、ヨルシャミが「どうせなら一晩くらい泊っていけばいいだろう。ベルもきっと半日かからず使いこなせるようになる」と言ったため、その間ベタ村に滞在することになったのだ。
王族とコンタクトを取るのも専用の方法を使うはず。
それは第三者に見られたくあるまい、とも言っていたが――恐らく伊織にとって一番故郷に近い場所なのだからもう少しいろ、という気遣いである。
***
その翌日。
昼食を届けに訪れた女性を見て伊織は笑みを浮かべた。
「ルタリナ先生!」
赤茶の髪を切り揃えた女性、伊織の先生であるルタリナだ。
ベタ村から出発する際に見送りにきた時と変わらない姿をしている。ルタリナも笑みを返すと深々と頭を下げた。
「イオリ様、皆様、こんにちは。昨日は落ち着いて挨拶出来ずすみません、広場にはいたのですが仕事で学校に向かわなくてはならなくて……」
やっと顔を合わせられました、とルタリナは嬉しそうに言う。
伊織はヨルシャミたちを振り返り「ベタ村でこの世界について色々教えてくれた先生だよ」と紹介した。
諸事情から学校には通えなかったため、ほぼ家庭教師のような立ち位置だ。
「イオリ様はあれからお元気でしたか?」
「はい、それに習った場所や文化も直接目で見ると違うものなんだなぁって……色々と学べました」
味覚の件は伏せつつ伊織は笑う。
これに関しては必要最低限の人間にしか漏らしていない。不要な心配をさせるのは避けたかった。
(それに、村からはすぐ離れることになる。なのに最後に不安要素を置いてくのは嫌だしな……)
そう考えながら話していると、表からベルの驚いた声が聞こえてきた。
なにか事故でも起こったのか、と伊織たちが顔を覗かせると、尻もちをついていたベルが興奮気味に両腕を振っているところだった。
「す、すごいです! 本当に一瞬でここから王都まで飛べましたよ!」
「成功したんですか!」
「屋根の上に出てびっくりしましたが、なんとかひとりで行き帰りできました!」
まるで初めてのおつかいの報告のようだ。
年齢を忘れるほどはしゃいでいるのはそれだけ凄いことだからなのだろう。
伊織は慣れてしまってピンとこないが、成功したベルが本心から喜んでいる姿を見るのは素直に嬉しかった。
ヨルシャミも満足げに口角を上げる。
「この様子なら今日中に話をしに行ってもらえそうだ。イオリよ、受け入れ側の準備にどれほどかかるかわからんが、いつでも出発できるよう準備しておけ」
伊織は「わかった!」と首を縦に振る。
いよいよ王都へ向かう時が近づいてきたな、と感じながら。
夢路世界のニルヴァーレ(絵:縁代まと)
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