第228話 これも訓練のため
白衣から防寒着に着替えたヘルベールは白い大地に降り立っていた。
先日セトラスたちが訪れた土地よりは雪も寒さも優しいが、山の中はどんな状況でも警戒しなくてはならない。――特に同行者が特殊な場合は。
「いやー、今度は落っこちないように気をつけないとネ! この年で迷子は恥ずかしかった~!」
モスグリーンの髪にオレンジ色の小さな花を咲かせたドライアド。
雪景色に酷く不釣り合いな男性、シァシァは景色を眺めながらそんなことを言っている。
本人の言葉の通り、少し前にシァシァは山の地下に広がる氷の洞窟という凄まじい場所でしばらく迷子になっていた。
しかも灯りはゼロ、人工転移魔石はロストという酷い状況である。
数日彷徨ってさすがに諦めたのか「迎えにきてー!」とふざけた救難信号を送ってきて今に至るが――それでもピンピンしているのは実力のおかげだろう。
もしヘルベールやセトラスだったなら、いくら延命処置済みとはいえ途中でその延命用の魔力も尽きて死んでいた。
それほどサバイバルに向いていないインドア派だ。
しかし問題なのは、なぜシァシァがそんな場所にいたのか、である。
ヘルベールはシァシァに前回の調査には参加しないよう伝えたが、シァシァが迷子になっていたのは調査地からほど近い場所だったのだ。
どう考えても狙って訪れている。
しかも、ヘルベールたちが知らない方法で目的地を調べた上で。
(そこまでしてバイクを見たかったのか、それとも他になにかしていたのか……)
ヘルベールには想像しかできない。
しかし『慎重』という言葉から程遠いことをしていた気がした。
これは俗に言う嫌な予感というものだ。
そして、もうひとりの特殊な同行者。
それは普段は本拠地からほとんど出ることなく、ラボに籠りきりなことも多いナレッジメカニクスの首魁、オルバートその人だった。
なんでも一度は直接聖女一行を見ておきたいのだという。
更にはこの近辺に現れた魔獣の性質がシェミリザ曰く『ちょっと使えるかも』だそうで、その捕獲もしくは捕獲プランを練るための情報収集も兼ねていた。
聖女一行を見ておきたい。
それはシァシァのバイクを見たいという願いに似ていたが、相手は首魁である。
ヘルベールにオルバートを止めるすべはなかった。
自分のしたいことを自由にできる場所、それを与えている人物の自由を縛ることなどできようか。
斯くしてオルバート直々の指名によりヘルベール、シァシァの両名が同行したわけである。
贅沢を言うならもっと人数がいたほうがいいのだが、前回の接触もあるため相手も警戒しているかもしれない、と三名編成と相成ったわけだ。
今のところ聖女一行と対峙する予定はないが、以前彼女らのもとへ出向いた時のイレギュラーな出来事を思い出してヘルベールは不測の事態に備えるべく心の準備をしておいた。
今回、ヘルベールは恐らく一度聖女一行と直接接触していることと、調査に向いていることから選抜されたのだろう。
シァシァはオルバートと旧知の仲である上、戦わせれば相応に強いため護衛も兼ねていると思われる。
もし魔獣と戦闘になっても彼ひとりいれば火力は足りるだろう。
(さすがのシァシァもボスがいればそちらを優先するだろうが)
一抹の不安を感じつつ、ヘルベールはオルバートから目を離すまいと眼鏡を押し上げた。
当のオルバートはここにいる誰よりも着込んだ状態で目を閉じている。
ヘルベールはおずおずと声をかけた。
「……やはりシェミリザに防寒に適した魔法をかけてもらうべきだったのでは」
「いや、ごめんよ、あまり魔法はかけられたくないんだ」
オルバートは自身に魔法をかけられるのをあまり好ましく思っていない。
その理由をヘルベールは知らないが、延命装置無しに永き時を生きる仕掛けと関係があるのだろうか。はたまた無関係な別の理由があるのか。
そう疑問が湧いたものの、しかし深く追求はせず、ヘルベールは雪を踏みしめて細く白い息を吐いた。
「ひとまずこの先のララコアという村に聖女一行が滞在しているようです。道すがらそれを確認し、その後急ぎ魔獣の元へ向かうという流れでいいでしょうか」
「そうだね、それでいい。……しかし急ぐ必要なんてあるのかい?」
ヘルベールは疑問をそのまま顔に出す。
それを見たオルバートは口元までマフラーを引き上げ、笑っているのかいないのかわからない状態で言った。
「聖女たちの目的も僕たちの目的も同じ魔獣だ。彼女らが接触するより先に捕獲を試みるより、接触してからの方が捕まえやすい。――僕はそう思う」
***
夢路魔法の世界へのイメージの反映。
改善すべき点はあるが、その改善も楽しみながら試行錯誤できそうな気が伊織はしていた。
こういうパターンの時は大抵上達が早い。
今回は温泉をきちんと楽しみきりたかったためそれだけに留めたが、これなら今後カレーの再現や――ヨルシャミに自分の故郷を見せることも可能だろう。
そんな前向きなことがわかったというのに、目覚めてから伊織は一種の緊張感を感じていた。
原因は大体わかっている。というよりこれしかない。
昨晩、夢路魔法の世界でニルヴァーレ、ヨルシャミの三人と温泉に入っていた時、温泉を気に入ったニルヴァーレからとある発案があったのだ。
曰く、ニルヴァーレは現実の温泉にも興味がある。
曰く、これから発案することは訓練にもなる。
そんな言葉の後に伝えられたのは『現実世界でニルヴァーレが伊織に憑依した状態で温泉へ入る』というものだった。
たしかに伊織の体を貸せばニルヴァーレも現実の温泉を楽しめる。
それはシンプルながらもバグ技や抜け道に近い発想だった。
しかし娯楽に命をかけていいのか? と、そんな疑問がどうしても抜けない。そこへ対するアンサーが『訓練にもなる』だ。
「前に憑依した時、その前に憑依した時より大分動きやすかった。これがなにを意味するかわかるか? つまり憑依とは『慣れることで最適化が可能』な行為だということだよ!」
――と、ニルヴァーレは語っていた。
回数を重ねればより最適化するなら、戦闘中にぶっつけ本番でやるより日常の中で済ませておいたほうがいい。
これはわかる。たしかにわかるが、一歩間違えば人ひとりの存在を消しかねないと思うと伊織は胃が痛い。
ヨルシャミは大層嫌そうな顔をしていたが、しかし言っていることには一理あると感じたのか反対はしなかった。
伊織としては少しばかり助けてほしかった気持ちがなかったといえば嘘になる。
(とりあえず朝の時間なら人も少ないだろうし、そこを狙ってみるか……)
気は進まないが訓練だと自分に言い聞かせ、伊織はニルヴァーレの魔石を懐に忍ばせて部屋から出ていった。





