第226話 『彼女』の名前 【★】
夕食は宿が用意したものを頂戴することになった。
どうやら『ミヤコの里』は日本の旅館にあるおもてなし精神も再現したらしい。
一般的な宿屋と比べて過剰なほどのサービスにリータたちは目を白黒させていた。
ここまでしてもらっていいんですか、としきりに訊ねるが、ミヤタナは「ここはそういう場所であるよう努めてるので」と皴を深くして笑うばかり。
少ないながらサービス料はきちんと宿代に入っているらしいが、それでも慣れない者は気になってしまうのか、時折仕事を手伝おうとして断られていた。
なお、どうやら良質の酒も希望すれば出してもらえるようだったが、サルサムのあれこれを身を以て知っているバルドとミュゲイラが事前に阻止した。
正確に言うとサルサムに話が伝わる前に先行して断った。
飲む前から世話のかかる、これぞ悪癖である。
なにはともあれ全員羽を伸ばして休息を取り、転生者には懐かしい敷布団を敷いて就寝した。
――目を閉じた伊織は夢に落ちる直前に、薄皮隔てた先にある夢とは異なる空間へと引き込まれるような感覚が全身を覆うのを感じた。
夢路魔法の世界へと呼び込まれる感覚はいくつかある。
強引なものはさすがに驚くが、今回のものは比較的ポピュラーな感覚だ。つまり慣れている。
伊織はヨルシャミに礼を言うべく目を開き、なぜかベッドの中にいるのに気がついて目を瞬かせた。いつもの草原でもなければ隠れ家でもない。
朝日の差し込む静かな部屋の中だ。
ベッドで横になった伊織は窓の方向を向いて眠っていたようで、夢路魔法の世界にこんな入り方をするのは初めてだなと戸惑いつつ、ひとまず部屋の全容を確認すべく寝返りを打った。
「やあ、おはよう! むしろこんばんはかな?」
「え、ニルヴァーレさん? なん……」
隣にニルヴァーレが寝ていた。
そう、片腕で頭を支える形でこちらを向いて寝ていた。
全裸で。
全裸である。
なぜ全裸なのか。
腰から下に布団は掛かっているがどう見ても全裸だ。本当になぜ全裸なのか。
一気に去来した怒涛の疑問に伊織はフリーズしたが、その様子を見てニルヴァーレは至極嬉しそうに歯を覗かせて笑った。
「イオリは優しいな、大人しく受け入れてくれるとは結構結構! いやぁ聞いておくれよ、さっきヨルシャミのことも出迎えたんだけど、目覚めるなり体を半回転させて両足で蹴り飛ばしてきたんだよ。さすがの僕も吹っ飛ぶ!」
「いや……その……それはヨルシャミの気持ちがよくわかるっていうか、なんていうか……というよりなんで全裸なんですか」
「ん? これが僕の就寝スタイルだからに決まってるだろ?」
前世における海外では全裸で眠る人も多いという。
なら文化の違いというものだ。それを否定する気は伊織にはない。
しかしこの状況には物申したい。
「とりあえず、えっと、お出迎えありがとうございます、そしてこんばんは。今夜はワイバーンの名前について話したくて来たんです。だからとりあえず一旦ここから出て服を着――」
「おや、そうだったのか! なら場所を変えよう」
「目の前で布団から出ないでください!!」
伊織渾身の叫びであった。
***
草原に建てられた西洋風のあずまや、伊織が訓練の際に使った場所に集まった三人はそれぞれ思い思いのイスを作り出して座る。
ヨルシャミはげんなりとした表情で腰を丸めていた。
「夢路魔法が不発し悪夢を見たのかと思ったぞ……」
「失礼なことを言うなぁ、美しかったろ? 僕の裸は目の保養になるんだ」
「冗談でもなく自信満々に本気の目をして言うからお前は恐ろしいのだ!」
五歳の頃から何度も何度も同じようなことを繰り返されてきた。――そうふたりの過去を直接は知らない伊織が察するほどの表情だった。
見たものを忘れようと首をぶんぶんと振り、ヨルシャミはさっさと本題に移るぞと伊織を見る。
「で、イオリよ。ワイバーンの名前が決まったということでいいか?」
「うん、それをニルヴァーレさんも交えて聞いてほしくて」
「ワイバーンは今は君のものだ、べつに僕がいないところで付けてもいいんだよ?」
きょとんとするニルヴァーレの言葉に伊織は頬を掻く。
「でも、ニルヴァーレさんはたしかに一度は主人だった人ですし、それに……えっと、まずは名前について話してもいいですか」
まず大前提となる事柄を伝えておくのは大切なことだ。
伊織がニルヴァーレとヨルシャミを見てそう問うと、ふたりはそれぞれ頷いた。
伊織は黒く頼もしいワイバーンの姿を思い浮かべながら言う。
「僕は、ワイバーンにはリーヴァって名乗ってもらおうと思ってるんです」
リーヴァ。
その名前にヨルシャミは首を傾げ、ニルヴァーレは面食らった顔をした。
「ふむ? まあ良い名だとは思うが、なにか由来はあるのか?」
「由来もなにも――イオリ、それは僕の元にいた頃にワイバーンが名乗っていた名前じゃないか」
ニルヴァーレのその言葉にヨルシャミも驚いた顔を見せる。
伊織は「べつに考えるのが面倒になったわけじゃないんですよ」と笑った。
「名前を考えるにあたってバルドやサルサムさんに話を聞いたんです。そしたらワイバーンにも日々を生きる中で好き嫌いがあって、性格もあって……彼女も一個人だったんだなぁって改めて再認識しました」
だから、と伊織は続ける。
「名前は新しいものじゃなくて、彼女が名乗り慣れたものがいいんじゃないかと思ったんです」
少なくともニルヴァーレの元で何年も名乗っていた名だ。
主人も環境も使役される方式すらがらりと変わった中、ひとつでも馴染みのあるものを残してあげたい、と伊織は考えていた。
ワイバーンが気にしていない可能性もあるが、ひとまずはこれが今の考えだ。
「もちろんワイバーンが他のがいいって思うならまた一生懸命考えますが……!」
「なるほどね……うん、まあ試してみる価値はある。なにせあの名前は僕が付けたんじゃなくてワイバーンが侍女、ヒトとして振る舞う際に必要になったからと自ら名乗ったものだからね。強制された名前ではない」
なら少なくとも不快感はない名前なのではないか。
それを聞いて伊織は嬉しそうに笑った。
「はい! じゃあ今度ワイバーンを呼び出したら訊いてみます!」
「良い結果になることを祈っているよ。ところで……」
「ところで?」
「その名前をどこで聞いたんだ? バルドやサルサムには報酬を渡す程度の接触しかしてないから、名乗る必要のあるシチュエーションはなかったと思うんだけどなぁ」
ああ、と伊織は手を叩く。
「当時、バルドがワイバーンを口説いた時にめちゃくちゃ食い下がって聞き出したらしいです」
「……」
「……」
「あいつ……」
「雇い主の侍女を口説いたのか……」
やはり規格外の行動である。
話を聞いた時のサルサムとまったく同じ顔をしながら、ヨルシャミだけでなくニルヴァーレまでもがそう呟いたのだった。
ニルヴァーレの表情設定画(絵:縁代まと)
※イラストがリンクのみの場合は左上の「表示調整」から挿絵を表示するにチェックを入れると見えるようになります(みてみんメンテ時を除く)





