第223話 あたしの墓には…
ミュゲイラと静夏は一緒に水浴びを行なうことはあったが、互いに間近で脱ぎ合うことはなく、それどころか時には離れた場所で身を清めることさえあった。
ベレリヤの王都周辺地域に混浴の文化がないとはいえ、自然と共に生きることを常とするミュゲイラやリータ姉妹は魔石を用いた風呂やシャワーといったものより、多人数での水浴びのほうが親しみがある。
そもそもこのふたつは水と火の魔法を得意とする者が多い土地か、魔石の扱いに優れる人間の住む土地のほうが結びつきが強いものだ。
故にミュゲイラたちは元は違った文化を持つ静夏に配慮した形になる。
きっと静夏なら気にせず異文化として受け入れるが、本人も知らぬところでストレスになるかもしれないから――と言い出したのはミュゲイラだった。
静夏は一からこの世界で生まれ直したため、世界の常識には伊織より慣れている。
しかし静夏がこの地の故郷としていたベタ村も『聖女が住みやすい環境』を整えるべく比較的現代日本に近い配慮がなされていたため、多人数の前で脱いで体を洗うという文化は同性同士でも必要に迫られない限りは鳴りを潜めていたという。
旅の道中でも、静夏や伊織がそういった配慮を無意識に現地人である自分たちに向けていたことをミュゲイラは感じていた。
もちろん現地人であろうが抵抗のある者はいる。
あくまでミュゲイラはあまり頓着しない、というだけだ。
しかしミュゲイラも静夏たちに合わせてきた――が、本当はとてもとても一緒に風呂に入りたかったし、なんなら静夏の体を洗いたかった。
人の体を洗うというのは親睦を深める行動として身に馴染んでいるものだ。
それが!
なんと!
温泉なら大解禁されるというのである!
ミュゲイラは静夏たちの前世、ニホンジンがどのような文化を持つのか詳しくは知らないが、こういった温泉では共に入ることを是としているようだった。
――実際にはこれも人による感覚な上、静夏なら広い風呂や適切な施設であれば問題ないと感じる性格だったが、それはともかくミュゲイラが初めてこのようなシチュエーションに遭遇したのは『今』であるため、温泉宿に感謝してもしきれない。
そんな顔をしながらいそいそと服を脱ぐ。
そして妹の生暖かい視線を浴びることになった。
「お姉ちゃん、無表情なのが逆に怖いんだれど」
「粗相したら姉御に迷惑かけちゃうからな……心頭滅却すれば筋肉もまた涼しだ」
「怖いんだけど」
本当に容赦のない生暖かい視線だった。
しかし「さあ行こう」と温泉へ向かう静夏の雄々しい背中を見て「ふぐぅ!」と奇妙な声がミュゲイラから漏れる。
静夏の背中は普段から服越しでもわかるほど逞しく、背筋で丸太を割れると言われても信じられるほどだった。恐らく実際に割れるだろう。
それでいて肌は滑らかであり温かそうだ。
その体温に見合った柔らかさも見て取れ、筋肉に覆われつつも女性らしい曲線が所々にある。
「うゥ……神々しい……背中だけであたしを殺せる……」
「怖いんだけど」
「そうか! あたしはこの日のために生まれたんだな!」
「怖いんだけど!」
まったく心頭滅却できていない姉を引っ張り、リータは静夏の後を追った。
***
ミュゲイラたちにとっては見慣れない作りだが、解放感があってリラックスできる風呂だった。
雪と湯気の共演も素晴らしく、寒い景色の中で温かな湯に浸かるというのは最高の贅沢に思える。
しかし温かな湯を楽しむ前に三人は体を洗うことにした。
良いものは最後にとっとくに限りますね! などとミュゲイラはのたまっているがミュゲイラにとっての『良いもの』は静夏の体を洗う方だとリータは知っていた。
そのためやはり生暖かい目をしていたのだが。
「じゃ、まずはリータから洗ってやるよ!」
「……っえ? えっ、マッシヴ様は?」
「体の前に自分で髪を洗うってさ。――っつっても、あたしは最初からリータを先に洗うつもりだったんだが」
ミュゲイラは歯を見せてニッと笑いながら言う。
「前はよく一緒に入ってたけどさ、最近あんまり機会がなかったろ」
「ん、んー……ならお願いしよっかな」
「任せとけ!」
ミュゲイラはタオルを泡立ててリータの華奢な背中を洗い始めた。
伊織の頭を拭いた時のように乱暴な面もあるが、妹なら力加減も勝手知ったるもの。強すぎず緩すぎずといった洗われ心地がリータは嫌いではない。
頭もやってやるよ、と髪を洗いながらミュゲイラは小さく訊ねた。
「……リータはさ」
「ん?」
「えーと、疲れたりしてないか?」
「? 旅してれば疲れるのはみんな同じでしょ?」
きょとんとするリータにミュゲイラは「うーん」と唸ったが、上手い言い回しが浮かばず「後でマッサージもしてやるぞ!」と続けて至れり尽くせりすぎると気味悪がられる。
この反応は致し方ないとミュゲイラ本人も思うが、どう接すればいいか未だに迷っていた。
(ほんとは恋愛で心がしんどくなってないか訊きたかったんだが、この感じ……やっぱマジで失恋を楽しんでんのかなー……)
あれからしばらく経つが、特に無理をしている様子はない。
自分だったら疲弊しそうだ、とミュゲイラは思ったものの、同じ相手を好きなバルドとは現在それなりに良い関係を保てているため、似たり寄ったりか? と自分で自分に首を傾げるはめになった。
「……」
バルドの異変はミュゲイラもわかっている。
だがそれはそれとして受け入れていた。長く生きるエルフ種は相手の変化に慣れている。もちろん劇的に変われば驚くが、バルドは微々たる差だ。
その微々たる差がサルサムは気になっているようだった。
気にかけるならあちらのほうかもしれない。
(変に悩んでまた酒飲んだらヤベーしなぁ)
最終的に飲んだ量はなかなかのものだったが、あっこれおかしいぞ、と察せたのはほんの少量飲んだ頃からだった。つまり一口でも飲めばアウトというわけだ。
それだけ完璧に記憶が飛んでいるのかもしれないが、なぜあれで自覚がないのかわからない。
サルサムの醜態を思い返しつつミュゲイラはリータの泡を流す。
「っし! バッチリ!」
「ふふ、ありがと。じゃあ次は……お姉ちゃん、マッシヴ様に洗ってもらったら?」
「おうっ、あたしがマッシヴの姉御を――……へ? 『に』?」
そっち?
そう顔面に書く勢いで表情に出したミュゲイラはリータが指さす方向を見た。
静夏がタオルで泡立てながら微笑み、こいこい、と手招きしている。
ミュゲイラは口を半開きにして真顔になったが、すぐにその真顔も崩れ泣きそうな顔になった。
まさに聖女を見た。加えて後光が射して見える。
恋する崇拝対象が『目の前で生きている』という幸福感を噛み締めながら、ミュゲイラは息も絶え絶えに絞り出すように言った。
「リータ……あたしの墓にはささみと卵白の卵焼きを供えてくれ……」
「だから怖いんだけど!!」





