第210話 超賢者は家族が欲しい 【★】
ヨルシャミは元々王都に一番近いエルフノワールの里に住んでいたという。
異種族の里は一ヶ所ではなく各所に点在している。
数が人間より少ないことと、同じ種族で集まり集団で生活することを好む気質の者が多いからだろう、と昔誰かが言っていたらしい。
ヨルシャミの故郷である里はラダラグロックという名で、エルフノワールの特徴のひとつでもある優秀な闇属性の魔導師が多く存在していた。
その中でも抜きん出て優秀な血統に生まれたのがヨルシャミだ。
しかし不運なことに家族は流行り病で全員亡くなり、ヨルシャミは五歳で身寄りがなくなってしまう。
「……そんな頃、たまたま里に足を運んだのがニルヴァーレの父であるカルガッサスだったのだ」
ヨルシャミは毛布の中で自分の手を組みながら言った。
「カルガッサスは魔法に人生をかけた人間でな、私の才能を見抜いて弟子にならないかと誘った。まあこんな才能の塊がその辺にぽんと放り出されていれば私でもそうするが!」
「ぜ、絶好調だなぁヨルシャミ……。でも五歳でそんな誘いを受けるなんて凄いよ。うん、凄い」
「そっ、そうであろう? ふふふ、師は見る目があったがお前もあるではないか」
「……けどやっぱり寂しかったんじゃないか?」
寂しい? とヨルシャミは首を傾ける。
そして親の、家族のいなくなってしまったことを指しているのだと察すると頬を掻いた。
「厳しく接された記憶しかない故な、当時はむしろいなくなって羽を伸ばしていたようにも思う。とはいえ、拾われるのがもう少し遅ければ寂しさくらいは感じていたかもしれんが」
「シ、シビアだ……」
「だが今なら寂しく感じる気持ちもわかるぞ。……これはお前たちと共に過ごしたせいだ、と私は思う」
伊織は照れによるものなのか、やや声を潜めて言うヨルシャミを見る。
それは母子を間近で見てきたからという意味か、それともパーティーのみんなを家族のように感じているということか。
後者だったらいいな、と伊織は毛布の中でヨルシャミの片手を握った。
「僕はヨルシャミが僕らを家族みたいに思ってくれてたら嬉しいな」
「――否定はせん。まあ、その、まともな家族がいた経験が薄い故、この気持ちがイオリの指すものと同等かはわからんが」
「うーん……元からその感覚は人それぞれだから、ヨルシャミが良いなと思うほうに考えていいと思う」
伊織の言葉にヨルシャミはしばし考え、私は、と口を開く。
「家族が欲しいと思っているのかもしれん。お前たちと同じ意味での、ただただ普通の家族を。こう感じるのは、きっとイオリたちを家族のように思っているから……のはずだ」
まだ少し自信なさげにしつつもヨルシャミはそう言い、そして黙り、ハッとして耳をばたつかせた。
頬に風を感じるほどの勢いだ。
「家族が欲しいというのはおかしな意味ではないからな!?」
「そういうの墓穴を掘るって言うんだぞヨルシャミ!?」
つられてアタフタとしつつ伊織も肩を跳ねさせる。
伊織にとってヨルシャミは好きな相手であり、大切な存在だ。
ならそういった人物とこれから先のことを、家族になるということを考えないわけではない。むしろなりたいとさえ思う。
だが気持ち的にも状況的にもまだ早いのだ。
(こういう申し込みは目標を達成してからのほうがいい。だって色々と手間をかけさせちゃうし、そのせいで旅が遅れたら元も子もないしな……)
そう思いつつも伊織はストーブの灯りに照らされるヨルシャミを見て言った。
「ヨルシャミ。今すぐは無理だけど、いつかきちんと母さんたちにも話した後で……すべて知らせた後で、家族になろう」
「ま、また歯の浮くようなことを。そういうのってあれだろう、ここここ婚約というやつだろう」
「こっ……! ち、違――いや違わないけど、それはもっと良いタイミングでやりたいっていうか……!」
「わかったからこの状態で立とうとするな!」
半強制的に座り直すよう引き戻され、伊織は咳払いしつつ改めて言う。
「と、とりあえず! 僕も……それにきっと母さんもすでにヨルシャミのことは家族みたいに思ってるよ」
「……覚えておこう」
もごもごと答えつつもヨルシャミの声音には喜色が滲んでいた。
室温が低いせいか衣服は未だ生乾きで、引き続きぽつぽつとヨルシャミの過去の話を聞くことになった。
エルフ種も青年期までは人間と同じようなスピードで成長する。
ニルヴァーレと兄弟弟子として育ちつつ、しかし当時から歪だったニルヴァーレの執着心のせいか心を開くことなく育ったヨルシャミは、カルガッサスの死をきっかけに旅に出ることにしたという。
カルガッサスやニルヴァーレと過ごしたのは彼らの生家がある王都ラキノヴァ。
そのラキノヴァから故郷のラダラグロックに足を向けたこともあったそうだが、結局根付くことはなかったらしい。
「旅をするというのが当時の私に合っていたのだろうな。それから様々な場所に出向き、国も出たことがある。行く先々で目新しいものや知らない魔法に出会えるのは至極楽しかった」
二百年は各地を見て回り、それはヨルシャミにとって充実した時間だったという。
魔法の才能も完全に開花し、まさに魔導師としての最盛期。
そのぶん驕りも強かった、というヨルシャミ自身の自己分析に伊織は出会った当初のあれこれを思い出して少し遠い目をする。
あれを過去形にするのはまだちょっと早い気がした。
――充実した時間。
しかしその間にニルヴァーレはナレッジメカニクスへと入り、ある時からヨルシャミを狙うようになった。
そのきっかけがヨルシャミがこの世界そのものの神を呼び出す方法を得たことだ。
「そういえばその方法って一体……」
「こら、お前がそれを知れば狙われる理由が増えるだろうが」
口外はせんぞ、と伊織の身の安全のためにもヨルシャミはそう言ったが、信頼の証だというように「ただしひとつだけ教えてやろう」とほんの少しだけ方法について明かした。
「夢路魔法の世界で特殊な手段を順を追って行なうのだ」
「夢路魔法の世界で?」
「そう。神はイオリに自分で自分の脳手術ができぬのと同じで手出しできないと言ったようだが、夢を介せば内側の者との接触が可能なのだ。多大なリスクがある故、私もあちらももう試す気はないがな」
防衛のために神を『神自らの内側』に引っ張り込んで世界に仇なす不安要素をすべて消し去ったとして、そのせいで神までもが自滅しては意味がない。
そういうことだとヨルシャミは語る。
「……とはいえ、これを知っているということはだな。ほんの一時とはいえ、私は世界にとてつもなく危険な橋を渡らせたということなのだ」
知らなかったでは済まされない。
しかも試した理由は発見した新たなる方法への好奇心、だ。
「自分でも薄々感じていたが、私の知的好奇心とやってきたことはナレッジメカニクスに近しい。故に初めはこれを理由にナレッジメカニクスを毛嫌いした。お前らと一緒にするな、と。目を逸らしたいがための同族嫌悪であるな」
「ヨルシャミは奴らと一緒じゃないよ」
「はは、ありがとう。……自分でははかり切れぬこと故、不安ではあるがお前がそう言うならそうなのだろうな」
善性の塊のような人間の言葉。
それひとつで救われるようだ、とヨルシャミは心の中で思う。
「ところで、その、ひとつ訊きたいんだけれど」
真剣な顔をする伊織にヨルシャミは「なんだ?」と聞き返してから緊張した。
最盛期の驕っていた自分についてもう少し深く訊かれるのではないか。それはヨルシャミにとって少しばかり恥ずかしいことだ。
これは成人してから色々盛んだった若い頃のあれこれを交際相手に訊かれる状況に酷似していた。しかもその期間は人間のそれより遥かに長いのだ。
――実際には今も名残りが見え隠れしているのだが、ヨルシャミはそんなことには気がつかずどきどきしながら伊織の質問を待つ。
「その世界の神を召喚した時に会話とかはしなかったのか?」
そして、伊織のそんなごく普通の質問で脱力した。
一目見てわかるほどの脱力だったため、伊織は変な質問だったろうかと慌てる。
「い、いや、だって、ヨルシャミは転生者や侵略のことは知らなかっただろ? 神と会ってるのになんでかなーと思って」
「も……もっともな質問だ。うむ、イオリに非はない。ちょっと私が力みすぎていただけだ」
伊織はほっとしながら「あ、それと」と付け加えた。
「ヨルシャミが捕まった時にどんなヘマしたのかも気になるなぁ、なんて……」
「いや待て、当たらずも遠からずではないか!!」
黒歴史とは掘り返されるために存在するのである。
そんな運命にも似たものをひしひしと感じながら、今度はヨルシャミが立ち上がりそうになり必死になって止められたのだった。
伊織とヨルシャミ(元の姿)の対比(絵:縁代まと)
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