第199話 ニルヴァーレ先生の特別授業 【★】
――静夏が魔獣と攻防を繰り広げている頃、伊織は大岩を起点にパトレアとの競争を始めていた。
彼女とほとんど障害物がない中で走るのは初めてのことである。
しかも魔力は満タンではなく、搭乗者も四人。
大丈夫か、と訊ねるようにバイクを見ると「全力で走りたい」という気持ちが愛車から返ってきた。
バイクもやる気なら自分も頑張るしかない。
そう伊織はアクセルを全開にして雪の中を加速する。
パトレアは雪など障害物のうちに入らないとでもいうように進んでいた。
位置はバイクよりもやや前。しかも余力を残しているように見える。足の噴射口からは時折青白い炎が顔を覗かせていた。
「……複数の魔法が補助をしているな。そもそも組み合わせるようにできていない魔法ですらパズルのピースのように上手く合わせてある。なんだあの機構は……」
パトレアの脚を見ていたヨルシャミが少し枯れた声で言う。
手足はある程度動くようになった様子だが、どうやら喉に気付け薬のダメージが残っているようだ。
そう、ダメージである。バルドは未だに「せめて水が欲しい……」と呻いていた。
伊織はじっと前を見る。
「どんな機構であれ、あの人の脚なら勝負することに変わりはないよな。僕たちは全力で駆け抜ける! ヨルシャミもできる限りしっかり掴まっててくれ!」
「イオリ、お前さっきから妙にアツくないか!?」
「バイクの勝負は僕の勝負でもあるんだよ!」
「だからアツくないか!?」
戸惑うヨルシャミをよそに伊織はバウンドする車体を制御し走り続けた。
跳ねるのは速度が削げるため回数を減らしたいが、悪路でどうしても抑えきれないことがある。
それはパトレアも同じらしく、いくら身軽といっても時折フォームを崩していた。
勝負を受けてもらえると喜んだ時のように走りながら跳べば崩れるのだ。
お互いに同じリスクを背負いながらのスピード勝負。
走る脚は違えども、切っている空気は同じもの。
そう考えると伊織は勝負するバイクに100%の力を出させてやりたいと心から思った。
追い抜き、追い抜かれ、後方に白い息を置いてきぼりにしながら走って走って辿り着いた先に勝敗という結果がある。それを欠けていない実力で掴ませてやりたい。
魔力譲渡をできないことがここで惜しくなるとは思っていなかった。
「……」
伊織は前方からどうにか一瞬だけ視線を引き剥がし、自分の左手の薬指を見る。
今は手袋で覆われているが、その下にはニルヴァーレのくれた指輪が嵌っていた。
パトレアとの勝負は今後もあるかもしれない。
とにかくゴールまで凌げればいい。
そう考えていたというのに、今はこの勝負こそが重要だという気持ちになってしまっている。
「やっぱ短い間でもバイク乗りだったんだなぁ、僕……」
「イオリ?」
「ヨルシャミ、ニルヴァーレさんに特別授業を頼めるかな」
なに、とヨルシャミは眉根を寄せた。
すぐに伊織が言わんとしていることがわかった顔だ。
すでに勝負の道のりは半ばを越えている。
アクセルも全開にした上で変形も行ない、乗った人数も多いため、魔力残量は心許ないどころではなくなっていた。
伊織はそんな相棒に自分の魔力を与えたい。
しかし伊織はまだ魔力操作の超初心者、コツを掴んでいない状態で試みれば逆にバイクを殺しかねないのだ。
だから今だけ先生に実技を見せてもらう。
ニルヴァーレはそのうち伊織に魔力操作の仕方を身を以て教える気でいた。
ならばそれは今でもいいのではないかということだ。
「わ、私は反対だぞ、よりにもよってこのような状況で」
「時期を見てやるって予定だったけど、むしろ今こそじゃないか? それに」
伊織は前を向いたまま笑みを浮かべる。
「あんな人だけど、頼ったら応えてくれる。僕はニルヴァーレさんは頼っていい人だと思ってるんだ」
「……やけに甘えるではないか」
「僕の先生だし」
もちろんヨルシャミも先生だよ、と言うとヨルシャミは迷うように唸った。
要するに独断で決められることをわざわざヨルシャミに話しているのは「君も頼れば応えてくれる先生だ」と言っているも同然なのである。
「……っい、一瞬だ。あれもノーリスクではない、譲渡したらすぐに引っ込ませろ」
「うん、ありがとうヨルシャミ」
なんの話をしてるんだ? という表情のサルサムとバルドに伊織は謝る。
「すみません、ちょっとニルヴァーレさんを呼ぶんで、もし変なことを言ってても聞かなかったことにしてください」
「ニルヴァーレを、呼ぶ?」
「おい、それって前に言ってた憑依させるやつか?」
大丈夫なのかよ、と純粋な心配半分、あのニルヴァーレを乗り移らせるということへの心配半分にバルドが言ったが、伊織は大丈夫ですと即答した。
そして指輪に触れる。
ニルヴァーレの魔石は間近にいるヨルシャミが持っているため、音の聞こえるタイミングならばきっとすべて聞いているだろう。
もし聞こえなくても自分が呼べば応えてくれると伊織は確信を持っていた。
この指輪はその証でもあるのだから。
「――ニルヴァーレさん! 『許可』します、僕の体で魔力操作と譲渡を教えてください!」
手袋の下で指輪が微かに光り、伊織は瞬きした瞬間に意識を真後ろに引き抜かれたような感覚にぐらりとした。しかし体は一切傾いていない。
視界は片目だけになり、両手両足の感覚が一気に薄らいでいく。
体が勝手に息を大きく吸い、口が笑みの形になって声が出た。
「……我ながら完璧だ、良い感じにイオリの意識を残せた。そして」
伊織――の体に入り込んだニルヴァーレが大声で言い放つ。
「あんな人だけどって酷くないかい!?」
「開口一番でそれか!」
ツッコむヨルシャミに被せるように伊織は謝ろうとしたが、どうやら外に向けて声までは出ないようだった。しかもやたらと苦しい。
それでも内側に立ったまま言葉を発しただけでも言いたいことはニルヴァーレに伝わるらしく、彼は「いいけどね」と肩を竦めた。
「ありがとうございま、っふ、う……なんだこれ、息はできるのに苦し……!」
「元々君の魔力だらけなところに僕が入ってるからね、そのうち馴染むはずだからしばらくは我慢してくれ」
前回は気を失っていたおかげで気にならなかったのだろう。
伊織は意識はあるのに体の自由がきかない、しかしその体は勝手に動いているという不思議な感覚と息苦しさに四苦八苦しながら「頑張ります……」と呟いた。
「独り言にしか見えないけど、その、ええと、伊織の意識もあるのか?」
サイドカーからバルドがじっと見ながら言う。
ニルヴァーレは「あるよ」と答えた後に左目だけ緑と青色の混じった瞳でバルドを見た。
「ああ、そういや久しぶり。そっちの奴は変わってないようだけど、君は随分変わったな。見違えたよ」
「ちょっと色々あってさ」
「バルド、お前よくこの状況で普通に話せるな……」
折角のチャンスだし、とバルドはサルサムに笑みを浮かべる。
こういう妙な適応能力の高さは伊織とそっくりだが、転生者は全員こうなのだろうかとヨルシャミは眉間を押さえる。
ニルヴァーレはあっけらかんとしているバルドと戸惑うサルサムを見て肩を揺らして笑った。
「いや、本当に変わった。今なら多少お喋りしても楽しいだろうが、それはまたの機会にね。ただ……君らはあの時より随分自由になれたようだ」
まだ足りないけど、と言ってニルヴァーレは髪をなびかせて前方を向く。
パトレアがやや先行しており、ゴールとも言える木々の濃い場所が視認できるようになっていた。
「さあさ、あまり時間がないみたいだから手っ取り早く行なうぞ。イオリ、この感覚を覚えるんだ」
それは全身の血流を意識し、その血の流れを自在に操る――そんな感覚だった。
主要な血管から毛細血管まで、至る所から血液をずるずると引き抜かれ移動させられているような感覚に全身が怖気立つ。血液が長い紐にでもなったかのようだ。
それがニルヴァーレの魔力を足掛かりに移動させられている。
くぐもった声を漏らしていると魔力の一部がハンドルを握る両手に集まるのがわかった。
(あ……瞑想してなくても魔力がそこにあるってわかる)
量の調整された魔力だ。
そうか、これくらいの量ならいいんだな、と伊織は素直に理解した。
「よし、バイクの魔力量はこれくらいで十分……ん?」
「どうしたのだ」
少し機嫌の悪いヨルシャミが訪ねるとニルヴァーレは目を細めた。
「これが最大値じゃないなぁ、もう少し入るじゃないか。――ところでなんでご機嫌斜めなんだ、ヨルシャミ」
「お前には関係ない」
「ふぅん? ……あ! わかったぞ、愛しのイオリが……」
「そういう表現をするでないわ!」
「僕の愛しのイオリが独り占めされて悔しいんだろう!」
「そっちか! いや後半は危惧した通りだが!」
ヨルシャミはわかってやってるのかコイツはと歯噛みしたが、恐らくニルヴァーレは天然でやっている。
とにかくこれ以上バルドとサルサムの前でこういうやりとりは控えたい、という思いだけで無理やりクールダウンした。
「す、少し不満があるだけだ、気にするな。これは気遣いではなく命令であるぞ」
「ははは、わかったよ。まったく、こんなにしっかりと腰に腕を回してくれてるのにつれないね」
「ここここれはイオリがしっかり掴まれと言ったからだ! ほら! もう私のことはいいだろう、譲渡が終わったなら引っ込め!」
しかしニルヴァーレはバイクの余力が気になるのか、再び伊織の中から魔力を移動させる。
「意図せず二回の実技になったけど、まあサービスだ。気になるから今度は全部満タンにしてみるよ」
「ニルヴァーレさん、燃料タンクより多いと溢れませんか?」
「そのタンクがもう一個ありましたって感覚なんだ。やはり普通の召喚獣とはちょっと違うみたいだね。 ……よし、これくらいか」
ニルヴァーレは伊織の魔力をバイクに渡す。
譲渡は手のひらに集めた魔力をバイク側との繋がりを経由して手渡している、そんな感覚だった。
わざわざ触れている場所に集めたのはイメージしやすいからだという。
慣れればどこからでも繋がりを辿ってできるが、それは失敗することもあるので触れながら行なうのが普通らしい。
――それが全て入り込んだ瞬間。
「……あれ?」
ニルヴァーレが伊織の口から発した間の抜けた声。
それを耳にしたと同時に、伊織たちは全員視界が真っ白になって地面と空の区別がつかなくなった。
ニルヴァーレの憑依した伊織(絵:縁代まと)
※イラストがリンクのみの場合は左上の「表示調整」から挿絵を表示するにチェックを入れると見えるようになります(みてみんメンテ時を除く)
あけましておめでとうございます!
2021年もムキムキ更新していきますので、引き続きどうぞ宜しくお願い致します!





