第180話 バルドの記憶
ネロと別れ、ロジクリアを後にした聖女一行が向かったのはナレッジメカニクスの研究施設だった。
森の中のものより更に小さく、建物は老朽化しており一見すると廃屋に見える。
だというのに管理を任されていたらしい職員が五名もおり、警備も物理的な警報器具から感知魔法まで幅広く仕掛けられていた。
――とはいえ静夏らが著しく不利になることはなく、森の施設よりもだいぶ早く潰すことができたのだが、問題はこの施設の地下にも謎の魔法陣があったことだ。
「今回の警備システムは別に描かれた魔法陣による自動召喚か」
足元に横たわった肉食恐竜のような生き物を調べながらヨルシャミが呟く。
鉄よりも硬い牙、刃をも通さぬ鱗、素早い動き。
そんなものを持った敵が複数現れ連携を取りながら襲い掛かってくるという状況だったのだが、三頭が一度に静夏のパンチで吹き飛ばされ、リータの矢が鱗の隙間を貫きミュゲイラがあっという間に締め落とし、バルドとサルサムが恐竜たちに劣らぬ連携を見せて一気に数が半減した。
そこへ伊織のバイクによる体当たりと撹乱、ヨルシャミの召喚魔法で畳みかけたことにより脅威を脅威と認識する前に沈黙し今に至る。
今回も魔法陣を調べてみたが、やはり用途不明だという。
「暗号化されてるようなもの、であるな。発動させるまでなんなのかよくわからん」
「なんにせよ碌でもないもんだろ、前の施設みたいに建物ごと潰してこう」
その日はバルドの提案の通り施設を完膚なきまでに潰し、職員の扱いも前回と同じものとなった。
あの魔法陣は一体なんの目的で描かれたのか。
気になるところだったが、伊織はそれよりも気になっていることが他にもあった。
(まさか、バルドが僕らと同じ転生者だったなんてなぁ……)
記憶喪失だとは聞いていたが、その記憶の一部が蘇ったことにより転生者だったという事実が明らかになるとは思っていなかったのだ。
――あの日、ロジクリアを旅立った後のこと。
道中で互いのことや新たに得た情報を話し合った時のことを伊織は思い返す。
伊織はネロと共に出会った謎の女性、パト仮面のことを仲間たちに伝えた。
脚の機構からナレッジメカニクスの関係者ではないか?
それにしては競争をふっかけてきただけというのが謎すぎる。
無害かもしれないが念のため警戒はしておこう。――そう結論が出たところで伊織から訊ねたのだ。
「それで、バルドが無傷なのは一体なにがあったんだ? ……僕、あれが見間違いならよかったのにって何度も願ったけど、どう足掻いても現実だったと思ってるんだ」
初めて『仲間の死』を強く感じた瞬間だった。
頭を打ったヨルシャミを目にした時より直接的で、それでいて事実の回避が困難な光景である。今でも鮮明に思い出すことができるほどだ。
バルドが生きていたことは飛び上がるほど嬉しいが、その理由が気になる。
ネロは「生きてるならそれでいい」とすんなり受け入れて深入りしないまま別れたが――伊織はあの時のことが現実だったのか、それとも幻覚だったのかどうかも含めて知りたかった。
問われたバルドは頬を掻いて言う。
「正解、現実だよ。いやぁ見事に死んだ死んだ! でもおかげで思い出したことがあるんだ」
そのまま快活に笑って自身の頭を指す。
「死んだ時に頭も怪我してな、それが治る過程で一部の記憶が戻った。俺は不老不死……もしくはそれに近い力を貰った、転生者だ」
「――バルドも転生者!?」
驚いたのは声を出した伊織以外の面子もだった。
静夏だけは先に話を聞いていたのか黙って見守っている。
神から救世主として呼び込まれた転生者は望みの力を得て生まれ出るもの。
静夏は筋肉とパワーに恵まれた健康体を、伊織は魔導師に驚かれるほどの魂の強さとそれに紐づく魔力量を得た。バルドはそれが不老不死だったというのだ。
死んだ後に神と対面し、今後二度と死なないことを望んだのだろうか。
しかし神とどんなやり取りをしたのかは本人も覚えていないという。
「記憶も虫食い状態だ、前世でなにしてたかもわからないし名前も覚えてねぇ。知識の一部から伊織たちと同じ日本人だった、ってことはわかるんだけどな」
「ふむ、ニホン人……同じ種族の者か、転生者にそれが多いのは神の意図か相性の問題かはわからぬが興味深いな」
ヨルシャミはじっと目を凝らしてバルドを見た。
「――あぁ、たしかにイオリやシズカと同じように魔力の質が違う。ひとまず転生者であることは本当と見ていいだろう」
「魔力の質でわかるのか、……ん? ならどうしてこれまでわからなかったんだ?」
「言っておくが私は一度もお前のことを万全の状態で目にしてないぞ」
ヨルシャミの言葉に伊織もバルドはきょとんとする。
たしかに過負荷で気絶していたり視力が低下していたり、ちょうど不在や別行動していたということが重なっていたように思う。
バルドはそう納得したものの、しかしいまいちピンときていない顔をしていた。
ヨルシャミはそんな彼を見たまま続ける。
「それにしっかりと注視する必要がある故な、お前をじっと見る必要も意味も皆無だったのもある」
「なんだそれ寂しいな~」
そう笑いながらバルドは全員の顔に目をやった。
「とりあえず、俺は力の進化と――それに伴って残りの記憶を取り戻せるか検証していきたいと思ってる……んだが、静夏に止められてな」
「検証?」
「記憶喪失は昔負った脳の損傷が原因。当時は怪我は治ったものの、記憶そのものは回復対象に含まれていなかった。それが年月が経ってから負った傷により当時の記憶ごと復元し回復したわけだ」
バルドは自分の頭を指先でコンコンと叩いた。
そこに傷らしい傷はもうない。
「俺は『不老不死による回復能力は成長するものである』という仮定を立てた。で、検証のために今度は完全に頭を潰してみようと思ったんだよ」
「それは僕でも止めるやつだ……!」
伊織が思わずといった様子で身震いして言う。
優しい奴らだなぁと言いながらバルドは両腕を組んだ。
「まあ、たしかに短慮だった! ってことで、まずは同じ転生者である伊織と静夏の力が今後も成長するものかどうかを確認してからにしようと思ってな」
だからこれからも宜しく頼む。
そうバルドは締めくくった。
――伊織としては物騒な方法で検証するより観察される方がありがたい。
そこで同意をし再び旅を続けることになったのだ。
(けど……)
とある山中にて、次の目的地に向かって歩くバルドをちらりと見る。
過去の記憶は復元され『思い出した』という形であり、今までのバルドとしての記憶が消えたわけではないという。セラアニスとは違うパターンだ。
しかし今後、もしすべてを思い出すことがあったとしたら一体どんな状態になってしまうのだろうか。それは奇しくも静夏と同じ懸念だった。
(今まで頭の中になかった人間の人生が丸々入ってくる、ってことになるよな)
伊織はバルドの立場に立ってシミュレーションしてみる。
しかしそれが上手くいかないほど想像し難い状況だ。
(でもそれを違和感なく受け入れたら、その時点でバルドが主人格じゃなくて、その過去の人が主人格ってことになるんじゃ……ああいや、まあセラアニスさんとヨルシャミみたいに完全な別人じゃないから悪いことじゃないんだけど、ううん)
伊織はなんだかもやもやしていると自覚していた。
しばらく考えて「ああそうか」と思い至る。
(……僕、やっぱりあの瞬間に『バルド』が死んじゃったみたいで寂しいんだな)
***
「ヘルベール! ヘルベール! セトラス知らない!?」
本部施設の中で耳にするには珍しすぎる声を聞き、思わず振り返ったヘルベールはすぐに「ここから即離れればよかった」と後悔した。
走ってきたのは東の国の服――転生者に見せると『チャイナ服』と形容されるであろう服を着た細身の青年だ。
切り揃えられたモスグリーンの髪の毛は後ろのみ長く太い三つ編みになっており、その所々に小さなオレンジ色の花が咲いている。
見た目も香りも金木犀に似ているが花弁が一枚少ない。
目は細く、常に笑っているように見えた。
微かに花の香りを纏う彼は自己申告が本当なら長命種の中でも特に長く生きるドライアドだったはずだ。
ドライアドは住む地域により独特な文化を持つが、それがどういったものかヘルベールは知らない。そこまで深入りする必要がないからである。
青年は随分うるさそうなデザインの耳飾りを揺らすと、再びセトラスの居場所を訊いた。
ヘルベールは下がってしまった眼鏡を指で押し上げる。
「……シァシァ、そう繰り返さなくても聞こえている」
「ならすぐ答えてヨ、いくら長命とはいえ時間は大切だからネ!」
シァシァと呼ばれた青年は溌剌とした笑顔でそう言うと、答えを急かすようにヘルベールを覗き込んだ。
年単位でサボる奴がなにを言っている。
そう口から出そうになった言葉を飲み込みヘルベールは答えた。
「セトラスは部下の脚の調整中だ、邪魔はしないほうがいい」
「あァ、あのハイトホースか。折角ラボから出てきたのになァ……アッ、けどたしかヘルベールも知ってたよネ?」
ずいずいっと前に出たシァシァはにんまりと狐のように笑って言った。
「共有報告書にあったバイク! アレについてもっと色々と教えてほしいんだヨ!」
聖女マッシヴ様の息子が召喚するバイクという名の不思議な乗り物。
機械的だが生物的でもあるそれの報告は幹部が閲覧できるデータベースに上げてある。シァシァはそれを見てラボから出てきたらしい。
ヘルベールは知らないふりをするか逡巡したが、ここで隠してもすぐにばれてしまうだろう。すると余計に面倒なことになる。
そして溜息をひとつつくと『大切な時間』から少なくとも一日分は提供することを覚悟して頷いた。
ドライアド――東ドライアドの夏夏。
彼は自他共に認めるロボとメカの特化型研究者兼魔導師、ナレッジメカニクスの古参の幹部、そして超ド級のメカオタクである。





