第154話 これが色眼鏡の実力です
花屋に着くなり、伊織はそこが少女の目的地ではないと理解した。
掲げられている看板の店名がまったくの別物だったのである。
一応入ってみましょうか、と店内に足を踏み入れると、気さくな店長に周辺の花屋についての話を聞くことができた。
しかも少女の目的地である『ラトアナの花屋』の店長と知り合いなのだという。
これは渡りに船だと花屋の場所を教えてもらい、店を出ようとしたところで――店の奥から犬の鳴き声がしたかと思えば、小型ながら立派な牙を剥き出しにした犬が走ってきたのでふたりはギョッとした。
「あらァ、ラブリーちゃん! また鎖を引き抜いてきたの!?」
「鎖を引き抜く……!?」
「ごめんなさいね、この子ちょっぴり人見知りですぐ噛みつこうとするのよ」
「ちょっぴり……!?」
ここに長居していたらもっと事態が悪化しそうである。
そう思い少女を見ると、犬が苦手なのか顔面蒼白になって震えていた。
これはますます長居できない。
伊織は店長にお礼を言うと少女の手を取って急いで花屋の外へと出た。
一応ラブリーちゃんにも愛想笑いと共に手を振ってみたが、ラブリーちゃんは店長の腕の中でウナギのような動きをしながら暴れているだけだった。
目だけは常にこちらを的確に捉えており、ぶっちゃけると魔獣より怖い。
「い、犬が苦手でなくてもなかなかのインパクトある子でしたね。大丈夫です? ちょっと休んでいきましょうか?」
「す、すみません、お願いします……」
震えがおさまらない少女はか細い声でそう答えた。
伊織は思案する。
(どこか休むのに適した場所は――)
***
手を繋いだまま道を急ぐふたりを見失わないよう距離を詰める。
伊織たちも何故か少し急いているのか、先ほどより近寄っても気がつかれることはなかった。
それでも上手く会話が聞こえてこないのは人通りが増えたことと、同じくリータとセラアニスも気が急いていたからだろう。
伊織たちが向かった先にあったのは大きな噴水のある公園で、ふたりはそのまま噴水脇のベンチに座る。
「うーん、さすがに開けた場所なので近づけませんね……、あっ」
少女を残して伊織が席を立った。
こちらに向かってくるのでは、とリータとセラアニスは身構えたが、伊織は違う通りの店で飲み物を購入し少女の元へと戻る。
伊織は普段使っているカバン――ウサウミウシの巣となりつつあるカバンを持ってきていなかったが、ポケットにいくらかのお金を入れてあったようだ。
「泡立った甘そうなバナナジュース……」
「あれ絶対美味しいやつですよね……」
伊織に買ってもらって羨ましい。
――と思うより先に『美味しそう』という感想が出てしまい、リータとセラアニスが同時に呟く。
しばらくふたり、もといふたりの持っているジュースを見つめていたリータはコソコソしながらセラアニスに耳打ちした。
「あの、ちょっとだけ見張っててもらえますか? 飲み物を買ったってことはしばらくここから動かなさそうですし」
「わ、わかりました……!」
答えを聞くなりそそくさとその場から離れたリータを見送り、セラアニスは大任を任された新卒兵のような気持ちで伊織たちを見守る。
(……噴水……)
ふたりを見ようとするとどうしても視界に入ってしまう。
噴水は水の魔石を用いたり、特殊な技法で川から水を引いて作るものだ。
この街の噴水がどう作られているのかはわからないが、セラアニスの里にはなかったため本でしか見たことがない代物だった。
だというのに既視感がある。
昔、伊織とこういった噴水の傍まで来たような気がした。
(でもこんなに平和じゃなかったような……あれ? これって無くした記憶の一部でしょうか?)
そう少しの間考え込んでいたセラアニスは伊織たちのほうへ視線を戻して尻もちをつきそうになった。
伊織が少女の肩に腕を回している。
そんな男らしい仕草をできたんですか!? という謎の感想が湧き上がったと共に、言いようのない気持ちがセラアニスの胸の中に渦巻いた。
――実際は気分が悪そうな少女の背中をさすっていただけなのだが、色眼鏡がかかっていると正常には見えないものなのである。
伊織はすぐに腕を離したが、先ほど見た光景――正確には先ほど色眼鏡を通して見た光景が頭の中から離れず、セラアニスは目を回しそうな錯覚に襲われる。
そこへ小走りに戻ってきたリータがカップをセラアニスに差し出した。
リータはここへ戻る道中でなにも目にしなかったのか、特におかしな様子はない。
それどころか笑みを浮かべている。
「お待たせしました! バナナはなかったんでイチゴミルクですが、オゴリなのでよかったらどうぞ」
「……! ありがとうございます……っおいし、おいしいです……!」
「んんっ!? 泣くほどですか!?」
驚くリータの顔を見て、イチゴミルクの泡をうっすらと口の周りに付けたセラアニスは笑みを浮かべる。
リータがなにも知らないのなら、さっきの光景は自分の胸にだけしまっておこう。
そう密かに思いながら。





