第143話 傷跡とお見舞い
伊織の処置が終わったのは三十分ほど経った頃。
ヨルシャミの処置よりも時間がかかっており、そのためパルドースが通常の医術で治療を行なっているのかと一同は思っていたが、担当はヒルェンナだったという。
「すみません、魔力切れでもないし属性の相性が悪いわけでもないのに、何故かイオリさんには回復魔法の効きが悪くて時間がかかってしまいました」
「回復魔法の効きが悪い?」
リータは首を傾げる。
ニルヴァーレのワイバーンと対峙した際、伊織は上書きテイムをするために無茶を承知で行動したことがあった。
あの時はヨルシャミの大規模な回復と防御魔法が伊織にも効いていたはずだ。
「あ、けど大怪我はしなかったし、ヨルシャミさんの魔法も強力だったから……」
「なるほど、通常の回復魔法で効きが悪い程度なら、その時は普通に作用しているように見えたわけか」
サルサムは頷く。
ではなぜ効きが悪いのか、その原因が気になるところだがサルサムたちに魔導師としての知識はなく、ヨルシャミの知恵を借りることも叶わない。
とにかく危険を脱したのなら、とリータたちは安堵したが、ヒルェンナはそれでも申し訳なさそうだった。
「その……効きが悪かった影響と悪化した後放置していた影響で、恐らく傷跡が残ってしまうと思うんです」
「肩の火傷跡ですか?」
「はい、酷いケロイドに見えない程度にはなんとか治したんですが……」
火傷から壊死した部分が広がり、その痕もあるため首元の開いた服だと見えてしまう可能性があるという。
命があっただけでもありがたいことだが、傷跡が残ることに関してデリケートな患者も多いため、ヒルェンナたちは可能な限りそういった憂いを取り除くことも治療の一環だと考えているらしい。
サルサムは複雑な心境だった。
原因は伊織がサルサムを庇った際にできた傷。
不毛なことだとはわかっているが、あの時に油断さえしていなければと自然と考えてしまう。
――各地を渡り歩く者は危険な場所もよく通る。
つまりよく怪我をする。
伊織にも同等の覚悟があり、傷跡が残ったからといって泣き喚いたりはしないだろう。しかしそれをサルサムは自分の口から言うのはおかしいのではないか、と二の足を踏んでヒルェンナに言えなかった。
代わりに口を開いたのはネロだった。
「旅をする人間に怪我は付き物だ、イオリもきっと思い詰めたりはしない」
「ネロさん……」
「それにイオリの目標は人を救うことだから……人を救ったことで付いた傷が残ったからって、そこでしょぼくれて足を止めたりはしないと思うんだ。ただ」
ネロは体から力を抜いて言った。
「もしも気にするようなら仲間が支えてくれる。ここにいる連中はそういう奴らだ。だから心配はいらない」
「……! はい、全力でサポートします! ヒルェンナさん、だから気にしないでください」
「そうそう、もし落ち込んでたらあたしたちが励ましてやるからさ!」
「あー、旅先で傷跡を薄くする薬も見つかるかもしれないしな。旅の目的が増えると思えばそう悪いもんじゃないと思う」
更にそれが本人にとって面白いものになるよう支えよう。
そう密かに決めながらサルサムも言った。
仲間になって日は浅いが、どうにも弟たちを思い出して気にかけたくなる。自分を庇ってくれたなら尚のことだ。
ヒルェンナは沈んでいた表情を改めてから頷いた。
「はい……ありがとうございます、皆さん。後日もう一度回復魔法をかけてみますね。あと――」
これからも精進します。
そう言った彼女の表情は暗いものではなく、試行錯誤を続ける前向きな医療従事者のものだった。
***
ヒルェンナは幼い頃から治療師になりたかった。
夢が叶い、この病院に勤め始め、今では院長でもあるパルドースと並び主力として働いている。
そうして過ごした時間の中でも何度も命を救えなかったこと、命は救えたが心を救えなかったことがあった。魔法は万能に見えるがそうではないのだ。
そして今日は不測の事態が続き、治療師にあるまじきことをしてしまった。
患者やその家族、仲間の前でいたずらに感情を出して相手に不安を与えることは回避すべきだったのだ。
治療師や医者が救うのはなにも患者本人だけではない。
縁者のケアも大切な仕事だ。
しかしヒルェンナはそれを後悔して再び悩む気はない。
悩みの種としてではなく、前へと進む糧にしようと思い直している。
勝手に糧にされたイオリという黒髪の少年は堪ったものではないかもしれないが、彼へも今後できる限りのサポートをするつもりだった。
もっともっと頑張ろう。
頑張って治療師としての格を上げて、更に沢山の人を救おう。
そう図らずも伊織と似た思考をしながら、ヒルェンナは念のため一晩巻いておいた包帯を取った。やはり右肩に痕が残っている。
(でもよかった。熱はぶり返さなかったし、高熱による目立った後遺症も今のところなさそうね)
運び込まれてきた時は本当に酷い状態だった。
あれで少し前まで意識を保っていたと聞いて仰天したものだ。
もし回復魔法が完全に効かなければ腕を切断することになっていたかもしれない。
後遺症については意識を取り戻してからでないと確認できないことも多いため注意が必要だが、ひとまず命に関わるものは残っていないようだ。
夜が明け、ベッドの上で眠る伊織の頬をカーテン越しの陽光が照らしていた。
リータたちは残りの仲間との合流を待ちつつ崩落したトンネルの復旧作業を手伝ったり、セラアニスの記憶に関するリハビリを街に滞在しながら行なうそうだ。
少なくとも数日は滞在するらしい。
(病室も長い間は貸してあげられないから、後で安いけど安全な宿を紹介してあげなくちゃ。それと……、?)
ドアが開いた音がしてそちらを振り返る。
度々様子を窺いに来るリータだろうか?
そう思ったのも束の間、視界に入ったのは鮮やかな緑のウェーブヘアーだった。
ドアの陰からおずおずといった様子でこちらを覗き込む薄緑の目、申し訳なさそうにドアにかけられた細い指、どれも『ヨルシャミ』とは程遠いが、ヒルェンナはヨルシャミを知らない。
覗き込んでいるのはただの可愛い女の子である。
「セラアニスさん?」
「あっ、すっ、すみません、勝手に覗いてしまって……!」
謝るも視線が伊織に向いているのに気がつき、ヒルェンナは伊織の上着を整えてから柔らかい手つきで手招きする。
「大丈夫ですよ、あなたもこの子の仲間なんですから。お見舞いしますか?」
「……! ぜひ!」
ヒルェンナが想像していた以上に嬉しそうに頷いたセラアニスはゆっくりと病室に足を踏み入れる。
そして、ベッドの前へと両足を揃えて立つと眠っている伊織に微笑みかけた。





