第140話 並び立って目指すもの
強化された肉体を使えば使うほど自分には魔法の才能がなかったこと、魔法さえあればもっと強くなれていたことをネロは思い知る。
伊織は全部持っていた。
粗削りだがこれからきっと強くなる。
そんな確信がネロにはあった。
――悔しい。羨ましい。妬ましい。
伊織の無事を喜ぶ心の中に、たしかにそれらは存在していた。
目を逸らしたくても逸らしきれないほど心を蝕むものだ。
母親に恵まれ、魔法の才能に恵まれ、使命を持ち、それを成すために成長を続け、憧れていた黒い髪を持ち、聞けば前世から持っている名前のため苗字もあるという。
更には神様から与えられた力まで持っている。
すべてネロにはないものだった。
望んでいたが手に入らなかったもの、望んでも手に入らないもの、そんなものばかりである。
もちろん伊織も持っていないものはある。
ネロのほうが優れている面も多い。
しかしそれをわかっているからこそ、ネロは――わかっているのに負の感情を抱いてしまうことが、とても浅ましいことだと情けなく思っていた。
こんな気持ちを制せず悩み続けている、そんな小さな子供のような心だから救世主になれないのだ。
どう足掻いたって救世主にはなれないし、先祖のように、ネランゼリのようにはなれない。その証拠のように思えた。
その証拠を、伊織から常に突きつけられているような気持ちになっていたのだ。
両目に驚きの色を浮かべつつもネロの話に耳を傾けていた伊織は、話を聞き終わる頃にはネロの心情を思って表情を崩していた。
伊織にとってはネロのほうがしっかりしていて羨ましい。
無謀だとしても一人旅をしているところや、確実に自分より生活能力があるところもそうだ。
伊織も一人暮らしをしている期間にそれなりの生活能力は身についたが、それは便利な日本の現代文化の中でのこと。この世界では勝手が違う。
しかしそれは伊織が羨ましいと思っているだけだ。
ネロ自身が望んだものはほとんど手に入っておらず、それらを誰かが片手の指では足りないほど持っているのを間近で見ることになったのだとしたら――辛いだろう、と伊織は思った。
「……幻滅しただろ、正直に言ってくれていいんだ。それくらいの覚悟はして話したからな」
「幻滅なんてしませんよ、むしろ、その、ええと」
傲慢だろうか。
そう躊躇したが、結局伊織は眉をハの字にして言った。
「気づけなくてすみません。そんな状況でそばにいるのは辛かったですよね……」
「ど、同情してほしくて話したわけじゃないぞ! もう少しでお前らとはお別れだろ、黙ってても良かったんだが……あんな秘密を伝えてくれたのに伏したままなんて嫌だな、って思ったんだ」
自分が楽になるために話したようなものだ、とネロは視線を落とす。
伊織はハの字眉から一転して眉根に力を込めると前のめり気味に言った。
「そう思えるネロさんのどこが救世主になれないんですか」
「え……、だってこんな嫌な感情を抱くような奴が救世主になれると思うか? それに俺は先祖のことを認めてもらえればそれでいいんだ。そりゃあ憧れだけど、自分がなりたいわけじゃ――」
「僕が救世主であることにも嫉妬していたのなら、ネロさんは救世主になりたいんですよ。矛盾してる。それに……いいですか、僕だって清廉潔白な人間じゃないんです」
伊織はネロの両手を握ってぐいっと引き寄せる。
「ネロさんにも羨ましいところがいっぱいあるんです! 本人が望んだものじゃないかもしれないけれど、僕にとっては確かに羨ましいもので……。多分、羨ましいと思うものの数はネロさんのほうが多いし僕よりずっと辛いから、僕にこんなことを言われても余計にしんどくなっちゃうかもしれないけれど……」
せめて一回だけでもしっかりと伝えておきたい。
そう伊織は金色の目にネロを映して言った。
「ネロさんのその気持ち、ちょっとくらいなら僕もわかりますよ! 僕の旅も使命も人に決められたものだけれどネロさんは自分で決めた目標のために一人旅をしていたし、それを実現するために努力していたところも凄いし、ダガーも自力で取り戻したし、多勢に無勢なのに僕らとの勝負をやりきったし――」
「ち、ちょ、ちょっと待てイオリ」
「――仕事だって覚えが早くて責任感もあるし、生活能力だって僕より高いし、こうして嫌な思いをしているのにずっと助けてくれる優しさがあるし! それが全部凄いなって思うんです! ネロさんは僕にとってはずっとずっと憧れの先輩ですし、命の恩人ですよ!」
「熱量がヤバいから! 近い近い!」
体力が削れているとは思えないほどの気迫にネロはアタフタとした。
面と向かって他人にここまで褒められたのは初めてだったのだ。もうお腹いっぱいである。だというのに伊織は更に言い重ねた。
「僕はすぐ過去を引きずって悩むし、仲間のお荷物になってるって沈み込んだりしてました。神様にもらった力だって使いこなせてなくて、自分を粗末にしたこともあった。それで母さんに辛い思いをさせたことも。……綺麗な人間じゃないんです」
「……」
「優しいと思われがちな部分も、僕が甘くて臆病なせいです。――非情になれなかったから大カラスの件でもネロさんを危険な目に遭わせました」
伊織に自覚はあった。
簡単に命を奪いたくないというのは甘えだ。そのせいで奪われる命もある。
そうわかっていてなお、平和な国で生きてきた人間の倫理観がブレーキをかけてくるのだ。きっと今後もなかなか正すことはできないだろう。
「救世主の条件なんて本当にあるんでしょうか」
神に選出された者がそうなのだとしたら、条件ははっきりとしている。
しかしそもそもネロはそんな神がいることも、伊織たちの使命も知らなかった。
ならネロが憧れていた『救世主』は人々を救うために動ける者のことなのではないか。伊織はそう思う。
「僕は資格なんて必要ないと思うんです。誰かを助けようと動ける人を指すなら、ネロさんもその嫌な気持ちを消さなくったって救世主になれます」
「でも……」
「この理屈で言うなら僕もまだまだ救世主なんて言えないんですよ」
怪訝な顔をするネロに伊織は緩く笑った。
「僕、この世界では生まれ変わってからずっと眠ってました。目覚めたのなんて最近のことです。母さんはその間もずっと人を救ってきたけれど、僕はまだまだで……ひっくるめて救世主って呼ばれることはあるけれど、大抵はこう呼ばれるんです」
伊織は言う。
聖女マッシヴ様の息子、救世主の息子、と。
「救世主は神に選ばれた者という意味ではなく、人を救える人間という意味であるべきだ。だから――僕も、母さんみたいな救世主になりたい」
「人を救える人間……」
「ネロさんも一緒に目指しませんか」
そう誘われてネロはきょとんとした。
同時になんて優しい言葉を投げかけるんだ、と思いもした。
こういうところが羨ましいのだ。
しかし当の本人はネロのことが羨ましいという。
(そう、か……そういうものなのか)
ネロはゆっくりと伊織に握られた自分の手を見る。
発熱しているせいか、伊織の手の平は驚くほど熱い。背負っていた時も相手の体温だけで汗が流れるのではないかと思ったほどだ。
発声するのすら辛いだろうに、こうして伝えてくれている。
さっきまでならきっと余計に辛くなるだけだっただろう。
しかし今はなんとなく、自然と受け入れられる気がネロはした。
伊織は一緒に救世主を目指そうと言う。
並び立つ前提で言っている。
昔、ネロにはそれと同じ目線から自分を応援してほしいと思った人物がいた。
(……父さん、母さん)
ふたりは終ぞ同じ歩幅で歩いてくれることはなかったが、嫌な感情を知った後でもネロを先輩と呼ぶ後輩は歩いてくれるという。
きっとそれは、ネロを認めているからだ。
どんな感情を抱いていようが人を救える人物だと。
なぜなら、そんな気持ちを抱えながらも自分を救ってくれたからだ、と。
「……」
ネロは泣きそうになったのを堪えたつもりだったが、いつの間にか涙を零していた。情けないと思うが、伊織はこれすら受け入れてしまうのだろう。
声まで涙声になってしまう前にネロは笑い返して言った。
「――ああ、目指してみるか」





