第113話 セトラスの刻印
「おやおや! 随分な格好だね!」
夢路魔法の世界に入るなりニルヴァーレの声がしたかと思えば、そんな一言を浴びせかけられた伊織はきょとんとした。
そして自分が上半身になにも着ておらず、包帯を巻いただけであるとすぐに気がついて戸惑う。幸いにもズボンはそのままだが原因不明すぎると思考が停止するのだと伊織は思い知った。
「えっ、えっ、なんで!?」
「イオリはまだ経験が浅いからな、怪我で消耗したことでイメージする力が弱まっているのであろう、ほれ」
隣に歩み出たヨルシャミが伊織に触れる。すると普段の見慣れた服が現れた。
ヨルシャミは「これでよし」と満足げに頷く。
「私のイメージで補っておこう」
「あ、ありがとう。そっか、景色と違って自分自身のイメージはそれぞれに委ねられてるのか……」
景色への反映はヨルシャミの許可が必要だが、伊織やニルヴァーレの自分自身に対するイメージは第三者目線ではなく本人のものが採用されるということだ。
ただし大幅な変化を伴う場合は通例通り許可が必要だという。自分は巨大なドラゴンだ、と思い込めるような人物がいた場合とんでもないことになるからである。
ヨルシャミは消耗していると言ったが、負傷に関してはそれなりに回復している。
どちらかといえば『怪我をした』ということへのインパクトの強さがイメージに影響を及ぼしたような気がするな、と伊織は思った。
前世ではこんな怪我をすること自体珍しかったため、思っていたよりもメンタルに響いているのかもしれない。
もちろんバイク事故は死因になるほどのものだったが、あの時は衝撃が強すぎた上に意識が朦朧としており、まるでフィクションの出来事のように感じられていた。
正確な怪我もどれほどのものだったのか把握していない。
(精神が強いっていってもメンタルが強いって意味じゃないもんな……)
転生により得た精神の強さは魂の強さと同義で、メンタルとは関係がない。
このすれ違いは世界の神が実際には人間とは異なるのだという証左に思えた。
伊織が自身のメンタルの弱さを再確認し、少し情けない気分になっているとヨルシャミが指輪を見せながらニルヴァーレに言う。
「ニルヴァーレよ、契約で守ると言ったわりには散々な目に遭ったのだが?」
「今の僕のできる範囲で、だよ。まぁやろうと思えば表の世界に影響を及ぼせる魔法を使えるとは思うけど、まだ未確認だしね。それに……」
ニルヴァーレは伊織の肩を見遣って言う。
「命の危機があれば、だ。あれくらいじゃイオリは助けを求めない。そうだろ?」
「そ……そう、ですね」
レーザーで首を吹き飛ばされるなんて事態になったなら助けてほしいが、これくらいなら我慢できる。
それにいくらニルヴァーレが表に魔法を発動させられるほど魔石の体に馴染んだとしても、ノーリスクとはいかないかもしれない。
なら無理はしてほしくないというのが伊織の本心だった。
元々この契約だって結んでもらって申し訳ないくらいなのだから。
べつに本気でニルヴァーレに物申したかったわけではなかったのか、ヨルシャミは本題に移ろうとして――そのタイミングでニルヴァーレが声高々に言った。
「あと! これは大切なことだが、僕が好きなのは泥臭くも美しいイオリだ。そんな僕が怪我のひとつやふたつ気にするものか!」
「本当に歪んでるなお前は!」
「で? それはそれとして、その傷をつけた奴はどこのどいつだ?」
「気にしてるではないか!」
全力でツッコみつつヨルシャミは「リータが屠ったそうだ」と教える。
ここできちんと答えるのだからヨルシャミもなかなかのお人好しである。
眉を上げたニルヴァーレは「おや残念」と肩を竦めた。
「今だったらワイバーンくらいなら外に呼び出せるだろうし、八つ裂きにして綺麗に並べてやろうと思ったのに」
「ワイバーンを!?」
伊織が驚くとニルヴァーレは特技を自慢する小学生のような顔で笑った。
どうやらワイバーンもあれから無事に傷が癒えたらしい。
「ここからじゃ外が見えないから、簡易的な命令を与えた状態で呼び出すところまでだけどね。聴覚のみで外の状況を判断するっていうのは結構難しいんだぞ、四六時中聞こえてるわけでもないし」
「そうなんですか……」
「ただしこのワイバーン、たしかイオリが召喚の目標にしていたな。僕が今後なにか召喚するにしても別のにしよう」
そのままヨシヨシと撫でてくるニルヴァーレに鳥肌を立てつつ、伊織は一応礼を言った。
執着対象を見る視点以外に師としての視点も持ち始めたようだが、どうにも伊織にはその境目がわからない。
――なにはともあれ、今のところ夢路魔法の世界の維持に問題はないようだ。
ニルヴァーレも元気の極みである。
伊織は眠る前にヨルシャミが魔石を取り出していたことを思い返す。
普段はニルヴァーレの魔石に直接触れなくても夢路魔法を使うこと、そして夢路魔法の世界にニルヴァーレを呼ぶことに支障はない。
そもそもヨルシャミが夢路魔法を使っていない間もニルヴァーレは好き勝手出入りしている様子なので当たり前だが――こんなイレギュラーな状況を今まで経験したことがないため、どんなタイミングでどんな不具合が起こるかわからないのだ。
なら少しでも危険を減らすために成功率が高まる方法で行なおう、というヨルシャミの気遣いだった。
「……ふぅん、なるほど、地下の更に地下にあった謎の魔法陣か」
ナレッジメカニクスの研究施設で起こったこと。
そのあらましを聞いたニルヴァーレはイスを出現させると腰掛けて思案した。
ただの木製のイスだというのに王様でも前にしたかのような風格がある。
その足元にはヨルシャミが記憶をもとに再現した魔法陣が描かれていた。
正確に再現すると巨大すぎるため、およそ十分の一のサイズに縮められている。
「そういえば幹部専用研究室の奥にドアがあったなぁ……物置だと思ってたよ」
「あんな強固な守りの物置があって堪るか。用途に心当たりはないのか?」
「僕はナレッジメカニクスの中でも自由奔放でね、協力を要請された際に必要最低限手を貸すくらいしかしてなかったからなぁ。僕みたいな悪い子じゃなくて、組織に率先して協力する良い子ちゃんなら知ってたかもしれないけど」
どうやら例の魔法陣に関することはニルヴァーレも知らないらしい。
その『良い子ちゃん』はなかなか施設外に出てこないタイプが多く、ひっ捕まえて尋問というわけにもいかないようだった。
「それにあそこってかなり重要度の低い施設だったはずだよ、そんな施設の真下にわざわざ作ったなんて不思議だな……なにか理由があるはずだが……ああ、あと」
「あと?」
「その警備システムの姿、ここで再現してみせてくれないか」
ヨルシャミはニルヴァーレの要望通り警備システム――ビームを放つ球体を夢路魔法の世界に再現した。
本物ではないとわかっていても伊織は半歩引いてしまう。
球体をまじまじと観察したニルヴァーレは「ああ、あった」と表面の一部を指してみせた。目立たないが型番とサインのようなものが刻印されている。
「セトラスの作品だ。これは奴のサインだね」
「セトラス……? 幹部のひとりか?」
「ああ、ヨルシャミが眠っている間に加わったメンバーだったか。そうだよ、ナレッジメカニクスの幹部のひとりだ。学者気質――というか怠惰で表に出てくることは稀だが、セトラスかセトラスの息のかかった者なら魔法陣についてもなにか知っているかもしれないな」
なにせ、この警備システムは魔法陣があった場所に配備されていたのだ。
しかも発動はヨルシャミが魔法陣に触れた瞬間。つまりそこに魔法陣があることもわかっていて調整されていた。
肩透かしを食らう可能性もあったが、もし手がかりが欲しいならそこから切り崩すのがいいだろう、とニルヴァーレは球体をつついて消す。
(セトラス……)
ナレッジメカニクスには何人もの幹部がいる。
それぞれ得意分野は違うが、衰えつつある組織であっても全員ニルヴァーレのような実力を持っているとしたら――そう考え、やっぱり自分も早く成長しなくては、と伊織は拳を握った。
「……ニルヴァーレさん、ヨルシャミ、他の報告も終わったら訓練の続きをお願いしてもいいかな」
「病み上がりだろう、いいのかい」
ニルヴァーレが首を傾げて問う。
一応こうして訊ねてくれるのだから、やはり伊織は彼を人間として見てしまう。
「はい、少しでも遅れを取り戻したいんです」
「遅れてはいないが私は初めからそのつもりだったぞ、イオリ」
今夜もとことん付き合ってやろう、とヨルシャミが笑う。
ニルヴァーレもそういうことなら引き続き面倒見てあげようと口角を上げた。
伊織はそんなふたりの師に頭を下げ、久しぶりの訓練に挑むことになったのだった。
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