第109話 弓矢勝負とリータの勘違い
転移酔いの厄介なところは症状があまりにも人それぞれといった点だ。
パトレアはその中でも重篤な部類で、到着してから半日以上経ってもぐったりとしていた。
より正確に言うなら左側を下にして横になったまま尻尾と耳しか動かしていない。
「うぅ、申し訳ありません、ヘルベール博士……協力するどころか足を引っ張ってしまい……私は、私は腹を切っても詫びきれないほどのご迷惑を……!」
加えて本人の居た堪れなさが凄まじく、責めるに責められないなとヘルベールは再び眉間を押さえる。
「いや、なんの対策も取らなかった非はこちらにある。今は回復に努めろ」
「はいっ……!」
ふたりが休んでいるのは迷彩処理を施した簡易テントだ。
村の周囲に隠れられそうな茂みがあったのだが、さすがにこの状態のパトレアを地面に寝かせるのは憚られる。ついでに回復も遅れてしまいそうだ、ということで常に携帯しているテントを使用したわけだ。
まさか転移した直後に使うはめになるとはヘルベールは欠片ほども思っていなかったが。
「博士、私のことは置いて先に調査を――」
「この状態で放置などできるはずがないだろう、バレたらどうする。このテントの迷彩も完璧ではない」
もし留守中にマッシヴ様一行に見つかりでもしたら一大事である。
施設で暴れる様子は恐ろしいものだったが、救世主は救世主。病人を傷めつけるような気性の荒さはないかもしれない。
しかし捕まれば組織の情報を洗いざらい吐かされる可能性はあった。
しかし、もしこのまま改善が見られないならば、長々とここに留まったままというわけにもいかなくなる。
ヘルベールは医術の心得があるわけではないため、すぐさま効果のある治療はできない。もちろん魔導師でもないため回復魔法も専門外だ。
それでも幹部に数えられているのは生物を解体し繋ぎ合わせたり、解析に非常に長けているからこそだが、今ここで活かせるスキルではなかった。
パトレアを命令に従う物言わぬキメラにしていいなら話は別だが、セトラスから反発があるだろう。
本部へとんぼ返りすることも考えたが、恐らくパトレアから拒否される。
パトレアはセトラスの要望に応え、任務を全うすることを強く願っていた。
上司命令として強制的に戻してもいいが――今後、聖女一行を相手にしていくなら組むことも多いだろう。そこに早々にしこりを残すことは避けたいというのがヘルベールの心情である。
「薬か薬草が必要だな……」
ただの酔いとは異なるものだが、なにかしら効果があるかもしれない。
持参した薬は怪我の治療に向いたものばかりなので、村に赴いて調達してくるのが手っ取り早い。
適切な治療を施せる医者もいるかもしれないが――パトレアもヘルベールも、人には見せられないものを体に埋め込んでいる。
パトレアは機械の脚。
ヘルベールは延命装置。
医者にかかれば見透かされて騒動になる可能性があるのだ。
元は変装してマッシヴ様一行の調査を行なうつもりだったため、多少の見た目の差は誤魔化せるはずだったが、医者が必要になる事態は想定外だ。
しかしヘルベールは他者の身体的特徴を任務のデメリットだと責める気はない。
デメリットはメリットにもなりえる。
(しばらく休めば回復はするだろうが……)
その間にマッシヴ様一行が離れてしまっては元も子もない。
ヘルベールは決心するとパトレアに手を差し出した。
「村に薬がないか訊きに行く。お前も来い」
「はっ! 了解であります……!」
パトレアはふらふらしながら立ち上がり、長い巻きスカートを身に着ける。これで足は隠れるはずだ。
上着は現在着ているものが空気抵抗を減らすために体のラインにフィットしているため、その上から直接当たり障りのないシャツを着た。
途中で何度か吐きそうになっていたが、そこは高速走行を得意としているハイトホース。意地でも倒れずに耐えている。
ただし足元は相変わらず生まれたての子馬だった。
ヘルベールも旅人が普段着にしていてもおかしくない服装に替えたが――こちらはどうやっても退役軍人のようである。
「さあ、行くぞ」
ワンタッチでテントを畳んだヘルベールは終始申し訳なさそうにしているパトレアを連れて村へと向かった。
***
俺に情けをかけて不得意な分野を選ぶな。
そんなネロの言葉もあり、一番目の相手となったリータは弓術で勝負をすることになった。
ネロは魔法弓術を取得していないため、宿屋から狩り用の弓矢を借りて実物の弓の弦を引く。
なお、挑む順番は伊織の発案によりじゃんけんで決められた。
ここだけ見るとだいぶ平和な光景だ。
弓矢勝負は木の板で作った的に三回矢を射てどの位置に命中したかで得点を振り分けて判定する。
伊織の知っている丸型の弓矢の的とは違い、ただの長方形の板だが、中央に近いほど高得点なのは同じらしい。
射ることができるのは三回。
交互ではなく、それぞれ三回連続で射った合計得点を競い合う。
先行になったネロは矢をつがえて構えると、三十メートルほど離れた位置に据えた的を狙って弦を引いた。
(ネロさんって弓も使えるんだな……)
少し離れたところで見学している伊織はネロの珍しい姿をじっと見つめる。
体の大きさに見合わない大きな弓だ。
ベレリヤの木の質は日本の和弓に使われるものと似ているのか、弓としての形も似通っていた。しっかりとしつつも綺麗にしなっている。
とはいえ弦を引くには相当の力が必要なはず。ネロはそれを軽々と扱っていた。
ダガーを持っている姿は先日見かけたが、多様な武器を扱える器用さがあるようだ。伊織が仕事で感じた印象と同じだった。
力を込めたままゆっくりと弦を引ききり、ネロは狙いを定めて矢を放つ。
タンッ! と命中したのは中央からやや上。
悔しがるわけでも得意がるわけでもなく、集中状態を保ったままネロは二本目の矢をつがえて放つ。
二回目は先ほどよりもやや下、三回目は中央に突き立った。
ネロが弓を下げたのを確認し、静夏が的を回収し新たなものを設置する。
「中央が五十点、他は中央に近い順で四十点、三十五点だな」
「合計百二十五点か、これって良いほうなのか?」
バルドの問いにミュゲイラが頷いた。
「前に人間が競ってるのを見たけど良いほうだと思う。今日は少し風もあるし、ぶっつけ本番な上に使い慣れない弓だってことを考えると余計にな」
「ははあ、なるほど」
「でもフォレストエルフは――」
ピュウッ!
話していたふたりの言葉を高い音が分断する。
リータが矢をつがえるなり、狙いを定めるモーションすらなく放った矢は中央に命中していた。
「――フォレストエルフはまあ、弓矢が生活に溶け込んでるからなぁ」
「魔法弓術でなくてもここまでスゲーのかよ……」
リータは会話するふたりをちらりと見て口をもごもごとさせる。
褒められるのは嬉しいが、それゆえにむずむずして集中力がなくなってしまうのだ。しかしそう注意したいができる雰囲気ではない。
リータは一度目を瞑り、耳に受ける風の強さや音から風の抵抗を計算して二本目の矢を放った。
しかし放った後に少し強まった風の影響を受け、命中したのは中央よりやや左下。
魔法弓術ばかり使ってきたせいで想像していた以上に通常の弓の腕が鈍っている、とリータはフォレストエルフ目線で反省する。
最後の一本をと手に取ったところで伊織の姿が視界に入った。
――お揃いの指輪。
エルフノワールは魔力を籠めたものや魔力の安定目的の装飾品を身に着けることを好んでおり、更には普通の装飾品も普段から男女問わず好きに身に着けている。
そのためさほど気にしていないようだが、フォレストエルフは違っていた。
装飾品の扱い方は一般的な人間と同じで、例えば親愛の証として他者に贈ることも多い。
リータがミュゲイラに耳飾りを贈ったように。
揃いのものを身に着ける、という点も仲の良さを象徴するもので、魔力を籠めた実用的なものなのでお揃いになってしまったからといって特に動揺はしないエルフノワールとは違っていた。
これがどういう感情かはまだよくわからないが、とても羨ましい。
自分も欲しいな、と思ってしまうがこれは叶わないことだろうという自覚もある。
あれはニルヴァーレの契約の証なのだから。
そんな想いがふつりと湧き、遠目ながらついつい指輪を凝視してしまったリータは慌てて視線を引き剥がして矢をつがえた。
集中だ。今は真剣勝負の最中、集中しなくてはならない。
そう考えているとネロまで伊織をじっと見ていることに気がついた。
その眼差しには圧を感じるほどの熱量が籠められており、リータはハッとする。
(もしかして……この子もイオリさんのことが気になって……!?)
女の子の多いパーティーが羨ましいだけである。
(短い間だったけど半日近く毎日顔を合わせてたんだもんね……私だって憧れがきっかけだろうけど、そんなに長い期間はかからなかったような気がするし……)
よく見たらお揃いの指輪なんかつけてなんなんだ後輩お前クソッ羨ましいと思っているだけである。
(……勝負が全部済んだらお話、聞いてあげようかな)
もしかしたら自分の感情の正体を探るきっかけになるかもしれないし、という下心を籠めつつ放った最後の矢は、見事的の真ん中を射貫いていたが――口に出していない勘違いは、最後まで正されることはなかったという。





