【番外編】香雪蘭展墓(シァシァ&イーシュエ) 【☆★】
作中の時期:最終回前後
出演キャラ:シァシァ、イーシュエ+娘
■簡単なあらすじ:
かつて自分が滅ぼした故郷へと戻り、亡き妻の墓参りをするシァシァ。
彼は自らの罪と向き合うことにしますが……?
※今回の番外編ではシァシァは母国語で喋っているためカタコト表記ではありません
街に流れるのは暖かな空気。
しかし山から吹き下ろす風はまだ少しばかり冷たい。
そんな春の中頃、モスグリーンの髪にフリージアの花を咲かせた女性が娘を叱っていた。いつもは朗らかな雰囲気を持つ太めの眉はつり上がり、しかし冷たさは含まれない目で我が子をしっかりと見据えている。
娘は七歳ほどで、同じ色の髪に金木犀に似た花がいくつか見える。
髪よりやや明るい色の目は遠目で見てもわかるほど涙で潤んでいた。
「謝ったのに! ちゃんと謝ったのになんで怒るの!?」
「ママ知ってるのよ、隣のイーハンさんに謝りなさいって言われたからでしょう? 悪いことをしたって心から思っていないのに形だけ謝るんじゃ駄目なの」
しかも、と女性は半眼になる。
「正しい指摘をしたからイーハンさんも褒められるはず、なんて思ってない?」
「むぐっ……」
「当たりね。もう、あなたって子は……」
これは子供の顔に出ていたわけではない。
更に幼い頃から『他人の得になるなら』という理由を行動の指針にしやすい性格をしていたのだ。女性はやれやれといった様子で眉を下げると娘の両肩に手を置いた。
「いい? 誰かのためではなく、自分が心から謝りたいと思わなきゃ駄目よ」
その手そのものは優しいが、声音は力強い。
娘はついに鼻水まで流し始めたが、それを女性に拭われると絞り出したような声で「うん、ごめんなさい」と言ってから頷いた。頷いたついでに再び鼻水が出る。
女性はようやく笑みを浮かべるともう一度鼻をかませた。
――そんな様子をはらはらと見守っていたシァシァは、しかし顔に出さないよう注意を払いながらふたりの元へと近寄ると娘を抱き上げる。
「ママのマニキュアを勝手に使ったのは良くないけれど、そんなことをした理由は話せるかな?」
「……わたしも塗りかった」
「そう。けどまだ少し早い」
東ドライアドは髪に生えたものと同色のマニキュアを作り、それを日常的に爪に塗る文化がある。しかしそれを行なうようになるのは少なくとも年齢が二桁に達してからだ。
個人差はあるものの、娘には明らかに早い。
シァシァはぽんぽんと背中を叩く。
「だから大丈夫になる年齢まで練習しよう」
「練習?」
「そう、私たちの手じゃ足りないから――これだ、木製マニキュア練習機! 腕が合計十四本生えていて、手首から先を付け替えられるから半永久的に塗れる。ついでに爪の質感が本物に似るように材質からこだわっ……」
「きもちわるい!!」
がーん、と音が出そうなほどショックを受けたシァシァに女性が笑い、付け替えられるなら腕は二本でいいと思いますよとアドバイスした。
木製とはいえリアルな人型をしているので、そこにうじゃうじゃと腕が生えている姿はまるで異界の神かなにかのようだ。
欲張りすぎたかと苦笑しながらシァシァは頬を掻き、早速マニキュア練習機の改良に乗り出す。そこへ「わたしもやりたい!」と名乗り出たのは娘だった。
「これは『まだ早い』じゃないでしょ?」
「……繋ぎ目をバラすところくらいは教えてもいいか」
「なんというか、シァシァさんに似ちゃいましたね」
女性の言葉にシァシァは「そうかな?」と嬉しいような複雑なような気持ちで口角を上げる。
自分に似るということは、この国の望む存在――資源になるということだ。
しかし親の目線で見ると似ていると言われるのは正直言って嬉しいのである。
先にトンカチを持って「まだー?」と問う娘に手を上げて応えながら、シァシァはそちらへと足を進めた。
どんな理由であれ、健やかに育った結果ならそれでいい。そう思いながら。
娘が小さなからくり人形を自力で完成させたのは、その一年後のこと。
そして自分だけのマニキュアを塗るようになったのは更に四年後のことだった。
***
東ドライアドにも墓参りの風習がある。
しかしシァシァにとってそれは容易なことではなかった。
なにせ故郷である国はとうの昔に自分が滅ぼし、出奔後はまったく寄りつきもしなかったのだ。
死んだ妻をそんな土地に埋めるのは憚られたが、遺骨の一部のみを持ち歩くことは妻をバラバラにするようで当時のシァシァには出来ず、かといってすべてを持ち歩くことも出来なかったため、彼女の故郷でもあるこの地に眠らせたのである。
可能な限り人目のない山奥へと。
「しばらくは追っ手があるかもしれないから近寄れず、その後はここへ来ると嫌なことを思い出すからって避けていた。――不義理でごめんよ、イーシュエ」
水の香りがする小さな滝の間近。
遥か昔、シァシァがここへ訪れた頃には大きな金木犀の木が生えていた場所に妻のイーシュエの墓はあった。
膨大な時の経過により木は消失し、墓石の位置すらわからなくなっているが――たしかにここに違いない、とシァシァは足元を見つめる。
墓を作る前にも何度か足を運び、妻と語らったことがあった。
自身の花の香りとイーシュエのフリージアの香りが混ざり合い、匂いだけでも華やかな空間になっていたことを思い返す。
久しぶりに長々と発した母国語はイーシュエには届いていないだろう。
しかしシァシァはその場にストンと腰を下ろすと、これまであったことを少しずつ話し始めた。
***
シァシァが墓参りをしようと思い立ったのは世界の穴が閉じられ、我が子と重ねていた伊織が悲願を達成したのちに家庭を持ち、一時的に落ち着いた時間が訪れたからである。
腐りゆく未来を回避するためにやるべきことはまだまだ多いが、寝食を忘れて毎日精神を削りながら生きていかなくてはならないような状態ではなかった。
むしろ如何に健やかな状態で人類が力を合わせ、前に進めるかが課題ともいえる。
様々なものを犠牲にすれば今度は世界を内側から腐らせることになりかねないのだから。
そんな中、自分のルーツとも言える場所を再度見ておくなら、そして過去の罪と向き合うなら今しかないとシァシァは思ったのである。
その過程で亡き妻の死を見つめ直すことも必要だと感じた。
どれだけの時が経とうとシァシァはイーシュエの存在を引きずり、人間ではない『絶対に裏切らないもの』としてロボットにのめり込むきっかけを作ったのだ。
しかしそれは決して健全なことではなかった。
「得たものも沢山あった。しかしその代償を支払ったのは大抵他人だった。この国で作った罪以外にも沢山のことをしてきたんだ。まあ、国の指示で戦争をしていた頃から英雄と呼ばれる陰で罪人とも呼ばれていたわけだけど――」
シァシァはナレッジメカニクスで人間を実験台にする際、子供だけは拒否したがその他の人間に対しては容赦しなかった。
途中から生体を必要とする実験も減り、自前のロボット技術や施設を活かして必要なデータを取れるようになったためオルバートたちよりは犠牲者も少なかったが、しかしただの一般人に被害を出したことは事実である。
いくらそれにより進化した技術で現在は人々に恵みをもたらしつつあるとはいえ、帳消しにはならないだろうとシァシァは見えない妻に語った。
「今までは人間に対して償おうなんて気はなかったし、自分のしてきたことに後悔はなかった。でも、今後彼らの社会に加わることは必須になってくる。そして社会に加わるなら……罪とは向き合わなきゃならない」
罪と向き合うこと。
それは社会を作って生きる人々の輪に戻るのなら必須である。
今までシァシァは自分が誰かを殺すなら、誰かに殺される危険も容認していた。
もちろん自衛に準ずる行動はするが、他者を犠牲にしておいて「自分は犠牲になるべきではない、守ってくれ」と第三者に正当性を主張するほど狂ってはいない。
そうやって人と人の繋がりで形作られた社会の恩恵を受けずに生きていた。
だからこそ倫理から外れたことを行なえていたのだ。
しかしこれからはそうではない。
人類が一丸となって前に進むことを推薦するなら、自分自身も人々と関りを持つことになる。
その時に躓くことのないよう、向き合えるものには向き合うべきだとシァシァは考えていた。伊織たちの足を引っ張らないためにも。
湿っぽくなるから伊織やヨルシャミたちには進んで言うつもりはないけど、と前置きしてシァシァは言う。
「君には伝えておきたかったんだ。……もしイーシュエが生きていたら、きっと心底怒らせて心底心配させただろうから」
シァシァは大きく息を吸い込むと本題とも言える罪の告白を口にし始める。
名前すら憶えていない被害者もいた。なんの実験をしたかデータを漁らなくては思い出せない者もいた。墓参りへ行く前に可能な限り過去の記録を漁ってきても完璧には思い出せない。
それでもひとつひとつ挙げ連ねていると、シァシァにとってようやく気がつけたことがあった。
こうして罪と向き合おうと思い至ったのは『伊織たちのため』である。
それは償いの場に他人を引っ張り出すようなものではないだろうか。
(――誰かのためではなく、自分が心から謝りたいと思わなきゃ駄目、か)
途方もないほど昔のことだというのに、鮮やかに色付いた思い出を振り返る。
己の悪事を言葉にし、懺悔するように吐露することはシァシァにとって罪の内容を今の自分の考え方でもう一度見つめ直すことに繋がっていた。
ああ、とても酷いことをした。
穏やかな暮らしを奪われたからと、他の人間から同じものを奪った。
不思議とそう思えるようになっていることに気がつき、シァシァは視線を下げる。
当時、家族を脅かし命を奪った人間を許すことはできない。
しかし人間という種族そのものに対する憎しみは、今は泡沫のように消えている。
さあ、ではそんな被害者たちにできることはなにか。
そんな思考に辿り着いたことで、シァシァは「ああ、こういうことか」と呟いた。
「……イーシュエ、これから被害者の故郷や子孫を見つけて謝罪して報いるよ。もう絶えてしまったり忘れ去られたところもあるだろうけれど――人類に報いることが償いになるのだとしたら、初めに足を向けるべきなのはそこだった」
個を恨み種を許す。
そして種に報い償うなら、個から報い償う。
簡単なことだったのに償い方すら回りくどいことをしてしまった、とシァシァは己に対して苦笑する。
そうしてすべてを償い終えたら、またここへ来て報告するよ。
シァシァはそう虚空に向かって伝える。虚無から返事はない。
しかしたしかに――ほんの瞬きの間だけだが、金木犀とフリージアの混じったあの頃のような優しい香りがした。
猫しばさん(@dog_1223_)がマッシヴ様の完結記念に描いてくださったシァシァです(掲載許可有)
掲載のご快諾、そして素敵なイラストと最高のお祝いをありがとうございました!!
シァシァとイーシュエのSD(絵:縁代まと)
※イラストがリンクのみの場合は左上の「表示調整」から挿絵を表示するにチェックを入れると見えるようになります(みてみんメンテ時を除く)





