第1075話 未来は良いものになる
洗脳され、世界の穴を自らの手で開いてしまった罪を告白し、世界の人々に許された時も伊織はすべての人に感謝した。
——自分は許されてばかりだな。
感謝と共にそう思いながら伊織は眼下に集まった者たちの顔を見る。
納得し、受け入れようと前向きになっている者たちばかりではない。
不安げな顔をしている者は老若男女すべてに存在し、それはきっとモニターの向こうにも溢れ返っているのだろうと伊織に思わせるのに十分な数だった。
そして前向きに見える者の胸の中にも不安が燻っているに違いない。
これからどうなるかわからない、そんなことばかりが続いているのだ。
だからこそ致し方なかった。
ならば、受け入れてもらえたからには自分がより強く安心させなくては。
そう感じた伊織は凛とした声音を保ったまま宣言した。
「――未来は良いものになります!」
少年期を過ぎ、青年となり、しかしそのまま時の止まった声が響く。
「その未来のために僕も尽力します!!」
伊織が人間の身で膨大な時間を受け止める覚悟の結果だ。
そんな声で皆に語り掛ける。
そんな声を皆はこれからもずっと聞くことになる。
そして、この声を聞いている間に皆がつらい感情を持つことが無くなることを祈りながら、伊織は大切な仲間に話すように言った。
「だからどうか……安心してください」
これまでそうしてきたように、これからも尽力して守り続ける。
伊織はそんな想いを込めて言葉を発した。
濃い神の遺伝子を持ち、延命処置を施された伊織はこれから先もとても長く生きるのだ。それこそ長命種のヨルシャミたちより長いだろうと予想できるほどに。
遥か未来でシァシァがいなくなっても自力で延命装置のメンテナンスをできるようになれば、その寿命は更に延びるだろう。
そのすべてを使ってでも見守り、見届ける。
伊織はそう約束した。
困惑から未だ不安げな民衆だったが――伊織の言葉が終わった直後にどこからともなくひとりが声を上げる。
「マッシヴ様がそう言うなら大丈夫だ!」
その一言が起爆剤となり、まるで今までずっと燻っていた火ように広場が一斉に沸き立った。
伊織は目を丸くしながらその光景を見つめる。
「イオリ様は我々の未来を守り、見守ってくれる! 我々もそれに応えよう!」
「このままいけば最悪の終わり方なんてしない!」
「マッシヴ様の言う通りだ!」
響き渡る声、声、声。
その振動はどこか懐かしく、ぐっと涙を堪えた伊織の背中を隣まで歩み寄ったヨルシャミが叩いた。
「……思っていたよりもあの日の再現になったな」
「――うん」
今度は自分の言葉で伝えられた。
そう目を細めた伊織は広場が落ち着くのを待ち、そして最後にもう一度深々と頭を下げてから「僕からの報告は以上です」と締め括る。
するとアイズザーラがマントを揺らしながら前へと進み、伊織の隣に立った。
静夏並みの巨躯に纏った威圧感はこの場にいる全員が束になっても敵わないような頼もしさがある。
アイズザーラは伊織をアイコンタクトで労うと大きく息を吸い込んだ。
「イオリからの報告は以上だが、国からの報告がひとつある」
――国からの報告?
そう不思議そうな顔をしたのは広場に集まった人々のみで、伊織やヨルシャミたちは神妙な面持ちでそれを聞いていた。
今からアイズザーラが発表しようとしていることは以前から全員で相談していたものだ。
伊織としては自分を通さずアイズザーラの気持ちひとつで決めていいのではないかとも思ったが、報告の根幹には伊織の目標も大きく関わっていたため、反対はせず積極的に協力した形だった。
アイズザーラは朗々とした声で続ける。
「ベレリヤの基礎となった国、ベイルダリヤが興ってから七千年以上が経った。我々は日々この数字を重ね、暮らしを営み、国を支えてきたが――これから先は今までの歴史になかったほど更に一丸となって進んでゆかねばならん」
よって、これからは新たな未来へ進むための新たな時間が流れ始めるのだ。
そう続けたアイズザーラは逞しい片腕を前へと突き出して言い放つ。
「その本願と希望をこれからも忘れぬため、今この時を以て我が国のベレリヤ暦をリセットし……本日を新しい未来に向かって歩き始めた日と定め、ベレリヤの二度目の元年とする!」
民衆たちはぽかんと口を開いていた。
ベレリヤで使われているベレリヤ暦はベイルダリヤ暦から呼び名を改められたことはあるが、数字はそのまま引き継いだ。
ここに生きている者たちのほとんどは数字のリセットなど経験したことがない。
反感はあるだろう。
しかし日常の一部が変わったからこそ、それほどまでに歴史が大きく動いた瞬間だと脳に擦り込むような衝撃があった。
長命種に支えられながらとはいえ、恐ろしく長い間続いてきた年月を表す数字。
それを完全にリセットして新たな時を刻むことの重大さと重要さは他国にもひしひしと伝わっているに違いない。
その直後、伊織とヨルシャミが仕込んであった魔法を発動させ、ラキノヴァの空に金色に輝く大きな花火が打ち上がった。
花火を合図に民衆たちから拍手が起こり、アイズザーラは伊織に笑みを向ける。
まだこれで終わりではない。
しかし、きっと良い未来になる。
そんな確信を得ながら伊織はヨルシャミの手を握り、家族を振り返った。
その頭上では丸く広がった穴のような花火が四方へ散り、きらきらと煌めきながら消えていくところだった。





