第1067話 アタシが怖気づくと思った?
「――シュカさん、……ペルシュシュカさん!!」
呼ばれている名前が自分のものであり、呼んでいる声が伊織のものだとペルシュシュカが理解したのは瞼を開けてから一分ほど経ってからだった。
それを確認した伊織が両手の拘束を解く。
どれだけ時間が経過したかわからないが、凄まじい疲労感にぐったりとしながらペルシュシュカは天井を見上げて鼻から長い息を吐くと、自身の口にはまっている猿ぐつわを指先でコンコンと叩いた。
その指先の爪も割れている。
「すぐ取りますね。……すみません、傷は癒したんですが爪の割れは出血を伴わないと傷判定されないみたいで」
「回復魔法あるあるね。同じことになる歯が欠けなかっただけいいわ」
猿ぐつわは早い段階で装着されたらしい。
ペルシュシュカが専門の技師に作らせた特注品だ。
特殊な趣味向けのものより歯や顎にかかる負荷が分散されるように作られている。
伊織に未来の確認役を頼まれた頃に注文したのだが、その判断は間違っていなかったと思いながらペルシュシュカは机にもたれ掛かる。
顔に触れると意識のない間に大泣きでもしたかのように崩れた化粧が指に付いた。
いや、多分大泣きしたんだろうなとぐったりしているペルシュシュカに伊織が水の入ったコップを差し出す。
「どうぞ。もし香りの良いお茶のほうが良かったら言ってください」
「メイド服のまましゃがんでコップを差し出す、ね。二千点あげてもいいわ」
にやりと笑ったペルシュシュカに伊織は苦笑いしたものの、意外と元気ですねとは言わなかった。
こんなセリフを吐いても元気そうには見えないということだ。
ペルシュシュカとしては予知中に見てきたもので精神的に疲弊しているため、現実は明るい雰囲気でいてほしかったのだが仕方ない。
――そう思っているとまだ両足が拘束されたままであることに気がついた。
手の拘束を解かれた時にはわからなかったが、裾に隠れて見えないものの猿ぐつわと一緒に収められていた枷ではないようだ。
「あっ、じつは箱の手錠は引きちぎられちゃって……」
「アタシつよーい! でもこれ、丈夫だけど変な手触りの手錠ね?」
「ウサウミウシを参考にしました」
「早く外して!?」
つまり『細長いウサウミウシ的な何か』が巻きついているということである。
意図せず明るい雰囲気になったがペルシュシュカとしては御免こうむる。
じたばたしていると伊織が笑いながら足の拘束も解いた。
「猿轡も壊してたらウサウミウシ噛まされてたってことか、怖すぎんだろ……」
「す、素になるくらい嫌だったんですね、すみません」
「いや、……んんッ、でもおかげで被害は最小限よ。部屋は大変なことになったけど予想の範疇内だし」
ペルシュシュカの部屋はそこかしこに物が散乱し、カーテンは半分千切れ、机には血の汚れが付いたままだった。
魔石飾りも一部が壊れてしまっているが、伊織の話では終盤で壊れたらしく、ノックバックは上手く散らせたようだ。
ペルシュシュカは水を一気に飲んでから全身の力を抜く。
「とりあえず今の未来はまだちょっと悪いほうに傾いてるみたいね」
「ちょっと、ですか?」
「見え方が不鮮明だったの。どれくらい先のことかは感覚になるけど――シェミリザの言っていた時期よりはもうちょっと先かしら」
完全回避はできていないが時期が延びるほどの変化は出た、ということだ。
それを知った伊織は未解決ながら前進していると感じ取ったのか目を輝かせる。
しかしペルシュシュカの憔悴っぷりを思い出したのか、緩い呼吸を繰り返して己を律した。
そして深々と頭を下げる。
「確認してくれてありがとうございます、ペルシュシュカさん」
「こら、まだ書いたものと照らし合わせる必要があるわ。お礼はその後にしてちょうだいな」
ペルシュシュカは未来で一番初めに腐り落ちる地域がどこになるのか見た。
それは世界の脆い場所を割り出せる可能性があるということだ。
他にも未来をより良くするヒントはあるはず。――そうペルシュシュカが前向きに思えるのも、伊織が解決の糸口を用意した状況下だからこそだった。
なにも前へ進められず、恐らく今見ることができる未来より更に鮮明な光景を見続けたシェミリザのことをペルシュシュカは思う。
予知の力について訊ねに来た時の弱りきった表情は紛い物ではない。
そしてミッケルバードで見たすべてを諦めた表情も本物なのだろう。
シェミリザのその後についてペルシュシュカは伊織から聞き及んでいた。
もちろん限られた人しか知らない事柄である。
これからは少しはゆっくりすればいい。
そう心の中で呟き、ペルシュシュカは大きく伸びをする。
「ッあー……しっかし気分悪い未来だった。伊織、次も絶対来なさいよ。必ずあれを覆す瞬間を見てやるわ」
「……! つ、次も見てくれますか?」
「なによ、実際にヤな未来を見たらアタシが怖気づくと思った?」
二回目に挑むことを嫌がると考えていたのか、伊織は再びぺこぺこと頭を下げた。
ペルシュシュカは肩を揺らして笑う。
「シァシァと仲良しこよししてる未来を見たら裸足で逃げ出すけど、今回は逆。むしろ燃えたわ、だから最後まで付き合ってあげるわよ」
「ペルシュシュカさん……」
「次までに拘束具も改良しておかなきゃいけないわね、またウサウミウシもどきで縛られたら嫌すぎるわ。あとは――」
ちらりと伊織を見る。
そしてペルシュシュカは割れた爪も気にせずグッと親指を立てた。
「――アナタ用の新衣装ね!」
「あはは……忘れてませんでしたか」
忘れるわけないじゃない。
ペルシュシュカがそう言うと伊織は眉を下げたまま、しかし嫌がる様子は見せずに同じように笑い返した。





