第1063話 今はとても大切な。
元々ニルヴァーレは家族という存在そのものを美しいとは思っていない。
そして自分の血を継いだ子供が生まれることも必ず祝える素晴らしいことだとは思っていなかった。
その価値観は自分の育った環境に根差したもので、生来の感性である『美しいものが好き』に当てはめて「美しい人間で構成された家族なら素晴らしいかもしれないね」「生まれた子供が美しければ喜ぶかもね」と考えることはあったが――それは恐らく世間の感覚からは逸脱したものである。
だからこそ、世間の基準など気にもしていないナレッジメカニクスにいるのは少しだけ居心地が良かった。
もちろん自分の子供ならきっと美しいという自負はある。
しかし自分には父の、カルガッサスの血が混じっている。
ニルヴァーレはナレッジメカニクスに在籍している間、オルバートたちのように膨大な知識と技術力を駆使して研究や実験に勤しむ機会は少なく、どちらかといえばごく一般的な魔導師のように魔法を究めていた。
それでも遺伝のメカニズムについてはこの世界の平均的な水準よりも理解しており、だからこそ生まれた自分の子が醜いと嫌っていた父に似たらどうしようと、そんな意味もない想像をしたことがある。
今考えればあれは醜い子が生まれることへの恐怖と嫌悪感ではなく、確執を抱いたまま別れた父と似た子を愛せるかという不安に起因したものだったのだろう、とニルヴァーレは考えていた。
兎にも角にも自分がパートナーに選ぶような相手は早々見つかりはしないだろう。
だからこそ悩むのは時間の無駄だ。
そう思考を切り捨てて数百年、紆余曲折あり間近で触れた伊織と静夏たちの家族愛は素晴らしいものだった。
美しい者たちで形成された関係だからこそだろうと初めは思っていたが、ニルヴァーレは徐々に理解したのだ。
この家族の美しい部分は、在り方である。
その在り方は今まで自身の中にはなかったもので、常識を破壊するものだった。
だというのに感性を無理に捻じ曲げなくても理解することができる。
そんなふたりはヨルシャミとバルド、オルバート、ミュゲイラを加えて新たな家族の輪を作り、そこにニルヴァーレも加えた。
亡き父と奇妙な形で和解を経て、そして家族を得たニルヴァーレはこう考えるようになったのだ。
――僕も我が子を抱いてみたい。
その子がもし亡父に似ていても、今なら愛せるという確信がある。
だからこそ湧いた望みだった。
魔石になったニルヴァーレの精神は以前のままであり、生物的本能もそのまま残っている。
もちろん「この体じゃ望んでも無駄だからね」と割り切っているが、思わず冗談として零したのがヨルシャミが子供を産むと決めた後の言葉だ。
僕も我が子を抱くという美しい瞬間を体験してみたいよ、というのは本心だった。
そして決して叶わない望みだ。
伊織の出力魔法と夢路魔法を駆使した技術もセラアニスという魂があってこそ。
いくら伊織でもゼロからまっさらな魂を作り出すことはできない。
それこそフジの領分だ。
だが、血が繋がっていなくても大切なふたりの子供を大事に大事に育てることはできる。
そう後ろ髪を引かれつつも前を向いていたニルヴァーレの目に飛び込んできたのが、あの見慣れた色だ。
ニルヴァーレは赤ん坊をあやしながら呟く。
「僕の目の緑はお父さんから受け継いだものだ。翳ると隠れるが、複雑な気持ちになることもあった。美しい色合いだから良かったけどね。けど今は――今は、大切なものだと思っている」
ニルヴァーレを現実へ送り返したカルガッサスの姿を、声を思い返しながらニルヴァーレは赤ん坊の額にかかる前髪を払った。
その先では自分と同じ色をしている目がニルヴァーレを見上げている。
血が繋がっていなくても愛せるが、しかし一度は望んで諦めたものが突然目の前に現れたのだ。素っ頓狂な声も出るというものである。
元々押し付けるつもりだった大量の愛情と、唐突に湧いた思わぬ喜びの感情を赤ん坊に伝えるように、ニルヴァーレは柔らかく微笑んで頬をつついた。
***
「……しかし世界の神の気の利かせ方はやはり人類とは異なるのだな」
少し遅くなった昼食を口に運びながらヨルシャミが言う。
テーブルに並んでいるのは静夏とミュゲイラたちが選んだ栄養豊富且つ高たんぱくな食材を使った料理だ。カルシウムの補給にも気を配ってある。
子育てにミルクは使っているものの母乳もあげているため、栄養補給が要だとヨルシャミは積極的に食べていた。
妊娠期間も短かったとはいえカルシウムをはじめとする様々なものは通常の妊娠と同じく奪われたのだ、補給は必要である。
もちろん運動も忘れない。
が、静夏たちに合わせて腹筋四桁に挑もうとするのはやめてくれというのが伊織の心境だった。そんな伊織はヨルシャミの何気ない呟きに「うん」と頷く。
「それは最初からわかってたから驚かないけど、こうくるとは思わなかったなぁ」
「うむ……」
フジは現代人の倫理観を完璧には理解していないからこそ、自分の子であり孫でもある血が濃い伊織をそのまま生み出したのだ。
ファーストコンタクトから倫理観が狂いに狂っていたとも言える。
そんな見た目は人間でも人外の思考をする神様の『恩返し』なのだ。
むしろ「関わった人全員分の要素を混ぜておいたよ!」とならなくてよかった、と伊織は肩を竦める。
ニルヴァーレの要素に関しては、彼がフジから見ても伊織の家族の一員だったからだろう。
「でもさ、どんな子でも健康に育ってくれればそれでいいよ」
「それは私も同意だな。特殊な生まれに特殊な家庭だが、幸いにもここは良き者ばかりだ。次なる新天地も多少のことは受け入れてくれる大らかな場所を探せばいい。きっとのびのびと育つであろうよ」
赤ん坊の魂の一部はシェミリザのものだが、記憶も人格も他のまっさらな部分が築いていくことになる。
しかしこの子が天寿を全うした時、シェミリザはほんの一部だけでも『愛した世界』に還れるのだ。
――もう世界へ還れない被害者を生んでおいて。
そう思われても仕方のない恵まれた対応だったが、罰はもう受けたのではないかと伊織は思う。
あの欠片を除いてシェミリザはすべて消えてしまった。
苦しみ歪んで悪事に手を染めながらも、一途に世界を想いながら。
そして彼女の一番の被害者、ローズライカも加害者だ。
伊織はローズライカが行なってきたことや思想を直接は知らないが、それでもシェミリザの動機よりは理解できないことだとわかっている。
ここでも感情で優劣をつけるなんて、自分はどこまでも人間だな、と思いながら伊織は窓際で我が子を抱くニルヴァーレを見た。
――どんな経緯にせよ、今ここにいるのはただの子供だ。
この光景がそう教えてくれる。
そんなことを考えているとバルドがなにやらクルクルと巻いた紙を持って現れた。
後ろには静夏とミュゲイラが続き、伊織たちの顔を見て微笑む。
そんな三人を代表するようにバルドが親指を立てて言った。
「あの子の名前が決まったぞ!」





