第104話 セトラスとヘルベール 【★】
モニターに向かっていた青年は一旦瞼を閉じることで視線を引き剥がすと、手元を見ずに書き付けていたメモを摘まんで軽く振る。
彼は長く明るい青色の髪をしており、左目を覆う眼帯が特徴的だった。
片側だけ見える涼し気な左目には髪より淡い色合いの、どちらかといえば水色をした瞳がある。
元々色素の薄いらしい肌にモニターの光が反射して青白くさえ見えた。
顔の作りだけなら美形、しかしだらしなく着た白衣のせいで不健康な研究者という印象が強い。
「セトラス」
真後ろから呼ばれたのは青年の名前だ。
緩慢な動きで振り返った青年――セトラスは、視線の先にあった仏頂面と強面を掛け合わせたような威圧感ある顔つきを見て眉根を寄せた。
「ヘルベール、私の真後ろに立つなと何度も言ったはずですけど」
「なら出入口を後ろに作るな。それに呼び出したのはお前だろう」
薄いグレーの髪に青い目、威圧感ある筋肉質な熊のような大男、ヘルベールはそう言いながらもセトラスの右手側に移動する。
ヘルベールは見た目の印象だけなら戦場の前線で武器を振り回していそうだが、セトラスと同じように白衣を身に着けていた。
ただし軍服のような改造がされており、白さと襟元の形状でようやく白衣の雰囲気を感じ取れるくらいだ。
ただし胸元のポケットに挿されたペンや、目元の――顔面の圧が強いため人によっては一瞬『ある』と判断がつかないかもしれないリムレスメガネのおかげで、ヘルベールがセトラスと同じ性質を持つ人間であるとわかる。
ここはとある場所に隠されたナレッジメカニクスの本部。
実際には首魁こそが組織のシンボルであるため、多数存在する大規模な施設のどれかに首魁が腰を据えた瞬間からそこが本部となるのだが、ここしばらくは熱中している研究もあり今のこの施設に留まり続けていた。
転移魔石があるとはいえ、いちいち拠点を移すのが心底面倒だったセトラスとしてはありがたいことだ。
そんなセトラスに呼びつけられたらしいヘルベールが問い掛ける。
「それで、用件は?」
「カッカスの森に小型の施設があったでしょう、小さいけど例の魔法陣がある場所」
ああ、と思い当たったらしいヘルベールは頷いた。
「そこの警備システムから通達がありました」
「侵入者か」
「ええ」
あの施設は研究目的というよりも、人を配し維持させることで地下にあるものを守らせる意味合いが強い。
配置された末端の人間にも詳細は知らせず、なにも知らないまま常に生活させることで情報漏れを防ぎながら守らせる形式を取っていた。
それでも侵入者が深部まで入り込んだ場合、セトラスが作った警備システムが起動するよう設定してある。
随分前に作ったもので色々と甘いところがあるが、ただの侵入者なら簡単に対処できるはず。
「……しかし警備はすべて破壊されてしまった。まぁそれはいいんですが、これを見てください」
セトラスはモニターに映像を映し出す。
それは警備システムである球体が撮影したものだった。
電波の関係上、リアルタイムではなく録画だ。
通達等は若干時差があるものの可能だが、映像記録となると映したものをそのまま送ることができない。
この動画は異世界の技術からヒントを得て、セトラスが他者の魔法を駆使して圧縮したデータを特殊な電波魔法に乗せて送らせたものだ。
電波を中継するものがあればもう少し楽になるのだが、魔法も万能ではなく個人の適正も関わってくるため致し方ない。
「画質が荒いな」
「圧縮の際にイレギュラーが起こったようです。……というか、すべて破壊されたため今際の際に慌てて録画を止めて寄越したからなんですが」
「すべて破壊された? 二十はいただろう、それを全部?」
ヘルベールはモニターをもう一度よく見た。
初めに映っていたのは華奢なベルクエルフの少女。
荒い画質でも緑の髪が鮮やかだ。
それに並び立つ筋肉質なエルフは見事な鍛えっぷりで、初見ではフォレストエルフだと気づかなかった。
しかし恵まれた体だけでどうにかなる相手ではないはず。
筋肉だけで超高温のビームをどうにかできるならお目にかかりたいくらいだ。
ヘルベールがそう思っていると次の映像に切り替わる。どうやら別個体の警備ロボが撮影したもののようだった。
少年を含む人間の男性三人と、フォレストエルフひとりの姿が見える。
こちらは最深部まで入り込んでおらず、初手から戦闘にもつれ込んだため警備システムは捕縛ではなく駆除の選択を選んだようだった。
「なんだこれは……?」
その最中でのことだ。
少年がおもむろになにかを召喚する。
それはまるで意識を持っているかのように自身の体を変化させることができる、機械仕掛けの乗り物だった。
かつてナレッジメカニクスは移動に機械の馬を使用したことがあったが、こんなフォルムの乗り物をヘルベールは初めて見た。
少年はそれを自在に走らせて仲間たちと共に逃亡し、隙を見計らってエルフの少女が警備システムを射て暴発させる。
「召喚したのか……? まるで生きた機械だ。生物に機械を掛け合わせることはできても、これはまるで」
「そう、機械に生物を合わせた、というほうが近い。ですが恐らく魂が宿った機械といったところでしょう。なぜ召喚という形で呼び出せるのかは謎ですが」
魔導師は多種多様な召喚獣を呼び出せるが、機械の要素を持つ召喚獣は未だに観測されていない。
これが一例目の可能性もあるが、セトラスたちにはまだ断言はできなかった。
モニターの中ではエルフの二人組にも多数の警備システムが破壊されている。
それに使われた魔法の強力さと属性、そして少女の外見を見てヘルベールは一旦口を引き結ぶ。
「これは……北の施設から逃亡したというヨルシャミか。あれだけ消耗した状態で生き延びていたとは」
ヘルベールは目覚めた状態のヨルシャミを知らない。
しかしナレッジメカニクスに保管された情報の他、生命維持のために使用していたポッド越しに確認に行ったことがある。自分の実験に活かせないかと考えたのだ。
残念なことに実験には有用ではなかったが、その時に目にした姿そのままだった。
セトラスもゆっくりと頷いて肯定する。
「そうらしいですね。目覚めた後に生きていたと知ればあの人も喜ぶでしょうが、今はどうでしょう……新しいことに夢中みたいですし……」
あの人――ナレッジメカニクスの首魁は様々なものに興味を持つ。
現在手をつけていることも数百年前に準備をしたものだが、その間に様々なことを思いついては試していたため着手が今頃になってしまったくらいだ。
ただし、思いついたそのどれもが最終的な目的を同じとする『手段』であることは変わらない。
「穴を広げて異なる世界の知識を得る、そのための手段のひとつとしてヨルシャミを再度捕らえるのもいいでしょう。しかし人手が足らない。ついでに情報も足らない」
「ヨルシャミ以外の正体も不明か……」
「いや、一部はわかります」
セトラスはキーボードを操作してモニターに別の動画を映し出した。
筋骨隆々という言葉が似合う巨躯の女性。
筋肉ならヘルベールも負けないが、その女性の筋肉はしなやかさと柔らかさも兼ね備えているようだった。
そんな彼女の手の平が一体の警備システムを捕らえたかと思えば、そのままいとも簡単に握り潰してしまう。
ぎゅっと圧縮され、ただの鉄の塊と化した警備システムを凝視してヘルベールは口を開いた。
「この女は――」
「しばらく前……ええと、もう十年以上は前でしたっけ? とりあえず前にベタ村周辺で報告があったでしょう。筋肉の神の聖女が現れた、と。あの頃たまたま近場にいましてね、軽く調査だけしたんですが、恐らく彼女に間違いありません」
「聖女マッシヴ様か。まさかここまで筋肉に愛されているとは」
巨躯も然ることながら、筋肉の力を限界以上に引き出すことができている。
測定せずとも一目で感じ取れるほどだ。
例えば同じ筋肉量でヘルベールが壁を殴ったところでびくともしないか軽く削れる程度だろうが、筋肉に愛された彼女なら軽々と砕いてみせるだろう。
魔導師とはまた別のベクトルで恐ろしい存在だった。
セトラスは映像の聖女マッシヴ様を片目で追いながら言う。
「彼女には処女懐胎で授かったという息子がいたはずですから、恐らくそれが先ほどの映像に映っていた黒髪の少年でしょう」
聖女マッシヴ様と、その息子。
もしそのふたりとヨルシャミが手を組み、そして更に仲間を増やした上でナレッジメカニクスに復讐をしようとしているとしたら――ナレッジメカニクスに籍を置き、日々欲望のままに研究を続けているセトラスやヘルベールたちにも余波が及ぶかもしれない。
「……これは調査の必要があるな。そのために俺を呼んだのか」
「ええ、今はたしか受け持っている仕事がありませんでしたよね。私は忙しいし上に報告もしなきゃならないんでお願いします」
「家族のために余暇を作っただけだ」
ヘルベールは眉間にしわを寄せる。
その様子を見てセトラスは肩を揺らして笑った。
「家族なんてお荷物を作るから時間の使い方が下手くそになるんですよ」
「お前の物差しで評価するんじゃない。それに俺がここで働く条件として家族を優先することは契約に含まれている」
ヘルベールは妻子ある身だ。それも偽装のために持った家庭ではなく、彼なりに妻子を心から愛しているようだった。
例がないわけではないが、ナレッジメカニクスの幹部の中では珍しい。
セトラスは理解できないといった様子で話を変えた。
「調査の際はパトレアを連れていってください。聖女と謎の召喚魔法、加えてヨルシャミと未知なる同行者が四名では分が悪い」
ヘルベールの身を案じているわけではない。
これ以上実力者に空席になられては自分に回ってくる仕事が増えるからである。
先日、幹部のひとりであるニルヴァーレからの連絡が途絶えた。
セトラスにはよくわからない趣味趣向の人間だったが、実力は幹部相応のものだったはずだ。
延命装置の信号までもが途絶えたため、恐らくなんらかの理由で死んだか魔石補給が間に合わなかったのだろうとセトラスは考えている。
魔石が上から支給されるわけではないため、折角延命処置をしてもこうして死んでいく者は珍しくない。
そんな見飽きた現象に首魁は興味がないらしく、戦力が削げたことだけは少し残念そうにしていたが――今は恐らく気にも留めていないだろう。記憶に残っているかも怪しい。
わかった、と短く答えてヘルベールは部屋を出ていった。
セトラスは映像から読み取れた情報をびっしりと書き付けたメモを見る。
ヨルシャミ、そして聖女と少年の名前だけはわかっていた。
「……シズカとイオリですか」
ベレリヤにしては珍しい響きの名前だ。
それを発した余韻を口の中で味わいながら、セトラスは片方だけの目を細めてメモを机の上に放った。
ヘルベール(絵:縁代まと)
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