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【本編完結】マッシヴ様のいうとおり  作者: 縁代まと
第十三章

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第1055話 足元駆ける『ネズミ』の足音

 月日とはなにをしていても、そしてなにもしていなくても過ぎていくものだ。


 梅雨に入ったベタ村は日本ほどではないが雨の日が増えていた。

 そこに至るまでの期間で最も変化があったのは、やはりヨルシャミだろう。

 予想していた半年は少しばかり過ぎたものの、見た目と胎児の成長具合は臨月と呼んでいい状態に入っている。


 ヨルシャミは腰痛に悩まされつつも健康に過ごしており、今朝も「存分に強化魔法を使えればこれしきの重さで腰をやらかすこともなかったというのに……!」と元気に愚痴を零していた。


 ヨルシャミの魔力操作技術はピカイチだが、胎内に別の命が存在するとそれが難しいのだという。

 特に赤子の成長が進んでからは尚のことだった。


 いわば餌で釣って命令を与えた犬の道中に別の餌が置かれているようなものだ。

 命令をよく効く魔力も多いが、そうでないものも確実に存在する。

 そうなると体内の魔力が混乱し、もし暴走すれば内側から先に傷つくため、血流を共有している赤子も危ない。


 そのため、大事を取ってここ数ヶ月はヨルシャミに魔法禁止令が出ていた。


 第三者からの強化魔法なら操作は問題ないが、伊織もニルヴァーレも「いや、もしなにかあったら怖いから」「そうだよ、怖いからね」とヨルシャミに数ヶ月の我慢をしてもらうことに決めたのだ。

 なにが起こるかわからない特殊な状況のため致し方のないことである。


 そんなこんなでヨルシャミが愚痴を言いつつもソファに寝転がってハムサンドを齧っていた時だった。

 唐突に「ふぐっ」と眉根を寄せたかと思うと食べかけのハムサンドをそうっと皿に戻したのである。取り込んだ洗濯物を畳んでいた伊織は首を傾げた。


「もしかして食道に詰まったのか? 飲めそうなら水を――」

「いや、あれだ、腹が痛んだ。切った裂いたのほうが痛いし、月経のように我慢もできる程度だが……念のためシズカらを呼んでくれるか」

「えッ! あっ、わかっ、ステラリカさん呼んでくる!」

「落ち着け阿呆め!」


 ステラリカはレプターラにいるが、ニルヴァーレの転移魔石を使えば迅速な移動が可能だ。

 問題は陣痛が本格的なものに移行するまで時間がかかる可能性があることだった。

 ステラリカにはステラリカの仕事があるため、そう長時間遠方の地で拘束したくない、とヨルシャミは言う。


 もちろんいざという時はステラリカが補助を担当するのは以前から決まっていたことだ。

 彼女は検診のたびに細かな情報を書き込むほど意気込んでいたため、今呼び出しても迷惑に思うことはないだろうが――ヨルシャミの意図を感じ取った伊織は少し落ち着いたのか、何度か頷いてから家の外へと走り出た。


 その足が盛大にもつれていたのを見てヨルシャミは笑う。


「まったく、私が狼狽える隙がないではないか」


     ***


 家の外へと走り出た伊織はまだ混乱の残った頭で既視感を感じていた。


 前にもベタ村の家から大慌てで駆け出したことがある。

 転生し、初めてあの家で目覚めてムキムキマッシヴになっていた母親を目にした時のことだ。

 あの時とはシチュエーションは異なるが、まさか十年近く経ってから同じような状況になるとは思っていなかった。


(い、いや、それよりも早く母さんたちを探さないと。たしか村の人たちの薪用に木を伐りに行っていたはず――ッうわ!)


 右足が左足のふくらはぎを蹴飛ばし、その拍子に踏ん張ろうと地面に置いた足がずるりと滑る。前日の雨でぬかるんでいたのだ。

 世界を救った救世主でも冷静さを欠いているタイミングで不意をつかれれば転びもする。


 やばい、と思った瞬間。

 丸太を肩に担いだ静夏が滑り込んできたかと思えば、片腕で伊織を支えた。

 あの時と同じ逞しい母の右腕だ。

 抉れるほど大きな傷跡があっても息子を支える力強さは一切変わらない。


「どうしたんだ、そんなに急いで」

「か、母さん」


 あの時は呆然とするしかなかった。

 しかし伊織は我に返るなり自分から静夏の手を掴むと、舌をもつれさせながらヨルシャミの異変を伝える。

 静夏は僅かに目を見開いた後、伊織を立たせると優しく微笑んだ。


「わかった、伊織はミュゲイラとニルヴァーレにも知らせてきてくれ。恐らくまだ木を伐っているはず――」


 そう言いかけた瞬間、ふたりの足元をなにかが駆け抜ける。

 角の生えたウリ坊だ。


「……え? あれって」

「魔獣だが、……」


 村の外、遠方から巨躯の猪が多数のウリ坊を引き連れて走ってくるのが見える。

 土煙が上がっているところを見るに相当の速さだ。


 魔獣の残党、それも眷属を持っているタイプがこのタイミングで現れるなんて、と伊織が閉口していると村人のひとりが駆け寄ってきた。


「せ、聖女マッシヴ様! 魔獣が!」

「ああ、わかっている。すぐに対応しよう」

「裏の森からも!」


 静夏と伊織は顔を見合わせる。

 なんでも大きな狼が群れを成して村に向かっているのだという。

 不意に伊織は昔、ライドラビンから進んだ先にある岩場で遭遇した魔獣を思い出した。頭が猪、体が狼のアンバランスな魔獣だ。

 その魔獣の恨みが込められた呪いでもあったのだろうか、と思わずにはいられない状況である。


 しかし、これはますます狼狽えている場合ではない。


「……数が多いから僕に任せて、母さんはヨルシャミのところへ行ってくれ」

「ああ、わかった。伊織も気をつけ――」

「魔獣も被害者だ。だから助けるけど、助けるけど……こんな日を狙ったことは後悔させてやる……」


 今だけ自分本位で怒るぞ僕は、と。

 三つ編みを揺らしながら村の外へと向かう伊織は悪鬼羅刹の如き顔をし、鋭い眼光だけで魔獣を殺せそうな勢いだった。


「怒った父にそっくりだな……」


 時たま目元に鬼が宿るかのような様子はアイズザーラにそっくりである。

 そう呟きながら静夏はその背を見送り、自身も家へと駆け出した。


 森に向かったニルヴァーレとミュゲイラも魔獣の派手な接近に気がついたのか、そこかしこから派手な音が響き始める。

 村人たちもバタバタと走りながら保護を担当するベルのもとへと向かっていた。

 魔獣の出現に慌ててはいるが、全員やるべきことをわかっている様子だ。


 しかし――その足元を小さなネズミのようなものが駆けていったが、気がつく者は誰ひとりとしていなかった。

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