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【本編完結】マッシヴ様のいうとおり  作者: 縁代まと
第十三章

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第1051話 ニルヴァーレの家族

 暗い濁流に巻き込まれたのは伊織だけではなかった。

 それよりも前にシェミリザの魂の欠片が迷い込んでいたのだという。


 しかしシェミリザは肉体だけでなく魂までもが魔獣と融合していた。

 凝縮されるかのようにヒトであった頃の面影を色濃く残した魂の欠片でさえ、純粋な『この世界の生き物』ではなくなっていたらしい。


 そのため濁流に揉まれ続けるだけで生まれ変わることはなく、これから長い年月をかけて擦り切れて消滅するのを待つだけだったが――あの時は、世界の穴を閉じた直後という特殊な状況だった。


「……普通は死ぬと僕が流された濁流にみんな合流するらしいんだ。けど姉さんはほとんど魔獣だったから」

「まさか世界から弾き出されたのか?」

「うん、ただの魔獣なら消滅するらしいんだけど、あの時は世界の穴を閉じてすぐだったし、それになにより姉さんは強かったから……僕とは異なるルートを通って狭間に排出されたんだって」

「なんと不可思議な……」


 排出もいわば体内に入った小石を皮膚から出すようなもので、フジはその際に小さな傷を負っていたらしい。

 しかし、それもこれからの回復に支障が出るほどのものではなく——だからこそフジにも余裕があった。


 だからこそ雲の上で伊織と話している間、フジは同時に狭間のことも見ていたのだという。

 その時、ついに見つけたのがシェミリザの魂の欠片だ。


 フジは異物があればノイズで感じ取れる様子だったので、そのおかげで気づけたのかもしれない。

 ただしシェミリザの弱った魂のノイズは伊織とは比べ物にならないくらい小さく、狭間に排出されるまで『なにかあるのはわかるけど正確な場所はわからない』という状態だったようだ。


 皮肉にもシェミリザの魂の欠片は魔獣と酷似しているからこそ狭間でもすぐには死ななかった。しかし時間の問題だ。

 フジはその欠片からより元の魂に近いものを集め、清め、大切に保護していた。

 しかし、いくら清めてもこのまま転生の輪に戻せば生まれ変わる前に消えてしまうほど、シェミリザの魂は小さく弱々しくなっていたという。


 だが、完全な他の魂に融合させれば転生が叶う。

 それを伊織とヨルシャミの子供で行なおうというわけだ。

 まったく見ず知らずの家族のもとへ転生させることも可能だったが、これはフジなりの気遣いだった。


 今後どんな影響も出ないという保証はどこにもない。

 あまりにも前代未聞すぎてフジでさえ保証できない。

 ならば事情をよく知る者が傍にいたほうがいいだろう、ということだ。


 こうやってフジに大切にされている間の記憶はシェミリザにはない。

 そしてこれから生まれるであろう我が子にもない。

 シェミリザの魂の欠片を持っているだけで完全な別人なのだから。


 けれど、それでも姉さんは満足しそうだな、と伊織は思う。


「――まあ、あやつのために産んでやろうという気はないが……それでもイオリは未だにシェミリザを家族として認識しているのであろう?」

「うん、……ごめん」

「謝る奴があるか。なんにせよお前の気掛かりがひとつ減るならばそれで良い。決定後ではあるが私も許可する。それに、あー……万一シェミリザの魂が消滅せず、再び望みを果たそうと復活されても困る故な」


 私にも得るものが大きい提案だ、と半分くらいは心にもないことを言いながらヨルシャミは頷いた。

 そうでもしないと早急に受け入れることが難しかったのだろう。


 そこでヨルシャミは「しかし」と人差し指を立てた。


「私はシェミリザと思って育てることは絶対にない。私の子は、私の子だ」

「うん、僕もちゃんと別人として育てるよ」

「ならばよい。――私もいつか子は欲しかった故な、そこへ神からの配慮というメリットがあると思えば良いか」


 どんな配慮かは知らんがと呟きつつヨルシャミは食べ終わった皿を片付け始める。

 フジはシェミリザの魂を救う他に伊織たちにもなにやら配慮をしてくれる様子だったが、親しみやすくても神は神。いったいなにをしたんだろう、と伊織も気になっていた。


 そこへニルヴァーレが笑いかける。


「いいなぁ、ふたりとも。僕も我が子を抱くという美しい瞬間を体験してみたいよ」

「言っておくがお前の子は産まんぞ」

「ははは、わかっているとも! でもイオリは産んでくれそうだ」

「まず物理的に産めませんからね!?」


 思わぬ矛先に伊織はホットドッグの最後の一口を喉に詰めかける。

 それだけ僕も君たちのことを家族だと思っているんだよ、とニルヴァーレは微笑み、そして伊織とヨルシャミの腕を引いた。


「まあ冗談さ、肉体を捨てた時点で叶うはずもない。それよりこれから生まれるその子の祖父をそろそろ迎えにゆこうじゃないか」

「はい。――あの、ニルヴァーレさん」


 家の外へと腕を引かれながら伊織はニルヴァーレを見上げる。

 身長は伸びたが、未だにニルヴァーレのほうが少し高い。


 揺れていた金の髪がぴたりと止まり、ニルヴァーレは「なんだい?」と振り返る。

 そしてまだ食べ足りなかったのかなと言葉を続ける前に伊織は言った。


「僕もニルヴァーレさんのこと、家族だと思ってますからね」

「……」

「これは僕だけでなくヨルシャミもそうだと思います。絶対自分からは言わないだろうけど」

「あ、当たり前だ、まあ時と場合によるが!」


 声音的に否定しているようで肯定しているヨルシャミに笑いつつ伊織は続ける。


「それは子供が生まれても変わりません。これからも宜しくお願いします」

「……お前も私と共に育児について学べ。ならば子守り役としての期待くらいはしてやろう」


 伊織とヨルシャミ、ふたりの言葉を聞いたニルヴァーレは二度ほどゆっくりと瞬きをした。

 その間に己の父と母のことを懐古し、己が人ならざる身である事実を振り返ったのか、僅かに遠くを見るような目をしたが――初めから最後まで視界にはしっかりとふたりの姿が収まっている。


 そして外へと続くドアを押し開けながら、肩を揺らして笑った。


「あはは! ふたりともじつに眩しいな! これは家族総出の子育てが楽しみだ」


     ***


 バルドの召喚は屋内でも可能だったが、狭間からの召喚であることを考え、万一の事態に備えて屋外で行なうことになった。

 伊織はバルドの姿、そして彼と交わした約束を思い返しながら召喚の準備をする。

 そんな伊織を見つめてヨルシャミが目を細めた。


「狭間とやらで相当鍛えられたらしい。魔力の統率が取れすぎていてもはや軍隊だ」

「魔力を召喚してすぐに従わせないとマズい環境だったからなぁ……」


 もちろんテイムもしたが、すべてがすべてテイムできるわけではない。

 それは伊織のテイムの力が魔力を下回るというよりも、とにかく魔力の数が多いからという理由が大きかった。


 取り零した魔力は召喚後もそのまま伊織の魂のそばに留まる。

 ただしそれは餌目当てであるため、言うことを聞かせるには通常の魔法を使う時や出力魔法で直接指示を与える時のように魔力操作が必要になってくるのだ。


 伊織は少しでも魔力を無駄にしないために長い間それを続け、魔力操作と消費の効率化を図ってきた。

 その結果がヨルシャミに見える形で実っていたんだな、と伊織は笑みを浮かべる。


「これならば質の良い召喚魔法を使えるだろう。……お前とバルドなら魂の繋がりは文句なしの純度のはず。誤って他のものを召喚することもあるまい」

「ははは、良かった。もし狭間育ちのミュータント・アストラル生命体とか呼んじゃったらどうしようって思ってたんだ」

「は、狭間育ちのミュータント・アストラル生命体……それは恐ろしく手強そうであるな……」


 いやさすがに存在すまい、しかし……と真面目に考え始めたヨルシャミに笑いつつ、伊織は木々の間を縫って吹いてきた風を体に受けながら空を見上げた。

 雲は漂っているが、あの白い空間とは似ても似つかない。

 風は少しばかり冷たかったが、体が冷え切るほどではなかった。

 こうして自然の風を受けるのも久しぶりだなと伊織は空気を肺一杯に吸い込む。


(同じ気持ちをバルドにも感じてほしい)


 疑似的に作り出した『内側と同じ環境』ではなく、本物であるこの空間に戻ってこれたならバルドの回復の手助けになるのではないか。

 そう望みを持ちながら、伊織は丁寧に召喚魔法を発動させた。

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