第1026話 ナレーフカの一声
――ベレリヤに春が訪れた。
挙式の後に行なわれた披露宴も過去の思い出だが、一発芸と称して跳び上がったパトレアがなかなか落ちてこず静夏が迎えに行ったり、飲みすぎたシエルギータがサルサムの口に酒を突っ込んで飲み会の音頭を取る悪魔を生み出してしまったり、ナレーフカとリアーチェが猫の話題をきっかけに仲良くなっていたことは今でもすぐに思い出せる。
ウサウミウシは自分専用ケーキに大層ごきげんだった。
キルダも「王族貴族平民ごちゃまぜの宴会みてぇになったが……まあ、良い出来だな!」と笑っており、途中からスケジュール通りに行かなくなったものの満足げだったのは伊織とヨルシャミ、そして友人のミリエルダが幸せそうだったからだろう。
これは忘れようにも忘れられない。
二度目の結婚式も同じように参列者共々楽しめるものにしよう。
そうヨルシャミと語り合いながら、予定通りベレリヤを発った伊織とヨルシャミは他国の様子を自分の目で見て回る旅を始めた。
まずはミッケルバードのある海に面した土地を持つ国々から。
最後の最後に世界の穴が放った魔獣たちは島外を目指し、その位置関係から真っ先に狙われたのは海の近くの村や港町だった。
大きな街なら防衛に適した人材が配置されていたが、小さな村や集落はひとたまりもない。
甚大な被害を受けた場所もあり、生き残りの中には故郷に帰れず街に避難している者も多くいた。
そんな彼らも恨む相手は伊織ではなかったが、荒涼としたゴーストタウンのようになった村に訪れた伊織は険しい表情でその景色を見る。
罪の所在が曖昧になっても、自分の力の大きさを改めて自覚し、二度と同じ轍は踏まないと心に誓うように。
海に面した地域をすべて回り終えた頃には半年が経過していた。
伊織たちは身分を隠しての行脚であるため、見聞きしたものは本人のいない場所での評価になる。
中には厳しい意見もあったが――概ね事前に報告されたものと変わりはなかった。
その頃になってようやく伊織とヨルシャミの二人旅にナレーフカが合流し、行脚の目的に『ナレーフカに外の世界を見せる』が加わる。
ヘルベールはわざわざナレーフカを伊織たちのもとまで送り届け、見送りまで行なったのだから筋金入りの親ばかだった。
「私、遅くなってしまったけれど親離れをしたいの。これを機にお父さんも子離れしてくれるといいのだけれど……」
そうナレーフカは呟いていたが、それからひと月に一度程度とはいえ直接様子を見に来るため、前者はともかく後者の実現はもう少し先になりそうである。
ナレーフカが加わってからは何度かベレリヤにも戻り、約束していた様々な景色を見せて回った。特に気に入ったのはララコアの温泉だ。
もちろん現地の声を拾うことにも力を入れたが――国内は伊織の容姿などの情報が国外よりクリアなため、変装には更に気を遣うこととなった。
何度か否応なく女装することになったが、これはペルシュシュカには内緒である。
各地を巡っている間に一年が過ぎ、伊織はようやく自分が作り出した夢路魔法の世界に複数の人間を引き込めるようになった。
もちろん命綱代わりのニルヴァーレが同行しない状況はまだ恐ろしくて試していないが、伸ばすべきポイントが明瞭になってからの成長は目覚ましく、ヨルシャミも満足げである。
そんな夢路魔法の世界の訓練と同時進行で行なっていた『セラアニスの肉体の出力』も更なるクオリティのアップとその維持が可能になり、ニルヴァーレのような魔導師でなくとも中に入れば自分の体としてすぐに動かせると確信できる段階に達していた。
ただし。
「……これは私側が問題だな。肉体とセラアニスの魂を安全に繋ぐ魔法がなかなか完成せん」
ベレリヤから遠く離れたハンナリビットという国にて。
野営のテント内で伊織の修行の成果を見た後、ヨルシャミは頭をがりがりと掻いてから口角を下げた。大分煮詰まっているらしい。
肘をついて横向きに寝転がっていたニルヴァーレが言う。
「安全面の理想が高すぎるんじゃないかな? 外階段なのに配慮しすぎて手すりが壁になって室内化、ついでに階段じゃなくてイオリの故郷のエスカレーターにしようとしてるレベルだぞ、それ」
なんだそのわかりにくい例えは、とヨルシャミは半眼になった。
「お前と比べたらセラアニスは掴まり立ちを始めたばかりの幼子のような危うさだ。そんなセラアニス専用の階段ならば、そのレベルの配慮でもむしろ足らんとは思わないか?」
過保護というわけではない。
ヨルシャミは作り手として安全面に力を入れているのだ。
しかし安全の確保はやってもやってもキリがない事柄でもある。
どこかで合格点を設けなければいつまで経っても完成しないが――世界に前例がないため設けようがない。
「ニルヴァーレの命綱の技法に関しては魔法化することができた。セラアニスの魂を壊さぬように更なるブラッシュアップは必要だが。あとは肉体に魂を安全に固定する問題だけなのだが……」
「肉体を作っている魔力にイオリ君から『セラアニスさんの魂を離さないように固定してください』って頼むのはどうかしら?」
ナレーフカの問いに伊織は頬を掻いた。
「魂に直接触れさせるのは危ないかもしれないんだ。ニルヴァーレさんは魔石化して魂も変質しているし、魔導師としても凄いからそのまま入ってるけど、セラアニスさんの魂は剥き出しだから」
「そうなのね、じゃあ……」
ナレーフカはしばらく考え込む。
それはこれから口にしようとしていることを言葉に纏めている時間だった。
「――魂をイオリ君が作った小さな夢路魔法の世界に入れて、それを肉体に移すのは?」
その一言で伊織、ヨルシャミ、ニルヴァーレは互いに顔を見合わせ――突然ヨルシャミが豪速で紙に様々なことを書きつけ始めた。
伊織とニルヴァーレも一瞬で思考を始め、それに集中している。
目を丸くするナレーフカの前でヨルシャミはペンを止めずにぶつぶつと呟いた。
「夢路魔法で作った空間はこことは異なる次元にあるが、距離などの干渉を受ける程度には連動しているとニルヴァーレの件で分かった。ここにイオリの魔力で作ったもの同士という条件を加味すれば……不可能とは言いきれない状態になるか? 夢路魔法の世界に命綱を通せば安定させるための軸にもなる」
「ええと、ヨルシャミさん……?」
「夢路魔法の世界と夢路魔法の世界同士なら繋いでも拒否反応は少なそうだよね、命綱を使った戻るべき場所を大樹のツリーハウスとするなら良い条件だ。セラアニスが外に出てる間はイオリが夢路魔法を使い続けることになるけど、命綱経由で僕が干渉できるなら維持は任せておくれ」
「ニルヴァーレさん……?」
「維持を任せられるなら僕も現実世界で起きてられるから良い案だね! さすがに夢路魔法経由で魔力を送る……のは変換の問題があるから、やっぱりバッテリー用の魔力の塊は作ることになるか。でもいつか解決して直接送れるようになればセラアニスさんが外で活動できる時間も僕から離れて動ける時間も延びる。――ヨルシャミ! まずは夢路魔法の世界と魔力の肉体を紐づけできるか試そう!」
「イオリ君もなのね……」
各自とてつもなく長い独り言を呟いているようだったが、相手の言葉を聞いてはいるのか会話が成立している。
ナレーフカは目をぱちくりとさせながらその光景を見つめ、しかし確実になにかが前進したことを感じ取って小さく笑うと「それにしても」とそのまま肩を揺らした。
「みんな、研究に熱中してるお父さんそっくりね」





