第1022話 結婚式の朝の客 【★】
伊織とヨルシャミが旅立つのは春を迎えてからである。
結婚式の話が出る前の伊織はそろそろ旅の第一歩を踏み出そうかと考えていたが、できることなら母に自分たちの結婚式を見せてから旅立ちたいと思ったのだ。
――使命を終えてもすぐには母の夢、健康な肉体で伊織と再び一緒に住むという夢を叶えられないのだからせめて、という気持ちからだった。
そのため冬に結婚式をし、気候が安定する春に旅立つと最終的に決定した。
伊織とヨルシャミは転移魔石を使用できないが、ニルヴァーレに実体化してもらえば使うことが可能になる。
極力各地は自分の足で歩き自分の目で見て回る予定だが、緊急でベレリヤに赴いたり他の土地へ直行する必要がある場合でも対応可能だ。
強力な魔獣が出て協力を要請された場合もすぐに対応できるだろう。
そのため静夏たちと長い別れになるわけではないが、それでも今結婚式を見せられるならそのほうがいい。
しかし。
(まあ、僕の我儘もあるんだけれど……)
綺麗ごとばかりではない。
伊織はわかっていた。
――単純に自分がヨルシャミのウェディングドレスを早く見たい、という気持ちも大いにあったのである。それはもう正直な欲だった。
もちろん元の姿でも見たい。
それは頼み込めば夢路魔法の世界で見れるかもしれないが、現実世界で実際に目にできるのは今の姿だけ。ならば貴重な『パートナーの現実世界でのウェディングドレス姿』を早く拝みたいというのは至極当たり前な欲求だった。
しかもヨルシャミは前半をウェディングドレス、後半をスーツ姿で過ごすという。
一石二鳥すぎる、というのが伊織の感想だった。
その感想を正直に口から発して「わ、私を照れさせるのは明日にしろ!」と軽く小突かれたのが昨日の夜のことだ。
現在の時刻は朝の八時頃。
冬のひんやりとした空気が空から降り注ぐかのようだったが、その空は幸いにも曇らず、透き通るほど青い晴天だった。
ペルシュシュカの占術魔法で「この日は確実に晴天!」と出た日に決めたおかげである。
太陽の覗く東の空には細かな雲が見えるが、その白さがより強く青い空と澄んだ空気を伊織に感じさせた。
そんな空を控室の窓から眺めていた伊織は後ろから声をかけられて振り返る。
正装したニルヴァーレだ。
「やあ、イオリ! 白いスーツがよく似合ってるじゃないか」
「おはようございます、ニルヴァーレさん! いやぁ、なんだか服に着られてる気分ですけどね」
「今日ここで君と式を挙げるのが僕でなくて本当に残念だな……まぁそれは今後の楽しみにとっておこう!」
また突飛なことを言っている、と笑いながら伊織はニルヴァーレの姿を見る。
現在はいつもの青年の姿であり、ニルヴァーレも参列するために仕立てたスーツを着ていた。
しかし彼はこの後、ある役目のために一旦姿を変える手筈になっている。
すなわち、少年『ニル』の姿でリングボーイの役目を受け持つ予定なのだ。
これはニルヴァーレからの申し出であり、その前にリングガールとしてナレーフカにもお声が掛かったものの「私は中身が年相応じゃないから、もっと相応しい人に頼んだほうがいいわ」と断られた後に名乗り出た形だ。
ナレーフカが断った言葉の内容を更に輪をかけて体現しているが、それをわかった上で挙手したのがニルヴァーレらしい、というのがヨルシャミからの感想である。
伊織もそれに近い感想だった。
なお、フラワーボーイもネロに頼もうとしたものの「それって魔法少年になるの前提だよな!?」と勘付かれたため、役割はやる気満々なネコウモリに任されることとなった。
式場に入る前にニルの姿になり、役目を終えた後は再び普段の姿となり参列する。
ニルヴァーレは現実世界では自力で姿を変えられないため、ここは伊織が担当することになる。服も同時に出力する予定だ。
ならもうそろそろ姿を変えたほうがいいかな、と伊織が考えたところでニルヴァーレが口を開いた。
「例の件は問題なさそうかい?」
「ばっちり……とは言いきれないけど、失敗するつもりはないので頑張ります」
「あはは、精一杯励むといい。ヨルシャミはサプライズに弱いからね、きっと効果的だよ!」
――ここしばらく、伊織はヨルシャミに内緒でニルヴァーレと特訓していたことがひとつある。
理論上は可能だが伊織には初めての経験であり、ぶっつけ本番に近いのは不安要素が多いが、結婚式でやりたいと伊織が心底思っていたことでもあった。
その特訓に付き合ってもらう師匠にはニルヴァーレがうってつけだったわけだ。
ニルヴァーレは伊織の背中をぽんぽんと叩く。
「頑張るんだよ。さて、ここでニルにしてもらって時間いっぱいまで一緒にいたいところだが……君への客が順番待ち中だ。そろそろ部屋から出ることにするよ」
「客?」
「君も少し話をしたほうが落ち着くだろう。ほら」
ニルヴァーレがそう言って控室の扉を開くと、廊下に立っていたのは静夏だった。
こちらもさすがに普段の服装ではなく、しかしイメージを損なわないホルターネックの青いドレスを身に纏っている。オーダーメイドだがそれでも腹筋をはじめとする様々な筋肉が主張しているのは逆に芸術的である。
首に下げたパールのネックレスを揺らしながら、静夏はニルヴァーレと入れ違いで控室へと足を踏み入れた。
「母さん、髪をアップにしたんだな。ドレスも似合ってるよ!」
「そうか? 着慣れないもの故、緊張していたが……ありがとう、伊織」
そう微笑む静夏に伊織はイスを勧める。
城のイスは果敢にも静夏の全体重を受け止め、軋みもせず鎮座していた。さすがキルダが参加者全員の体格諸々をチェックした上で手配したイスである。
「あまり時間はないというのに手間取らせてすまないな」
「ううん、式の前に会えてよかった。……それで、話っていうのは……」
「ああ、本当は昨晩のうちに話す機会を作りたかったんだが」
私がどう言うべきか迷ってしまってな、と頬を掻き――そして、静夏はこれから結婚する息子への言葉をかけるべくゆっくりと口を開いた。
本編終盤仕様のニルヴァーレ(絵:縁代まと)
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