第1018話 あの時ヨルシャミが言っただろう
夢路魔法の発動をテイムした魔力に手伝ってもらうという手法。
それは凄まじい魔力消費を伴ったが、相応の結果も叩き出していた。
考案後に試行錯誤を繰り返し、数ヶ月が経った頃――ベレリヤに冬が訪れた頃には小規模ながら伊織の管理下にある夢路魔法の世界を展開し、現実に召喚したアストラル生命体をそこへ引き込むことに成功していた。
一番初めはあまりにも小さな世界でぎゅうぎゅう詰めだったが、現在は一般的な校庭ほどの広さがあり、空も存在している。
おかげでヨルシャミに「及第点であるな」との言葉を賜った。
アストラル生命体は現実にも夢路魔法の世界にも存在可能で、かつて伊織がヨルシャミの夢路魔法の世界で召喚魔法の訓練を行なった際にうっかり召喚したものだ。
予定外の召喚であり、更には当時の伊織では触れてテイムもできなかったため、アストラル生命体は敵意丸出しで襲い掛かってきた。
そのため伊織はヨルシャミやニルヴァーレと共に迎撃したが――その時の縁か、今現在も比較的スムーズに召喚できる状態にあったため大変助かった。
なんか都合の良い使い方して悪いけど、と言う伊織にヨルシャミは笑う。
「アストラル生命体に我々のような感情はない。同じ軸で申し訳なく思うのは無駄を通り過ぎて自己満足になるぞ」
「あはは、たしかに。……でもありがとうな」
とある広場にて、伊織はふわふわと浮いていた光の球のようなアストラル生命体にそうお礼を言った。
もちろんアストラル生命体は特に目立った反応は見せない。
あれから検証を行う際に、伊織は今度こそ自分の意思で召喚したアストラル生命体をテイムした。
実体がないため触れられないが撫でる仕草をキーにテイムできるとわかったのだ。
それは当時より伊織が魔導師として成長したことも大きく影響している。
ヨルシャミとニルヴァーレも喜びを顔に出していた――が、ニルヴァーレは「こいつにライトアップしてもらったら僕の美しさが増すかもしれないね!」と異なる角度からも喜んでいたため、ヨルシャミはすぐ半眼になった。
致し方のないことである。
「そろそろ哺乳類で試しても良いだろう。それが成功したらお前の夢路魔法の世界を広げていく訓練と、もっと自在に景色や環境を変えられるようになる訓練であるな」
「ヨルシャミの世界のほうでやるのと全然違うんだよなぁ……世界そのものを維持しながら弄るのって難しすぎる……」
砂で精巧な模型を作っている最中に絵を描きつつ作曲をしているようなものだ。
しかもその模型は崩れやすく、意識していないと綻びが出る。
現実では真後ろを観測していなくても『真後ろの世界』は存在しているが、夢路魔法の世界の主となった場合はそうではない。
主がしっかりと『ある』と意識していないと本当になくなってしまうのだ。
ヨルシャミほどになるとほとんど無意識で行なっているらしい。
それ故に自分の想定していなかった場所ができることもあるそうだが、そんなことを一足先に心配する必要などないほど伊織にはまだまだ長い道のりである。
そんな修繕と補強で精一杯な世界に人間を入れる。
そう考えただけで伊織は緊張した。
「初めはニルヴァーレも同席させるといい。なにかあってもあやつなら一人で夢路魔法の世界を保てる故な、引き入れた者が遭難するリスクが一気に下がるだろう」
「うん、ニルヴァーレさんに入ってもらったことはまだないから喜びそうだなぁ」
ヤバいくらい喜んでくれそう、と伊織は笑う。
そこへ遠くからでも誰か一目でわかるシルエットが近づいてきた。静夏である。
逞しい腕を振る母親に伊織はアストラル生命体を送還して手を振り返す。
現在、伊織たちはまだベレリヤに留まっていた。
時折レプターラには足を運んでいるが、伊織が決めた各国行脚にはまだ赴けていない。身分を伏せて行く以上、伊織たちは旅人や観光客のような立場になるため、各地の負担を考えるならミッケルバードでの作戦直後ではなく時間を置いてから実行することになったからだ。
しかし伊織としてはそろそろかな、と考えていたところである。
静夏は心配していたものの「旅立ちの準備の一部は任せてほしい」と協力を惜しまなかった。
それについての話かな、と伊織は静夏を迎えたのだが――表情から見るに、どうにもそうではないらしい、と息子だからこそわかる機微を察して首を傾げる。
「母さん、なんか機嫌いいね?」
「ああ、先ほど母から良い話を聞いてな」
「おばあちゃんから?」
未だ不思議そうにしている伊織に静夏はにっこりと笑った。
「お前が旅立ちを決意した時、ヨルシャミが言っただろう」
「む? 私が?」
「とんでもない新婚旅行のようになってしまう、と」
たしかに口にした。
そうヨルシャミは納得したが、なぜそれを持ち出したのかがわからない。
現在もまだ伊織とヨルシャミは婚約状態である。
結婚したも同然、むしろ届け出る場所などないため宣言さえすれば結婚したことになる、と事実婚のような状態で時期を見ていたところだ。
ヨルシャミのあのセリフもそんな状況から出たものだった。
すると静夏は伊織とヨルシャミ、両方の手を片方ずつぎゅっと握って言う。
「ふたりとも、旅立ちまでに結婚式をしよう」
「……! あ、でも母さん、こんな状況だしもっと落ち着いてからでもいいんだよ。それに……その、父さんたちを……」
連れ帰ってからでも、と言いかけて伊織は言い淀む。
バルドとオルバートは必ず連れ戻すつもりだ。
しかし、それがいつになるかはわからない。下手をすれば静夏が死ぬ前に叶わない可能性もあるのだ。
もちろん両親のこと、そして「あいつが帰ってくるまで停戦だ!」と待っているミュゲイラのことを思うと軽々しくは口にできなかった。
そんな伊織の頭を静夏が撫でる。
「織人さんのことは私も考えた。しかし帰りを待つことで式を長引かせることを織人さんは望まないだろう」
「……うん」
「それにな、伊織。じつは――母から聞いた良い話とは、今ラキノヴァに有名な凄腕ウェディングプランナーが来ているという話なんだ。その人は母の知人で、伊織とヨルシャミに興味があるらしい」
「ウ、ウェディングプランナー?」
この世界にもそんな人がいるんだ、と伊織は目を丸くした。
「その人から聞いた話では、式を二度行なう地域もあるそうだ」
「二度!?」
「ふむ、聞いたことがあるな。結婚後に夫婦の魂が寄り添い一体化したことを祝い、再び結婚式を行なって絆を強固にするという風習だったか」
ヨルシャミ曰く、二度目の式を行なう時期は夫婦が自由に決めていいという。
世界は広いなと伊織は久しぶりに実感した。
「なるほど、その二度目をバルドとオルバートが戻ってきてから行えばいいという訳であるな」
「ああ、そういうことだ」
頷きながら静夏はふたりの腕を引く。
向かおうとしているのは王宮の方角だ。
「母さん、もしかして――」
「そのウェディングプランナーが現在母のお茶会に招かれているそうだ。お前たちを呼んできてほしいと言われた。話だけでも聞いてみないか?」
静夏はそう落ち着いた口調で言っていたが、目はわくわくしていた。
母親として息子の結婚にテンションが上がっているのが丸わかりである。
それを感じ取った伊織とヨルシャミは顔を見合わせ――わかった、と口にするまで五秒とかからなかった。





