第1012話 ペルシュシュカの『良いもの』
――明朝。
ふたり同時に目覚めた伊織とヨルシャミは着替えの最中にあることを思い出し、顔を見合わせてそれぞれ違う理由で冷や汗を流した。
「ペルシュシュカさんのところに再訪問してなくない!?」
「あやつに時間をごまんと与えてしまった……嫌な予感がする……」
今日こそ修行に身を入れようと考えていたが、それはまだもう少しだけ先になりそうである。
ひとまず朝食を済ませたふたりは一番にペルシュシュカの部屋へと訪れた。
ペルシュシュカは今日は部屋にいるようで、ノックをすると数秒してからのっそりと顔を出した。夜更かししていたのか少し顔色が悪いが、それでも化粧乗りが良いのがさすがだ。
しかし「もしかして僕らを待ってたせいで寝不足になっちゃったんじゃ?」と罪悪感に苛まれた伊織は化粧に感心しているどころではない。
「すみません、昨日あれからペルシュシュカさんの部屋に行けなくって――」
「あら、もう来たの?」
「へ?」
まさか来るのが早くて驚いたというリアクションをされるとは思っていなかった伊織は目をぱちくりとさせた。
一方でペルシュシュカは眠たげにあくびをした後、ようやく伊織の心情を理解したのか「あぁ」と頷く。
「あとで部屋に来てって言ったわね。あれ、当日でも対応できるように考えてはいたけど、べつに翌日でも問題なかったのよ。アナタたちが忙しいし病み上がりなのはわかってたもの」
「でも途中から忘れちゃったのは失礼だったなと。すみません……」
「考えることが山ほどある上に挨拶する人数も半端なかったでしょ、気にしなくっていいのよ。それにアタシも試行錯誤する時間が沢山取れたし!」
試行錯誤? と伊織は首を傾げる。
昨日、ペルシュシュカは「良いものあげる」と言っていた。
その良いものなる『なにか』を作っていて寝不足になってしまったのだろうか。
伊織がそう考えを巡らせている隣でヨルシャミは嫌な汗が流れるのを感じていた。
しかもペルシュシュカの足元に布切れや糸くずが落ちているのを見て余計に形容し難い表情になる。
「まぁ立ち話もなんだし中に入りなさいな。ヨルシャミも、ね?」
「う、うむ……」
自分にとっても役得かもしれないが、恐らくそれ以上の疲労が待ち受けている。
正直言ってなにか理由をでっちあげて逃げたい。
ヨルシャミは心の底からそう思ったが、伊織をひとりでここに残していくわけにはいかず固い動きで頷いた。
そうこなくっちゃ、と両手を合わせたペルシュシュカは伊織とヨルシャミを部屋に招き入れ、そして――
「……えっ。えっ!? なんでメイド服!?」
――五分後には伊織の服が黒を基調としたメイド服に変わっていた。
しかもきちんと自分で着替えてから驚いているという不思議な状態ではない。
ペルシュシュカの恐ろしく素早くも的確で情熱溢れる手腕により、伊織本人が違和感を感じる間もなく早着替えさせられたのである。
テーブルクロス引きの人間バージョンのようだった。
そしてペルシュシュカの信条である『女装男子にはノータッチ』を発揮し、極力素肌には触れないという離れ業まで見せている。
混乱に混乱を重ねている伊織をよそにペルシュシュカは満足げに頷いて細部をチェックした。
「よしよし、サイズはピッタリね。少年から青年へ足を踏み入れ始めた、けれど実年齢を考えればまだ幼い外見のアナタに合わせるのはとっても楽しかったわ……」
「サイズを測られた覚えはないんですが……」
「アタシがどれだけの期間、女装男子に触れず吸うだけに留めてたと思う? 今は触れずともスリーサイズの把握くらいお手の物よ!」
「服屋が天職では!?」
そうかもしれないわね、と笑いながらペルシュシュカは深呼吸した。
徹夜明けの女装浴である。
「ほら、リータって心底楽しそうに縫い物してることが多いでしょ、だからアタシもなにか作りたいなと思ったのよ」
「つまり始めたばかりでこのクオリティ……!?」
「この男、好きこそ物の上手なれを体現しているな」
そして「なにか作ってみよう!」と思い立って着手したのが女装用の衣装とはなんともペルシュシュカらしい、とヨルシャミは笑った。
ペルシュシュカはキラキラとした満足げな笑みを浮かべてヨルシャミを振り返る。
「あら、アリガト。ヨルシャミの分もあるから遠慮なくどうぞ!」
「遠慮する隙を蹴散らすな!」
「アナタの場合は女装かというと判断に迷うけれど、不思議な嗅ぎわいだから嫌いじゃないのよ」
「そんなフォローはいらぬが!? ……ハッ」
伊織がヨルシャミに視線を向けている。
それは道連れにしようという視線ではない。純然たる期待のまなざしである。
気を抜くと負けてしまいそうだ。
ヨルシャミはそう気合いを入れたが――それは伊織のまなざしに対してであり、逆にノーマークとなってしまったペルシュシュカの行動は早かった。
伊織の時のようにふわりと柔らかな風が吹いたかと思えばヨルシャミの服装がクラシックメイド服へと早変わりする。
口を半開きにしたヨルシャミは合点がいったようにペルシュシュカを見た。
「お、お前、補助に風の魔法を使っているな!?」
「うふふ、アタシって占術魔法はからっきしだったけれど……ここしばらく弱いなりに風魔法を酷使することが多かったから、これくらいは出来るようになったのよ」
原因はアレだけど便利ねとペルシュシュカは喜ぶ。
戦闘面に関しては不得手だったが、伊織を探す旅に同行し始めてから物騒なことに巻き込まれる確率が高くなり、ワールドホール閉塞作戦では命の危険を感じる場面もあった。
平穏に暮らしていた時間よりも濃密だったのは言うまでもない。
そんな時間がペルシュシュカの眠っていた才能を開花させたようだ。
才能の無駄遣いをしているぞと言いながらもヨルシャミはちらりと伊織を見た。
伊織のメイド服はヨルシャミのものと異なりミニスカートでフリルが多く、クラシックなデザインのものと並ぶことにより可愛らしさが増しているように思える。
――なお、伊織から見れば逆にヨルシャミのメイド服のほうが可愛く見えているため、この可愛さの比較は個人により異なるフィルターがかかっているようだ。
ヨルシャミは咳払いをしてややぎこちなく口角を上げる。
「ま、まあ、新しい趣味を得たことは祝福しよう、うむ」
「ふふ、双方にとっても『良いもの』だったでしょう?」
「まあ失ったものも多いがな……」
「僕も色々と失った気はするけど、うん、ヨルシャミのそういう服装を見れて本当に良かった。本ッ当に」
伊織ははっきりと言う。あまりにも真っすぐな瞳だった。
更に咳払いを重ねたヨルシャミの隣でペルシュシュカが「嬉しいこと言ってくれるじゃないの~!」とぱちぱちと手を叩く。そしてテーブル脇に置いてあった大きなカゴを持ち上げた。
洗濯物を入れるカゴに見える、と伊織が思ったところでペルシュシュカはその中から衣装を取り出す。
きわどい丈のチャイナドレスであった。
「これも色違いでふたり分あるの!」
「……」
「……」
「あとはこれね、ベレリヤ北部の民族衣装! こっちの豪奢なAラインのドレスも力作よ、ゴスロリもフリルを増やして凝ってみたの、あっちはとあるお店のウェイトレスの制服で、そこの黒いのは――」
「多くないですか!?」
これだけ作っていたからこその寝不足だったわけだ。
それにしても量が多い。伊織はペルシュシュカの女装にかける熱意の爆発を見た気がした。
そんな感情を込めたツッコミにペルシュシュカは頬を赤く染め、はにかみながら「やだわ~」と手の平をぶんぶんと動かす。
「リータに比べたら序の口よ」
「比べる相手が良くない気が……」
「というか、これはリータを手本にした上で妙に才能があったが故の結果なのであろうな……」
そして問題なのはリータよりもペルシュシュカの趣向が偏りに偏っているということである。ラキノヴァへ初めて足を踏み入れた際にリータが作った変装衣装を考えるとどっこいどっこいかもしれないが。
だが、善意だけは100%だ。
伊織はそれを踏みにじれない。
そして、そんな伊織をヨルシャミは放っておけない。
「さっ、ふたりとも。きっと似合うわよ、着てみせてちょうだいな!」
つまり――ふたりはこのまま数々の衣装に袖を通すことになり、かつて訪れたカザトユアのファッションショップ『ロアーナレディス』でのひと時を何十回と思い出すことになったのだった。





