第1009話 待ち合わせ場所で夢チュンを 【★】
レプターラに滞在中は伊織が寝かされていた部屋がそのまま自室として貸し出されることとなり、必然的に寝起きもそこですることになった。
看病中はヨルシャミも同じ部屋で眠っていたそうだ。
しかしベッドはひとつしかないため、イスに座ったまま夜を明かしたという。
いざという時のためにすぐに起きて行動できるから合理的だった、とヨルシャミは語ったが、伊織としては複雑である。
「そこで今夜は僕の隣で寝てもらいたいんだけど」
「……ベッドはひとつなのだが」
「特に問題はないよね、……ヨルシャミさえ良ければ」
問題はないが、と即答しながらもヨルシャミは気恥ずかしさから少しばかり渋ったものの、腕を引いてもまったく抵抗はしなかった。
伊織は「恥ずかしいのがうつるだろ」と笑いながらベッドに潜り込む。
「大丈夫、夢路魔法ですぐに眠りに落ちれるだろうし緊張することないって」
「そ、それはそうだが、……ええい! 私だけ生娘のような状態など余計恥ずかしいわ! こうしてくれる!」
伊織に対してではなく自身の反応に怒りを覗かせつつ、ヨルシャミはズボッと布団の中へと入り込むと伊織の隣に顔を出した。
少しぼさぼさになった髪を見て「可愛いなぁ」と伊織はその頭を撫でる。
「お、お前、遠慮がなくなってきたな。恥ずかしくないのか」
「そりゃ恥ずかしいけど、……婚約まで持ち出した後だし、生きて帰って君に触れられることが凄く素敵なことだって思い知ったから。だから素直になる時はとことん素直になろうと思って」
「ぐぬ……」
あそこで死んでいたらもう二度とヨルシャミに触れることが叶わなかった。
今こうして触れ合って体温を感じるたび、実感を伴ったその可能性を思い知るのだと伊織は言う。
だからこそ触れていると安心すると続けて言いながら頭を撫で続けていると、ヨルシャミが下から睨むように言った。力んだ上目遣いともいう。
「お前が撫でると通常の倍ほど擽ったいのだが」
「あっ、そうだった、ごめ――」
「そして今は私もお前が愛おしくてたまらぬ状態だ、変なスイッチを押すことになるからよせ」
ヨルシャミの素直な言葉に伊織は咳払いし、ぱっと手を離した。
後ほどニルヴァーレも合流するのだ。
ここで恋仲らしい展開になっても後々困るのは明白である。
自制自制、と伊織が自分に言い聞かせていると、ヨルシャミがぼそりと言った。
「……今後お前に夢路魔法を教えていくことになるが、私はこの魔法を感覚的に使っている。故に人に教えたことがない」
「うん、……シェミリザ姉さんでさえ使えないって言ってたもんね」
「そしてイオリ、お前は風の属性だ。闇属性ですらなく、そしてたしか……普段は夢をあまり見ないのだったか」
伊織は夢を見る頻度が低い。
それは前世から同じで、聞けば父の織人にもその傾向があったという。
これはつまり夢に愛されていない、それどころか避けられているのではないか。
そんな不安が過ったことがある、と伊織が吐露するとヨルシャミは「それはわからぬ」と首を横に振った。
「夢を見ぬほど眠りが深いとも言える。神がいる空間へ繋がっているのは底の底だ、逆にそこへ至る才能があるとも見れるだろう。――まあ、未知なることが多すぎて予想すら曖昧になるわけだが」
その結果が自分の指導で左右される可能性がある。
そう思うと少しだけ恐ろしいとヨルシャミは呟いた。
「夢路魔法を使った後によく思うのだ。様々な法則を持ちながらも秩序のあるこの世界は、とても強固に守られていると。その内側から抜け出すことは想像を絶する難しさであろう」
しかし、と伊織に向いた瞳はまったく物怖じしていない。
「お前ならどうにかできる、そうも思う」
不安を伝えながらも信頼を滲ませ、今度はヨルシャミから伊織の頭を撫で返した。
チクチクした黒髪に細い指がうずまる。
「まぁ言うだけなら誰にでもできるが! これを実現するために――」
「早速特訓を?」
「――したいところだが、根を詰めすぎても自滅するのみ。まずは適度に休み、家族を安心させよ。今夜はセラアニスに挨拶だけで終わらせるのだ」
積もる話も多い。セラアニスに報告したいこと、伝えたいこと、これからの話など様々な話題が目白押しである。
いくら現実との時の流れを変えられる夢路魔法の世界とはいえ、伊織から見た体感時間は過ごした分だけ流れるのだ。
肉体的には元気でも精神的に疲れるのは明白だった。
普段ならさほど気にもせず何十時間でも過ごすところだが、魔力を酷使して最後には魂だけで神の元まで行った伊織のことを思うと、ヨルシャミとしては夢路魔法の世界での長期滞在には不安がある。
その気持ちが伝わり、伊織は小さく頷いた。
そして、とヨルシャミは言い重ねる。
「その家族には私も含まれていること、ゆめゆめ忘れるでないぞ、イオリ」
「――もちろんだよ。君は大切な僕の家族だ」
伊織は両腕を伸ばしてヨルシャミを抱き締め、髪の流れに沿って頭を撫でた。
大切なものを愛でての行動だったが、しかしぎゅっと抱き返したヨルシャミがそのまま首元に歯を立てたのに気がついて伊織は目を丸くする。
そういえば撫でるなと言われたばかりではないか。
気がついたもののどうすることもできず、口を離したヨルシャミが髪を掻き上げながらにやりと笑った。
「さて、イオリよ。ニルヴァーレの合流の件だが」
「う、うん」
「奴なりに気を利かせたのであろう、隣室で眠って夢路魔法の世界へ行くそうだ。もしかしたらもう寝ているかもしれんな」
「へ? 一体いつそんな話を……」
ヨルシャミは「別れ際、お前がサングラスに気を取られていた時だ」と言いながら今度は喉に噛みついた。
甘噛みだが少し出てきた喉仏をなぞられて伊織は口をぱくぱくさせつつも質問を絞り出す。
「……ヨルシャミって噛みつくタイプ?」
「む? 気になるか?」
質問の意図を感じ取ったヨルシャミは赤い顔に相変わらずの笑みを浮かべつつ、口元を手の甲で拭いながら歯を覗かせた。
そして聞き間違いなど許さないといわんばかりの様子で言い放つ。
「このあと教えてやる」
***
麗らかな日差しが大地を照らしている。
見慣れた草原の傍らには清流とも呼べる清らかな川が流れており、夢の中でなくともそのまま飲んでいいと判断するような爽やかさを孕んでいた。
その清流でこれでもかと顔を洗った――もとい冷ました伊織とヨルシャミだったが、いつの間にか近くの切り株に腰かけて足を組んでいたニルヴァーレに開口一番で笑われてしまった。
「いやぁ、僕もね! 不慣れなりに気は利かせたとも! でも君たちがそこまで踏み込めるとは思っ……」
「皆まで言うなニルヴァーレよ!」
「けど夢路魔法の世界にまで反映されるレベルって相当だよ」
「言うなと言ってるだろうが、夢の主の権限で蹴り出すぞ……!」
蹴り出したところで当たり前の顔をして戻ってくるのは明白だったが、ヨルシャミは叫ばずにはいられなかった。
その威圧で傍の木から鳥がチュンチュンと飛び立つ。
夢路魔法の世界へ入って早々のことだ。
ふたりとも現実世界の痕跡がそのまま反映された姿になっていると気がつき、普段の姿に戻ろうと試行錯誤したが――あまりにも強烈なインパクトを残したのか叶わなかった。
現実の傷跡や服装が反映されてしまうのと同じだ。
反映されたものを消すのも変えるのも本来なら自在ではあるが、面食らって慌てた影響か上手くいかない。
そこへ切り株に座って頬杖をついたニルヴァーレに声を掛けられ、今に至るわけである。
ニルヴァーレは人間の姿をしていても魔石の時のようにヨルシャミ、つまり夢路魔法の使い手との物理的距離が夢路魔法の世界の初期位置に反映されるため、ショートカットのすべを持っているものの早めに床についたという。
ベッドで待ってはいるが待ち合わせ場所は更にその先、という形だ。
それが上手く嵌ったなぁ、などと言いながらニルヴァーレはニコニコと笑った。
「よし、邪魔をしないようにちゃんと我慢したんだ、今度は僕も混ぜておくれよ!」
「最悪の提案をするでないわ無量大数級のド阿呆!」
「ヨルシャミが嫌ならもちろんしないよ。ならイオリはどうだい?」
突如自分に向いた矛先に伊織は肩を跳ねさせつつ、しかししっかりと両手の平をニルヴァーレに向けて言う。
「こういうのは好きな人同士でしようね派なので……」
「僕は君が好きだし、君も僕が好きだろう?」
「う、うーん……?」
「イオリも悩むなおバカめ……! そもそも、あー……ニルヴァーレよ、お前にとっては意味のない行為であろうが。添い寝程度で我慢しろ」
ニルヴァーレはきょとんとしながら首を傾げた。
「けど愛情を確かめ合うにもってこいなんだろう? 僕もそういうのはよくわからないが」
「わ、わからないのに食い下がるのだな」
「わからないからこそだよ。得られなかったものは美しく輝いて見えるからね! そも、そういうことの目的は生殖だけではないと君もわかってて言――」
「だから皆まで言うなと! いや! まあ今のは流れを作った私が悪いが!」
「ま、まあまあふたりとも、落ち着いて落ち着いて」
伊織の仲裁にヨルシャミは襟元を正しつつ痕跡を丁寧に消していく。
ニルヴァーレもなにもない空間から新たな服を取り出すと、ふたりに「どうぞ」と手渡した。
ヨルシャミは少々身構えたが、どうやら普通のセンスの服らしい。
「ははは、しかしまぁ……なにはともあれおめでとう、ふたりとも。いつかその『わからないこと』を僕にも教えておくれよ」
「ふん、健全な形でな。――わからぬと自覚できているならどうとでもなる。だから得られなかったなどと嘆くな。あと、まあ、その、特殊な体だというのに意味がないと切って捨てて悪かったな」
ニルヴァーレの幼少期をその目で見てきたヨルシャミは小声でそう付け足す。
目を瞬かせたニルヴァーレは快活に笑うと「僕がありがとうって言うことになったね!」とふたりの手を引いた。
「さぁ、ツリーハウスのお姫様のところへ急ごう! きっとびっくりするぞ!」
もちろん僕とは違う意味でね、と付け加えながら。
ニルヴァーレとアイス(絵:縁代まと)
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